零:不穏の手紙
聖女であり皇太子の婚約者でもある私は、神殿と城を行き来する日々を過ごしていた。
大聖堂での祈りの儀式のため数日ぶりに神殿に戻ると、メルが神妙な面持ちで一通の手紙を差し出して来た。
「聖女様、これが届いたのですが……」
「手紙?」
表には『聖女様へ』と書かれているが、差し出し人の名前は書かれていない、いかにも不審な手紙だった。
手紙そのものに妙な魔術が掛けられている様子はなかったので、それを開封する。
中には走り書きのように急いで書いたと思われる字が躍っていた。
『聖女様
村に穢れが溜まっています。助けてください。
このままではいつ魔物に襲われるかわかりません。
場所はダイサージャー王国メルファ村です。急いでください。』
差出人は書かれていない。
しかし字を見れば、急いで書いたのだろうと察せられる。それだけ緊迫した状況なのか、はたまたそれを装っているのか。
「……怪しいけど、もしこれが本当なら、見過ごせないわね」
ふむ、と唸り、私はメルに神官達を全員集めるように伝えた。
数分後、会議室に集まった神官長から神官の八人に手紙を見せる。
と、彼らも揃って難しい顔をした。
「本当ですかな……?」
「疑わしいけれど、本当だった場合に対応が遅れたら、神殿の責任問題になるわね」
ガスパルとアネットが腕を組みながら唸る。
「まずは神官と見習い神官に様子を見させましょうか」
ジャンが提案し、神官五人が頷く。
「いえ、これがもしも反聖女思想の教団の罠だったら、神官が出向くのは危険すぎるわ」
私が否を唱えると、前回それで賊に襲われて昏睡の首環を着けられてしまったリュカとクラリスが視線を落とした。
彼らはあくまでも神官なので、賊に襲われた場合に応戦できないのは無理もない。
神殿に仕える者は、本来暴力とは無縁なのだ。
反聖女思想の教団は、黒幕ともいえる存在のマルムを失い、今や鳴りを潜めている。
教団の創設を手助けしたマルムは、私によってガリューと名を変えて眷属となったが、とはいえ、教団の残党はまだ大勢残っている。
特に、宗主についてはいまだに見つかっていない。
ガリューは、マルムだった当時人間に興味がなく、宗主として祀り上げた男の素性についてもほとんど知らないと言っていた。
都合よく神殿に恨みを抱いている人間がいたから利用しただけだ、と。
素性はわからないが、教団の宗主が神殿に並々ならぬ怨恨を募らせている事だけは確かだとわかった。
そんな危険な人物がまだ野放しになっている以上、警戒するのは当然だ。
「ではどうするおつもりですか? まさかとは思いますが、一人で乗り込むおつもりではありませんよね?」
ジャンが私を鋭く見る。
「それが一番確実でしょう? 独断で先走らなかっただけ褒めて欲しいわ」
少し前の私なら、間違いなく手紙を受け取った時点で後先考えずに一人で向かっていただろう。鉱山の町の時にそうしたように。
「……確かに、私達の中で一番強いのは聖女様ですが……だからと言ってお一人で行かせる訳には……」
アネットが困った様子で呟く。
「だから一人、私に同行してほしいんだけど」
私がそう提案すると、彼らは顔を見合わせた。
本音を言えば、私にはオロチもガリューもいるので、私一人でも充分なんだけど、神官の同行は神殿の体裁を考えてのものだ。
穢れを祓うために聖女が一人で僻地まで行く、というのは神殿として怠慢と取られかねない。と、先日鉱山の町の件でジャンからしこたま怒られたので、流石の私も学習した。
「本来なら俺が同行するのが良いんでしょうけど、聖女様はクロヴィス皇太子殿下のご婚約者でもありますからね。神官と言えど異性が同行するのはあまり良くないでしょう」
神官の中で最も強い魔力を持つトリスタンが、顎に手を当てて呟く。
「そうだな。となると……」
ジャンがアネット、ジルベルト、クラリスを順に見る。
「では私が同行します」
クラリスが即座に手を挙げた。
アネットは大神官だし、ジルベルトはロジェと婚約したばかりであまり出張させるのは気が引ける、という気遣いだろう。
「じゃあお願いするわ。転移魔術でダイサージャー王国の首都デュトロまで行って、そこからは飛翔魔術ね。帰りは転移魔術で帰って来ましょうか」
「それでは聖女様に負担が掛かります。行きは転移魔術と飛翔魔術で時間を掛けず、帰りは飛翔魔術か馬を手配しましょう」
クラリスが異を唱え、話はそれで落ち着いた。
彼女は転移魔術を使えない。転移魔術は高位魔術とされており、使える神官はジャンとトリスタンのみで、神官長であるジャンでも連発はできない。
クラリスが得意とするのは主に治癒魔術で、浄化魔術も一応使えるが、聖女の浄化魔術が十だとしたら三程度の効果しか出ないと聞いた。
転移魔術を扱えない彼女だからこそ、それを行使する事でどれだけ疲労するか測れず、労わってくれているのである。
それから荷物を纏めたらすぐに出発するという事で、私達は一度解散した。
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