壱:盗まれたティアラ
翌日、婚約式典の流れの最終確認で、参列予定の皇族が皆、城の大広間に集まっていた。
当然、皇帝陛下と第一皇妃の他、第二皇妃、第二皇子と第三皇子まで勢揃いしている。
第二皇子であるフェリクス・フーガ・ファブリカティオ殿下は現在十九歳で、帝国傘下のダイサージャー王国に留学中だが、婚約式のために一時的に帝都に戻ってきている。
また、現在十七歳の第三皇子オスカー・ティアナ・ファブリカティオ殿下は帝都の外れに校舎を構える貴族学校に在学中で、基本的に寮生活だそうだ。彼もフェリクスと同様、明日のために一時的に城に戻って来たらしい。
フェリクスの母君は第二皇妃、オスカーの母君はクロヴィスと同じ第一皇妃だ。
それを象徴するように、フェリクスの瞳の色は第二皇妃と同じ翠、オスカーはクロヴィスと同じく宝石のような青色をしている。
「兄上、この度はご婚約おめでとうございます」
フェリクスがクロヴィスに歩み寄る。
「ありがとう。フェリクス、ダイサージャーはどうだ?」
「良い国ですよ。自然は豊かで人々も穏やか。是非今度、兄上もいらしてください」
「ああ、そうさせてもらおう」
兄弟仲は良好のようだ。
安堵していると、彼は私に向き直り、胸に手を当てて敬礼の仕草を見せた。
「聖女アリス様におかれましてはご機嫌麗しゅう。第二皇子フェリクスと申します」
穏やかな微笑みでそう名乗った彼に、私も深い一礼を返す。
「今代聖女のアリス・ロードスターにございます。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします」
顔を上げた時、フェリクスはほんの一瞬、睨むような視線を私に向けていた。
翠の瞳に昏い光は視えない。だが、ごく僅かに敵意のようなものを感じ取って、無意識に警戒する。
どうやら、心から歓迎はされていないらしい。
とはいえ、彼がクロヴィスに見せる眼差しには尊敬の念が視えるので、兄を疎ましく思っているから私まで憎い、という訳ではなさそうだ。
「アリス様、僕は第三皇子のオスカーです。どうぞよろしく」
優雅な所作で一礼して来たのは、第三皇子のオスカー。
クロヴィスとよく似た面差しで、知らないはずの彼の数年前の姿を見ているような気分になる。
「今代聖女のアリス・ロードスターにござ……」
フェリクスにしたように挨拶を返そうとしたのも束の間、オスカーはさっと私の両手を掴んだ。
「アリス様の御美しさには心を打たれました……! もしも兄上に不満があったら、今からでも僕と婚約してください! 僕は第三皇子なので、皇太子妃よりもいざこざは確実に少なくて済みますよ」
ニコニコ笑いながら、冗談なのか本気なのかイマイチわからない口調でそう言ったオスカーの手を、クロヴィスが無理矢理引き剥がした。
「婚約式を明日に控えた相手に言う冗談じゃないぞ」
クロヴィスが苛立っているのが伝わってくる。
「婚約式が明日という事は、まだ正式に婚約していないという事でしょう? 今ならまだ間に合うじゃないですか」
「招待客には皇太子と聖女の婚約と言って招待状を出している。もう間に合わない」
「そんなのどうにでもなりますよ。聖女様が直前に辞退したって言えば、代わりに婚約者に名乗り出る貴族令嬢は大勢いますから。聖女様の気まぐれ、と言えば、婚約者が変更になっても咎める貴族は少ないでしょう」
ピリピリと、嫌な雰囲気が肌を指し始めたその時だった。
バタバタとした慌ただしい足音が廊下に響き渡った。
その場にいた全員が、その足音に振り返る。
直後、広間の扉が乱暴に開かれ、イーサンが飛び込んできた。
「殿下! 大変です! ティアラがっ! 聖女様のティアラが無くなりました!」
普段は冷静沈着でいる彼が、珍しく取り乱し青褪めていた。
「何だと!」
「昨日保管庫にしまって、施錠したのですが、今し方こちらへお持ちするために保管庫へ行ったところ、置いたはずの場所になく……!」
「っ!」
クロヴィスは、舌打ちして即座に探知魔術を発動させた。
あのティアラには魔鉱石も装飾に使用されていたので、微量ながら魔力を含んでいる。そういう物は探知しやすい。
「……北方のサーブ山脈の麓か……随分足が速いな」
ティアラの所在を視たらしいクロヴィスが忌々しげに吐き捨てた。
サーブ山脈は、帝都の真北から真東まで弧を描くように伸びた山脈である。
帝都はただでさえ大陸の中央より北に位置しており、夏も過ごしやすいが冬は厳しい。それよりもさらに北にある彼の山脈は総じて標高が高く、真北の連峰に至っては常に雪が積もっている。
北方のサーブ山脈の麓と、というのは、おそらくそのどれかの麓を指していると思われる。
「取り返してくる。何に手を出したのか、思い知らせてやる」
その顔を見て、焦燥が胸を焼く。
駄目だ、今のクロヴィスは冷静さを欠いている。その状態では足を掬われかねない。
「私も行くわ」
「だが……」
「盗まれたのは私のティアラよ。誰の物に手を出したのか、思い知らせなくちゃ」
私がそう言って笑って見せると、クロヴィスは一瞬言葉を呑み込み、それから根負けした様子で頷いた。
「……そうだな。行こう」
「おい、クロヴィス、またお前は勝手に……!」
皇帝陛下が少々呆れた様子でクロヴィスを諌めようとするが、彼は振り返って不敵に笑うだけだ。
「私が行かなくて誰が行くんです?」
「お待ちください殿下! 罠の可能性もあるんです! ここはガレス騎士団長に……!」
イーサンがそう訴えた時、広間に別の男が入って来た。
「これはこれは、皇帝陛下、並びに皇族の皆々様にご挨拶申し上げます……おや? 何やら物々しい雰囲気ですが、何かあったのですかな?」
褐色の髪にグレーの瞳を有し、妙にわざとらしい物言いをする男の名は、ヴァルガス・リバティ。帝国の中でもそれなりに権力を持つ侯爵だ。年の頃は四十代の後半程。
確か、年頃の娘がいて、クロヴィスとの結婚を目論んでいたはずだ。私が現れた事で白紙になって、相当悔しい思いをしたのだろう。今でも私と目を合わそうとしない。
「リバティ侯爵、申し訳ないが、今少々立て込んでいる。何か用があるなら、イーサンに託けてくれ。イーサン、後を頼むぞ」
そう言って横をすり抜けていくクロヴィス。私も侯爵を気にしつつ後に続く。
話の途中だったのに丸投げされてしまったイーサンが、おろおろしているのが視界の隅に映った。
と、擦れ違い様に、侯爵が私にだけ聞こえるような声で囁いた。
「婚約式前日だというのに、落ち着きませんなぁ。これならば、我が娘と婚約者の座を交代なさってはいかがです?」
思わず振り返ると、妙に勝ち誇ったような顔で私を見ていた。
その瞳の奥には、あの昏い光が揺らいでいる。
高位の貴族ならば、他者を蹴落としてでも自分の権力を強めようとする者は多い。この光が視える事はさほど不思議はない。
だが、嫌な予感がした。
まさかティアラを盗んだのはリバティ侯爵か。
そう過ったが、証拠は何もない。今の発言と、瞳の奥に昏い光を視たというだけでは罪に問うなど不可能だ。
「……お言葉ですが、私を選んだのは他でもないクロヴィス殿下ですので」
一度振り返って笑顔で答えてやると、侯爵は露骨に顔を顰めた。
そのまま身を翻して再びクロヴィスに並ぶと、彼は侯爵を一瞥した後忌々し気に吐き捨てた。
「リバティ侯爵、やたら自分の娘を俺の婚約者に推していたが、まさかティアラを盗んだのか……」
「ティアラを盗んだとしても、私とクロヴィスの婚約が白紙になる訳じゃないのに、そんな事するかしら?」
「お前を逆恨みして嫌がらせをするのが目的なら、あり得ない話じゃない。もしかしたら、お前を城の外へ誘き寄せる事が目的かもしれない」
「婚約式に間に合わないように、とか?」
「ああ。もしもアリスが単身で城を出ていたら、婚約式をすっぽかすような聖女に代わって自分の娘を、とか言い出しかねない」
確かにそれが目的だとすれば、動機は充分だ。
だが、ティアラの管理は私ではなくクロヴィスが行っていた。ティアラが行方不明になったとしても、私だけが城を出る事を想定するのは不自然だ。
「……でも、動機だけで言えば他にも容疑者はいるわね」
「そうだな。自分が皇太子妃になりたい貴族貴族令嬢だけじゃなく、聖女を皇室に入れる事を快く思わない連中も一定数いるからな。そいつらの誰かが盗賊を金で雇った可能性もある」
何か心当たりがあるような言い方で呟き、クロヴィスはそれらを振り切るように首を横に振った。
「……とにかく、身支度を整えたらすぐにサーブ山脈に飛ぶぞ」
「わかったわ」
サーブ山脈は、帝都の北に連なるかなり険しい山群で、今の時期は積雪しており、吹雪に見舞われる事も多い。
薄着で行けば凍死してしまう。
私は準備のために、一時的に宛がわれている自室に向かった。
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