肆:召喚魔術
懐かしい記憶の情景が過る。
あれは、両親を立て続けに亡くして泣いている私の姿だ。
そこに、一人の少年が近付いて来る。
いつも私を揶揄って、虫やカエルを投げてきては私の反応を見て笑っていた悪戯っ子。
彼は私を痛ましそうに見て、何か言いかけては口を閉ざすというのを、数回繰り返した。
そうこうしているうちに、泣いていた私が顔を上げ、少年を睨む。
『何よ。また私を笑いに来たの?』
『ち、ちが……』
『どうせ私はひとりぼっちよ』
『っ! ああそうだな! お前みたいな子供が一人で、この先生きてなんていけねぇよな!』
彼がこの先に何を言おうとしたのかはわからない。
でも、私はその言葉を馬鹿にされたと受け取った。
両親を亡くし、身寄りもない十二歳の少女が、たった一人で生き抜けるほどこの世界は優しくない。
村人の中には優しい人も勿論いたけど、貧しい村だったから他人の子供一人引き受けられるほど余裕がある家はなかった。
だから私は、一人でも生きていくために、その日のうちに村を出て、神殿を目指した。
私の事を嫌っていたのだろうあの少年には、別れの言葉も告げずに。
村の記憶が遠ざかっていくと同時に、私の意識が浮上して目を覚ました。
「っ!」
気を失っていた間に、体に縄が巻かれ、柱に括り付けられていた。
強制召喚によって別の場所に呼び出された直後に不自然に気を失った事を考えると、どうやら催眠系の魔術を掛けられたようだ。
そして首に違和感を覚える。
自分の首元は見えないが、首環のようなものを着けられてしまっているのだと、感触で判断する。
同時に、魔力を感知できなくなっている事に気付いた。どうやらこれによって魔力を封じられてしまっているらしい。
「お目覚めかな?」
その声にはっとする。
顔を上げると、そこには見知った男が立っていた。それと、私の背後側にもう一人別の気配を感じる。
「……リバティ侯爵……これは一体どういうつもり?」
ティアラが盗まれたと知らされた直後に広間にやって来た、あの貴族の男だ。
グレーの眼に、あの昏い光が炯々としている。
彼は、私を見て下卑た笑みを浮かべた。
「聖女様には消えていただく事にしたのだ。入念に計画をして、婚約式直前に失踪、という筋書きを用意した」
「そうまでして、自分の娘を皇太子妃にしたいの?」
「勿論だとも。未来の皇妃を輩出したとなれば、我が侯爵家も安泰、他の貴族にも追随を許さない程の力を得られるのだからな」
まさかここまで強硬手段に出るとは思わなかった。
「……この程度で、私を倒したと思っているの?」
私が不敵に笑って見せると、侯爵は勝ち誇った嘲笑を浮かべる。
「縛られて手も足も出ないくせに何を言うんだか。聖女とはいえただの小娘。魔力さえ封じてしまえば怖いものはない」
油断してくれて助かる。
私を縛り付けているのはただの縄だ。その気になれば簡単に引き千切れる。
「なら、どうして催眠魔術を掛けてすぐ殺さなかったの?」
少なくとも私は油断して召喚を跳ね除けられなかった。そのせいで、召喚先で待ち構えていた催眠魔術にまんまと掛かって気を失ってしまっていたのだ。その状態なら、殺すのも簡単だっただろうに。
「できるものならそうしていた。だが、防御魔術が掛かっていて物理攻撃も攻撃魔術も効かなかったんだよ。あの忌々しい皇太子が、聖女が召喚される直前に防御魔術を掛けたらしいな」
なるほど。私の足元に出た魔法陣を見て、咄嗟に防御魔術を掛けてくれたのか。
防御魔術はあくまでも攻撃にしか反応しない。催眠や召喚といった特殊効果をもたらす魔術は防げないのだ。
だから召喚と催眠は防げなかったが、おかげで無事でいられたという訳だ。
クロヴィスに感謝しないとな。
「……で、防御魔術の効果が切れるのを待っていた、と」
「そういう事だ」
魔力が封じられている今、私自身にクロヴィスが掛けたと思われる防御魔術を認識する事はできない。
つまり、効果が残っているかどうかを知るには魔力を解放しなければならない。
だが魔力が解放された時点で、自分で防御魔術を発動させられるようになるので、クロヴィスの防御魔術が残っている必要は無くなる。
「試させてもらうぞ」
侯爵が視線を私の背後に向ける。
気配だけ感じていた人物が、ゆっくりと私に歩み寄って来る。
足音だけでわかる。熟練の傭兵だ。
殺人を躊躇わない人間を用意したという訳か。
この部屋を見ても、普通の民家だ。部屋の造りや調度品を見ても、侯爵家の屋敷ではなさそうだ。
私を殺した後に死体の処理をしやすい場所を選んだのだろう。
と、傭兵が私の視界の隅に入ってきた。
私の首を目掛けて、剣が振るわれる。躊躇う素振りもない剣筋だ。
しかし。
私は即座に自分を縛り上げている縄を引き千切って横に転がった。
「なっ!」
剣が宙を切って、傭兵が体勢を崩す。
さっと立ち上がった私は、手首の縄を力任せに千切りながら、何が起きたのかわからず唖然としている侯爵を振り返った
「……そろそろ気が済んだかしら?」
防御魔術が効いていた事もあってか、縄を引き千切っても手首が擦れて痛む事もなかった。縄がさほどきつくなかったのも防御魔術のおかげだろう。
「い、今、縄を……!」
三回くらい呼吸した後、状況を理解した侯爵と傭兵が、ぎょっとして足を引く。
普通の縄を引き千切っただけでそんな化け物を見るような目で見ないで欲しいわ。
「さて、と。貴方の失敗は、クロヴィスが近くにいる時に私を強制召喚した事ね。防御魔術が掛かっていなければ、催眠魔術で私を眠らせてそのまま殺せたもの」
「ふん。そんなもの、防御魔術の効果が切れさえすれば……」
「もう遅いわよ。防御魔術の効果なんて関係ない。貴方達はここで私にぶちのめされるんだから」
私はさっと構えた。腰の後ろに隠し持っていた短剣は、縛られたときに没収されてしまったらしい。
素手で熟練の傭兵を相手にするのは少々骨が折れるが、相手は一人だ。それに気配からして彼は魔術師ではないだろうから、私が負ける事は絶対にない。
私は床を蹴って傭兵に距離を詰めた。
「っ!」
彼は剣を振るう。しかし、焦って大振りになったその様は、隙だらけだ。
「甘いわよ」
私は剣を躱して男の胴体に蹴りを入れる。
流石に吹っ飛びはしなかったものの、男は数歩よろけた。
それから私を睨み、再び剣を振るってくるが、私はそれを避けて彼の懐に入り、彼の顎目掛けて拳を思い切り突き上げた。
顎は急所の一つだ。打てば脳が揺れる。
その一撃で、男は目を回して膝を衝いた。
その隙に、背後に回り込んで項を思い切り手刀で叩く。
傭兵の男は、そのままどさりと倒れ込んだ。
「お、おいっ!」
頼みの綱の傭兵が倒されて、侯爵が動揺する。
この家に、私達三人以外の人間の気配はしない。傭兵が倒れた今、彼を守る人間はもういない。
「あと、貴方の失敗は、少人数で来た事ね。まぁ、聖女殺しなんて重罪、普通なら執事にも反対されるだろうし、下手すれば内部告発されて一巻の終わりだものね」
だから金で人殺しも厭わない傭兵を雇い、彼だけを連れてこの計画を実行に移したのだ。
私は再び床を蹴って侯爵との間合いを詰めた。
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