伍:迫る危機
クロヴィス皇太子殿下が、半ば呆れた様子で嘆息した。
「お前、まさか魔物じゃないだろうな?」
私はそれをにっこりをした笑顔で返してやる。
「私が魔物に見えますか? 魔物は浄化魔術なんて使えませんよ」
寧ろ、今し方浄化魔術で魔物を浄化したのを見ていただろうが。
「それはそうなんだが……お前、本当に何者なんだ?」
「アリス・ロードスター。ただの聖女ですよ」
私がそう答えると、ジャンがはっとした顔をした。
「……アリス、君は浄化魔術が使えると聞いていたが……まさか、完璧に浄化する事ができるのか?」
そう、『お飾り聖女』は浄化魔術を使える神官見習いから選ばれるが、聖女の条件である『完璧な浄化魔術』を扱える訳ではない。
大神官であるジャンはその事を知っているのだ。
「完璧かどうかはわかりませんが、浄化魔術は使えます」
「……先程の魔物を浄化した際の魔力もかなりの強さだった……まさか、君は……」
彼は何かに気付いたようだ。
私も、今さっき魔物を浄化した瞬間に悟ってしまった。
前世の記憶を取り戻すと同時に、どういう訳か私の魔力量は跳ね上がってしまったらしい。
その影響か、以前はちょっとした穢れを祓うくらいしかできなかったのに、魔物を浄化できる程になっていたのだ。
『完璧な浄化魔術』の定義がイマイチわからないが、殿下の呪いを祓い、中級クラスの魔物を浄化する事が出来た私は、もはや扱えていると言って良いのではないだろうか。
ジャンは一瞬何か思案するように顎に手を当てて、それから殿下を振り返った。
「……殿下、もしかしたら、アリスならば皇帝陛下の御病気も治すことができるかもしれません。早急に、城へお連れしましょう」
「何?」
「完璧な浄化魔術なら、治癒魔術で治せない病気も治せるかもしれません」
「本当か?」
「ええ」
二人は神妙な面持ちで頷き合い、同時に私に振り向いた。
「善は急げだ。転移魔術を使う」
言うや、殿下は左手で私の右腕を掴み、有無を言わさず右手を掲げた。
「失礼」
ジャンは私の左腕を軽く掴む。
転移魔術は魔力の消費が激しい。複数人になると更に消費は比例していく。
それを軽減させるために、転移の対象者同士で手を繋ぎ、術者と物理的に繋がるのは魔術師ならば誰もが知る常識だ。
「転移魔術!」
殿下の強い魔力が膨れ上がり、私とジャンを包み込んだかと思うと、瞬き一つの間に風景が変わった。
そこは、華美な装飾が施された建物の中だ。
帝都の城の中だと、すぐに理解した。
「こっちだ」
殿下に促されて、城の中を歩く。
と、殿下は玉座の間と思われる、一際豪華な装飾の施された扉の前で立ち止まった。
扉をノックして、応答を待ってから部屋に入る。
とても広い空間の最奥に、美しい装飾の椅子が一脚据えられており、そこに一人の男性が座していた。
年の頃は五十歳前後、クロヴィス皇太子殿下と同じ銀髪に青い瞳。
この人物こそが、ファブリカティオ帝国の皇帝陛下、ドミニク・シーマ・ファブリカティオだ。
「誰だ」
力無く、嗄れた声。
先程の殿下とジャンの会話から、皇帝陛下が何かしらの病に侵されている事は察していたが、思っていたよりも病状は良くないようだ。
よくよく見れば顔色も紙のように白い。
「クロヴィスです。父上、聖女をお連れしました」
殿下が私を指す。
しかし、皇帝陛下はこちらに一瞥さえくれようとはしない。目は何処か虚ろに虚空を捉えている。
「要らぬ。今は誰にも会いたくない。下がれ」
「しかし父上」
「くどい。それ以上近寄るな」
その声色に、不吉なものを感じた。
入り口から玉座まで距離があるが、目を凝らすと皇帝陛下の周りに、あの黒い靄が視えた。
「……殿下、失礼を承知で、今すぐ浄化魔術を行使してよろしいですか?」
「まさか、父上にも?」
「ええ。殿下の胸に溜まっていたのと同じ黒い靄が視えます……おそらく、呪いかと」
「皇帝陛下に呪いだって?」
ジャンが信じられないと露骨に顔に出す。
今代の皇帝陛下は名君と謳われているため、民衆からは絶大な支持を得ている。しかし、それは逆に言えば、帝国外には敵も多いという事。
呪いを向ける者がいても、不思議はない。
「俺が許可する。やってくれ」
殿下が頷いたので、私は右手を皇帝陛下に向けて掲げた。
「浄化魔術!」
刹那、私から膨大な魔力が溢れ出し、部屋中に広がった。
特に、集中砲火と言わんばかりに皇帝陛下を包み込み、一際激しく光が燃えるように迸った。
「ぐあぁぁぁっ!」
皇帝陛下が胸元を押さえて悶え苦しみ始める。
「っ! 父上!」
「殿下! 危険です! 下がってください! 思ったより多いです!」
右手は皇帝陛下に向けたまま、左手で殿下の腕を掴んで強く引く。
同時に、黒い靄が皇帝陛下から噴き出した。
それはまっすぐに私達へ向かってくる。
「っ! 結界魔術!」
ジャンが唱えてくれたおかげで、間一髪、靄は私達に届かず弾かれた。
流石は大神官だ。
「あれは、一体何なんだ……」
結界を維持しながら、ジャンが呆然と呟く。
「俺も、こんな黒い靄は初めて見た……」
殿下も驚いた様子だ。そういえば、彼も自身の胸に溜まっていた黒い靄が視えていなかったっけ。
「私だってこんなのは初めてですよ。殿下の胸にあった呪いと同種ですが、量も強さも桁違い過ぎます」
浄化魔術に対して、此処まで抵抗されるとは予想外だ。
私の言葉に、殿下は不安そうに眉を下げる。
「おい、大丈夫なのか?」
「私は聖女ですよ」
不安がらせていても良い事はないので、私はあえて自信満々を装ってそう笑って見せた。
実際、まだ自分の中の膨大な魔力を出し切っていない自覚がある。
「いい加減素直に祓われろーーーっ!」
怒号と共に右手を振り払うと、私の魔力が刃となって黒い靄を両断した。
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