陸:黒幕
靄を斬ったところで無意味かとも思われたが、靄は四散して消えていく。
皇帝陛下は胸を押さえたまま、気を失ってしまったのかかくんと項垂れた。
「浄化できたようだな」
ジャンが結界魔術を解くと同時に、クロヴィス皇太子殿下は玉座へ駆け寄る。
「父上!」
私とジャンも、彼らより少し手前まで歩み寄るが、そこから見える限りでも皇帝陛下の顔色は間違いなく先程よりだいぶ良くなっている。
おそらく、病と思われていた体調不良の原因は全て先程の黒い靄、つまりは呪いだったのだろう。
「……回復魔術!」
殿下が唱えると、皇帝陛下を中心に光が集まり、ぱっと弾けた。
病気ではなく気を失っているだけなのだとしたら、おそらく長期間に渡る呪いの影響で体力が削られていた事が原因だ。
病気や怪我であれば治癒魔術を使うが、体力消耗であれば回復魔術で事足りる。
「……クロヴィス? 私は一体……」
ゆるゆると目を開けた皇帝陛下は、自身の息子が心配そうに自分を覗き込んでいる事に気付いて怪訝そうな顔をした。
「父上、お体に違和感はありませんか?」
「いや? 寧ろすこぶる気分が良い」
不思議そうにしながら体を起こし、皇帝陛下が私とジャンを見た。
「……そこにいるのはジャンか? 久しいな。お前が此処にいるなんて、何かあったのか……? いや、待て……そうか、私の体が……」
皇帝陛下は、自分の状況を察した様子だ。
「……お前、いや、貴方が新しい聖女か?」
「皇帝陛下にご挨拶申し上げます。この度聖女に任命されました、アリス・ロードスターと申します。陛下の許可なく御前に出たご無礼、お詫び申し上げます」
形式に沿った挨拶をすると、皇帝陛下は私が陛下の許可なく玉座の間に入った事については不問にしてくれた。
まぁ、殿下の許可は得ているので、これで断罪されたら堪ったものじゃないんだけど。
「アリスか。私の呪いを解いてくれたのは貴方だな。心より礼を言う」
「父上、呪いだとご存知だったのですか?」
「ああ。最初の不調は病だと思っていたが、途中から自分の意思で物を言えなくなったからな……」
「まさか、操られていたということですか?」
「ああ。だが、私も皇帝としての意地がある。体の内側から防御陣を展開したが、既に呪いに蝕まれた部分が多く、身体を持っていかれないよう抵抗するのが精一杯だった」
結果、様子がおかしい皇帝陛下は、周囲の者から謎の病に侵されていると思われたのか。
「それにしても、陛下に呪いを掛けるなんて、一体誰が……」
ジャンが呟く。
私は唇を引き結んで、一度瞑目した。
皇帝の周りを取り巻いていた黒い靄。
あれが全て呪いによるものだとしたら、呪いを掛けた人物はとんでもなく強い魔術師だと思われる。
この世界に魔術師は決して多くない。
神官長、大神官、神官までは皆大なり小なり魔術を扱えるが、神官見習い三十人の中で、まともに魔術が使えたのは私を入れてたったの三人だ。
それ以外は簡単な魔術さえ使えなかった。
当然、世間的にも魔術師は少ない。
大きな街に一人、いるかどうかだ。
そして、あれだけの呪いを掛けられる人物はとなると、思い浮かぶのは一人しかいない。
「アリス? 何か心当たりがあるのか?」
私の様子に気がついた殿下が詰め寄ってくる。
証拠がある訳ではない。
だが、私の直感が言っている。
「……あれだけの魔術が使える人物となると、私が知る限りゴーチエ神官長しかいません」
その名前に、皇帝陛下がピクリと反応するが、最初に口を開いたのはジャンだった。
「まさか! 神官長が皇帝陛下を呪うだなんてありえない!」
「動機ではなく、あれほどの呪いを掛けることが可能な人物の話です。他に心当たりがおありですか? 一流の魔術師である皇帝陛下に呪いを掛けられるほどの人物に」
私がそう答えると、ジャンは口を噤んだ。
大神官であり、皇帝陛下の旧友でもある彼は、皇帝陛下の魔術の腕前も、神官長の魔術師としての力量も知っているのだ。
「……正直、私もゴーチエを疑っている」
皇帝陛下が、ぼそりとそう呟いた。
「最初に体調不調に陥った時、あの黒い靄に、ゴーチエの魔力を感じた。僅かだったから確信が持てずにいたが……」
「しかし……! 神官長は、長年この国のために尽くしていらしたのです! 皇帝陛下を呪うだなんて……」
ジャンはまだゴーチエを庇っている。
「……なら、私が確かめてきます。皇帝陛下、この件は私に預からせていただけないでしょうか」
陛下に向けて敬礼する。
彼はうむと頷いた。
「良いだろう。この件に関して全権を委ねよう」
「ありがとうございます」
踵を返した私に、殿下とジャンが同時に口を開いた。
「私も同行することをお許しください!」
「……良いだろう」
皇帝陛下は一瞬何か思案するような顔をしたが、すぐに許可を出した。
それを受け、二人はさっと私の横に並ぶ。
「って訳だ。よろしくな」
にっと笑う殿下に、私は真顔で答えてやる。
「足手纏いにはならないでくださいよ」
「殿下に向かって何という口の利き方……!」
引き攣った声を上げるジャンを尻目に、殿下は喉の奥で笑った。
「この俺にそんなこと言うのはお前くらいだよ」
悪態を吐く私に対して何故か満更でもない様子の殿下に目を瞬くが、その疑問は口にしないでおく。
三人で玉座の間を出ると、殿下は再び転移魔術を行使した。
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