捌:決別
オロチは鉱山の町に戻り、私はガリューと共に一晩過ごしたが、一晩経っても、クロヴィスの記憶は戻らなかった。
挨拶は交わしてくれるものの、視線を合わそうとはしてこない。
私が今まで通りの口調で話しかけると、嫌そうに顔を顰められてしまった。
だからと言って、一度本人に許された口の利き方を戻す義理もない。
私は半ば意地になって、これまでの口調で話しかけた。
「クロヴィス、記憶を取り戻す方法、何か心当たりはないの?」
「……フェリクスからも父上からも話を聞いて、お前が俺の婚約者だと言う事は理解したが、口の利き方には気を付けろ。俺を呼び捨てにするな」
冷たい口調で言い返され、私はむっとする。
「私は、他の誰でもないクロヴィス自身に、敬語も敬称も不要だと言われたの」
「その俺が、呼び捨てにするなと言っている。いい加減にしないと不敬罪で処罰するぞ」
「残念だけど私は聖女だから処罰の対象外なんですー!」
べーっと舌を出して見せると、クロヴィスはあからさまに憤慨した様子で踵を返して去って行ってしまった。
我ながら子供じみているが、あれだけ私に付き纏って結婚しろと迫ったくせに、あっさり記憶を失って私に冷たく当たるクロヴィスに、悲しみを通り越して怒りにも似た感情が芽生え始めていた。
もしもこのまま、クロヴィスの記憶が戻らなかったら。
それを考える。
私は、クロヴィスにどうしてもと乞われて婚約者になった。
その本人が、それを望まなくなったとしたら、私達の関係は簡単に消えてしまうのではないか。
クロヴィスへの気持ちを再確認したが、相手から想われていないのに結婚などできない。
そもそも、私にはこの世界でやるべき事がある。
私は、意を決して皇帝陛下の元を訪れた。
陛下は、突然謁見を申し込んだ私に優しく応じてくれた。
「どうした? クロヴィスの事か?」
「ええ。お願いがあって参りました」
「ふむ、聞こう」
「クロヴィス殿下との婚約を破棄させていただきたいのです」
ぴくり、陛下の眉が動く。
せいぜい結婚式の延期の進言程度だろうと思っていたのか、少なくとも、流石に婚約破棄を申し出るとは思っていなかった様子だ。
「ご心配なさらずとも、婚約破棄したとしても聖女として帝国を裏切るような事は絶対にしないと誓います」
「いやしかし……」
「そもそも、私と結婚したいと熱烈に申し込んできた側が、そんな事覚えていないと仰るので、婚約破棄は妥当だと思いますが?」
私が半眼になって訴えると、陛下は額を押さえた。
「ううむ……そなたの気持ちもわからないではないが……」
陛下としても、折角まとまって婚約式まで終えた皇太子と聖女の婚約が白紙になるのは避けたいだろう。
帝国の皇帝としても、花婿の父としても、そう思うのは理解できる。
しかし、それでも。
「私は、クロヴィス殿下が私を望んでいないのなら結婚はできません。それが全てです」
それだけを言い放って、私は玉座を後にした。
足早に部屋に戻って、荒々しく扉を閉めた私に、ベッドで丸くなっていたガリューが飛び起きる。
それを尻目に、荷物を纏め始める。
あまり私物は持ち込んでいなかったので、あっさりと旅行鞄一つに収まった。
とにかく、婚約破棄したのなら城に留まる理由は無い。
この人生の本来の目的である、世界平和のために尽力するだけだ。
大丈夫。元々そのつもりだったのだ。
さっさと神殿に戻って、溜まっている聖女の仕事を片付けないと。
そう思いつつ鞄の留め具を止める。その手に、ぽたりと雫が落ちる。
それを見てようやく、自分が泣いている事に気が付いた。
「……っ!」
失って初めて気が付くなんて、私はとんだ愚か者だ。
いつの間にか、彼が隣にいる事が当たり前になっていた。
一度は、共に未来を歩む事を決意した相手。
しかし結局、これから先の人生を一人で生きる事になるなんて。
元々そのつもりだったくせに、一度結婚すると決した事で、一人で生きるという事が、寂しくて仕方がないと感じている。
「……私は、こんなに弱かったの……?」
前世でも、私はずっと一人だった。
それを寂しいだなんて思った事はなかったのに。
ぽたぽたと涙を流す私を、ガリューが何とも言えない顔で見てくる。
「……このまま消えるのは癪だわ……」
私をこんな気持ちにさせて、婚約破棄だけで済むと思うなよ。
あの冷たい目をしたクロヴィスの顔を思い出し、私は紙とペンを取り出してそこに苛立ちをぶつけるように、言葉を書き殴った。
それを封筒に入れて、鞄を手に部屋を出る。
そしてガリューを伴って廊下を歩いていると、向かいからクロヴィスがやって来た。
「……城を出るのか?」
「ええ。私がここにいる理由は無くなったから」
あえて素っ気ない言い方をして、私はクロヴィスに先程認めた手紙を差し出した。
怪訝そうな顔をでそれを受取ろうとしたクロヴィスの腕を掴んで、容赦なく後ろ手に締め上げる。
「いっ! な、何をするんだ! 放せっ!」
「失礼。あまりにも腹が立ったものだから、つい」
捻り上げた手に手紙を握らせて、ぱっと解放する。
「では、もう二度と会う事は無いと思うけど、お元気で」
ふんと鼻を鳴らして踵を返す。
呆然とした様子のクロヴィスが追いかけてくる事はなく、私はそのまま城を後にしたのだった。
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