拾:帰還
アルバートが降伏を宣言した事で、城は大騒ぎになったが、クロヴィスがすぐに国立騎士団を召喚し、城内の制圧と共に混乱を収めるよう指示を出したので、暴動が起きる事はなかった。
中には事情を知って、「エルヴィラ王女とあの国王ならやりかねないな」などと呆れた様子の者もいたようだ。
また、国王を捕虜として帝国に連行する事になったので、クロヴィスはアルバート王太子を新たな領主として擁立した。聡明な彼は、その場で帝国に忠誠を誓った。
第二王子であるウィリアムは腕を買われて国立騎士団に入団する事になった。真面目な彼は状況も理解していたため、すんなりそれを受け入れ、兄同様帝国に恭順の意を示した。
エルヴィラは結局神殿に入れる事になり、本人は物凄く騒いで拒否していたが、新たな国王となったアルバートに平手打ちをされて黙り込んだ。
「エルヴィラ、今回の件は、全てお前の我が儘が招いた結果だ。クロヴィス皇太子殿下が恩情を見せてくださらなければ、俺達は殺されても文句など言えない立場だったんだぞ。それを心に留め、神殿でその腐った性根を叩き直してもらえ」
顔を真っ赤にして俯くエルヴィラを見ながら、私は正直、神殿に迎え入れるのはちょっと嫌だなぁとか考えていた。
皇太子の婚約者となった今、神殿と城を行き来する事も増え、神官見習いと接する機会は減っているが、それでも皆無ではない。
と、ここでふと、デボラの顔が浮かんだ。
ガスパル大神官の娘で、エルヴィラ同様溺愛されてきた彼女もまた、神官見習いとして修業中だ。
私が神官見習いだった時は、散々虐めてきていた彼女も、今となっては可愛いもので、命令にはきちんと従う。聖女と言う立場は、神官見習いにとってそれだけ大きいのだ。
私を虐めていた時のデボラの様子を思い出すと、エルヴィラの傲慢な態度と重なった。
しかも二人ともクロヴィスに一目惚れしたという点も共通している。男の趣味も合うなら、もしかしたら二人は気が合うかもしれない。
よし、エルヴィラの初期教育はデボラに丸投げしよう。そうしよう。
二人がお互いを見て、己の傲慢さを治す機会になってくれれば良いのだけど。
そんな事を考えていると、騎士団と話していたクロヴィスが私の元に戻ってきた。
「アリス、後の処理はガレスとオリヴァーに任せて俺達はそろそろ戻ろう」
「そうね」
頷いて、なんかどっと疲れたな、と思いながらオロチを見る。
「……オロチ」
「何でございましょう?」
「私の疲労を食べてくれる?」
そう口にした瞬間、オロチがかっと目を見開いた。
「っ! よろしいのでございますか!」
「ええ。疲れたから、疲労を食べてくれると私もありがたいし、貴方にはご褒美になるんでしょう?」
「ああっ! 何と言う幸福でございましょうか!」
感涙に咽びながら、オロチは片膝を衝いて、私の差し出した手を取った。
オロチが人間の疲労を喰らう際には、その対象に触れていなければならないらしいが、逆に言うと触れさえすれば疲労を喰えるという事だ。
オロチに握られた手から、するすると疲れが抜けていく感覚がした。
「ああっ! なんて甘美な疲労! 私にはこれ以上にないご馳走でございます!」
恍惚の表情で私を見上げるオロチに、私はこほんと咳払いをした。
「今回はありがとう。たまたま同行してくれたとはいえ、オロチがいてくれて助かったわ。もう大丈夫だから、アテンザ伯爵領の町に戻って、引き続き町を守りなさい」
「その言葉、身に余る光栄にございます。ご命令、承知いたしました」
頷いた直後、彼の姿はふっと掻き消えてしまった。
また無詠唱で転移魔術を発動させたらしい。
「……本当に、色んな意味で恐ろしい奴だな」
クロヴィスが呟く。
「本当にね。彼が味方で良かったわ」
「まぁ、それを言うと、俺もアリスが味方で良かったよ」
「え、何よ急に」
クロヴィスの発言に驚くと、彼は僅かに苦笑し、私の肩を抱いて転移魔術の呪文を唱えた。
瞬き一つの間に、別の部屋に移動した。
「……ここは?」
「俺の部屋」
「はぁっ?」
皇太子であるクロヴィスの私室に入った事はこれまでにない。
この世界の王族貴族の男女は、婚約段階では互いの部屋を行き来したりしない。それが常識であり、暗黙の了解なのだ。
「ちょっと! まだ婚約したばかりで、婚約式だってしてないのに、私が部屋に入って良い訳が……!」
「お前の部屋に直接転移魔術で移動すれば問題ない。それより……」
あっけらかんとそう言ったかと思うと、クロヴィスは私は強く抱き締めた。
ブローチから解放された直後よりも、強く。
「く、クロヴィスっ?」
「本当に、助けてくれてありがとう」
その一言に、クロヴィスの想いが全て詰まっていた。
自分に置き換えてみれば、その恐怖がわかる。
自分に懸想した誰かが自分を封印して連れ去り、解放してもらえなかったら。
解放されたとしても、同時に操作魔術を掛けられてしまったら。
自分が自分でいられなくなるなんて、想像するだけでもぞっとする。
クロヴィスも、囚われている間ずっとそんな恐怖に苛まれていたのだろう。
私はふっと体の力を抜いて、彼の背中をぽんぽんと軽く叩いた。
「……最初からそうだが、本当にお前には敵わないな……」
クロヴィスはそう呟きながら腕を緩めた。
私の顔を見て、少しだけ苦い笑みを零す。
「……本当は、俺がお前を守れるようになりたいんだけどな」
「私の方が強いのに?」
単純な魔力量だけで言えば、正直どちらが上かはわからない。
魔術の練度としては、皇太子として英才教育を受けて来たクロヴィスの方が圧倒的に上だ。だから転移魔術のような高度な魔術を連発しても疲労度が私と全然違う。彼は効率良く魔力を術式に落とし込む技術を体得しているのだ。
だが、攻撃魔術と体術が絡んだ戦闘になると、多分私の圧勝だろう。
攻撃魔術であれば私の前世からの特殊能力が機能して高出力の技が出せるし、素手での殴り合いや単純な剣術ならば正直負ける気がしない。
「ああ。俺がお前を守りたいんだ……俺がお前に守られるのではなく」
クロヴィスの手が私の頬に触れる。
心臓が早鐘を打ち始め、顔が熱くなるのがわかった。
「だだ、駄目! ま、まだ婚約式もしてないのにっ!」
「わかっている。今はこれで我慢する」
過剰な接触は駄目だと首を横に振った私に、クロヴィスは苦笑して私の額に唇を落とした。
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