肆:大神官
クロヴィス皇太子殿下は、私の手を取ってエスコートするように神殿内を歩いた。
案内をしてほしいと言ったくせに、これでは私が案内されているように見えてしまいそうだ。
と、向かいから足早にこちらにやって来る人物が現れた。
褐色の髪にくすんだ碧の瞳の壮年の男性、大神官のジャン・フリードだ。
「ジャン! 久しぶりだな!」
殿下が嬉しそうに声を上げる。
「ああ、殿下、ご無沙汰しております。御父上もご健勝でしょうか」
穏やかに微笑むジャンに、殿下は表情を曇らせた。
「……殿下? もしや陛下の御加減が思わしくないのでしょうか?」
心配そうにするジャン。
皇帝陛下と皇太子殿下と、妙に親しそうだ。
「……心配するな。今、城の魔術師が総出で原因を探っている」
その言葉に、皇帝陛下の容態が悪い事を悟る。
城の魔術師が総出で掛かって、原因がまだ掴めていないというのだ。
「……そうですか」
項垂れるジャンに、私は思わず口を開いた。
「ジャン大神官は、皇帝陛下と旧知の仲なんですか?」
「え? ああ、私がまだ帝都の学校に通っていた頃の同級生でね」
「皇帝陛下と同級生?」
流石に驚く。
神官の中には貴族の出の者もいるが、皇族が通う学校に在学していた者は流石にいない。
皇族が通うのは、帝都にある由緒正しい学校で、貴族でも伯爵家以上でなければ入学できないはずだ。
「私の父が先代皇帝の側近だったんだ。私は末っ子でね。学校を卒業する頃、家の事情で外に出る事になり、神殿に入ったんだ」
先代皇帝の側近ともなれば、爵位は公爵か侯爵だろう。
ジャンは三人の大神官の中で最も良識のある人物で、次期最高神官と目されている。佇まいにも品の良さが滲み出ていたので、高位貴族の出身だと聞いて腑に落ちた。
「だから、神事における皇帝陛下との打ち合わせは基本私が担当していたんだ」
「それでクロヴィス皇太子殿下とも親しげだったんですね」
「ジャンには子供の頃、よく相手してもらっていたからな」
殿下はそう言って笑う。
心を許している人物の前では、そのように破顔するのかと感心してしまう程、少年のような笑顔だ。
と、その時、唐突に嫌な気配が走った。
魔力と殺気だ。
物凄い速さでこちらに近付いて来る。
「っ! 殿下! 下がってください!」
叫んで前に出る。
一拍遅れて、二人も異変に気付いて身構えた。
その直後、腰の高さくらいまである黒い影が、目の前に顕現する。
それは獣のような形をしていて、深紅のぎらぎらした眼をこちらに向けている。
「魔物!」
結界が張られているはずの神殿の中に、こんなに大きな魔物が現れるなんて、本来ならばあり得ない事態だ。
「アリス! 下がれ!」
殿下が私を庇おうとするが、私はその腕を擦り抜け、床を蹴った。
神官見習いの制服は動きにくいが、仕方ない。
影を観察して、瞬時に急所を探る。
影がこちらの動きに反応して咢を開いた。
鋭い牙が覗くが、影が私に飛び掛かるよりも速く、その顔と思われる所に、思い切り拳を叩き込んでやる。
「まったく、神殿に侵入して急に襲い掛かって来るなんて、躾がなってないわね」
溜め息交じりに呟きながら、耳障りな悲鳴を上げる魔物の口を掴んで地面に引き倒し、頸を踏み付けて動きを封じる。
その頭と思われる個所に右手を翳し、唱える。
「浄化魔術!」
刹那、黒い影ははらはらと消えていった。
「……は?」
殿下とジャンが、呆然と私を見ている。
ドン引き、まさにそんな様子だ。
無理もない。聖女に選ばれた元神官見習いの少女が、神殿に迷い込んできた魔物を素手で倒してしまったのだから。
彼らの心情を察しつつも、私は両手をぱっぱっと払いながら振り返る。
「お怪我はありませんか?」
「あ、ああ……いや、え? お前、何をしたんだ?」
混乱極まれり。殿下は私をまじまじと見つめてからジャンを振り返った。
「ジャン、俺が今見たと思うものは幻か? 神殿内に魔物が現れたと思ったら、アリスが一瞬で撃退したように見えたんだが……」
「いえ、殿下、私にも全く同じものが見えました」
「……今の魔物、気配で察知しただけで、中級クラス以上だったぞ」
魔物はその強さと獰猛さによって、危険レベルが設定されている。
例えば、サラマンダーと呼ばれる火を吹くドラゴンが上級クラスとされている。
体が大きく、膨大な魔力を有していて炎による攻撃力も高い上に、好戦的なので、森や山で鉢合わせると一般人では太刀打ちできない。
逆に、スライムはその辺にごろごろいるが、こちらから手出ししない限りは襲ってこないし、核となっている部分を破壊すれば魔術なしでも簡単に倒せるので危険レベルは最低級クラスに設定されている。
中級はその中間、一般人でも鍛え抜かれた剣士であれば倒せる、というのが基準の一つとされている。
先程の魔物の正体はわからなかったが、中級クラスという判断は間違っていないだろう。
「それを、聖女が、素手で……?」
その声に振り向くと、ジャンが、信じられないものを見るような顔で私を見ていた。
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