陸:裏切りと宣戦布告
アルバートから報告を受けた国王は、青褪めた顔で額を押さえた。
五十歳前後の国王はアルバートとエルヴィラと同じく、朱色の髪と翠の瞳を有している。
「……エルヴィラ……同行を許すべきではなかったか……」
「父上がエルヴィラの我が儘を許したんですよ」
アルバートが非難めいた口調で言い放つ。
なるほど、どうやら彼女は父親に溺愛されてきたのか。
それであの傲慢な性格に育ってしまったと。
頭の中で、彼らの関係性を描く。
娘を溺愛する父、我が儘な娘、振り回される兄二人。
アルバートとウィリアムに同情を禁じ得ない。
「で、どうするんです? このままでは帝国が総力を挙げて攻めてきますよ!」
「まぁ落ち着け。攻めて来たとて、皇太子は封印されていて、その魔具もこちらにあるんだ。帝国とて下手に手出しはできんだろう」
「……皇太子を人質にすると?」
アルバートは、侮蔑にも似た表情で国王を見た。
帝国は、敵国であるリベラグロ王国の申し出でモルドレッドの引き渡しに応じてくれたというのに、その仕打ちがこれかと、その顔が訴えている。
どうやら王太子のアルバートはかなり常識人らしい。
一方の国王は、良からぬことを企む顔で続けた。
「これは僥倖だ。正面から戦争して持久戦になれば、今の我が国はもたん。だが、もし向こうが、皇太子を奪い返すために主力を差し向けて攻め込んでくるのならば、誘い込んで一網打尽にしてやれば良い。主力さえ押さえ込めれば勝機はある」
「しかし! 帝国には聖女もいるんです! 一網打尽にできないおそれも……!」
「聖女なんて、浄化魔術しか取り柄のない小娘だろう? 浄化魔術では魔具の発動を止める事はできん。恐れるに足らんよ」
ふん、と鼻を鳴らした国王。
その言い分に、思わずカチンときた私は、思わず飛び出してやろうとして思い止まる。
敵国の王城で、感情に任せて動いても良い事はない。常に冷静でいなければ。
己を律した、その時だった。
「聖女アリス様を侮辱する発言が聞こえましたが?」
オロチの声が玉座の間に響いたと同時に、室温が氷点下まで下がるような心地がした。
「何だ!」
国王とアルバートが辺りを見渡す。
オロチは遮蔽魔術が掛かっている状態で、玉座の前に立っていた。彼らの視線からして、どうやらオロチの姿は見えていないらしい。
オロチは、魔力の一片も零すことなく姿を隠したままそこにいる。それは私の命令を守っているようだが、つい先程エルヴィラの持っている魔具を見張れと言ったのに、何故ここにいるのか。
「アリス様を侮辱することは、私が許しません」
オロチが言い放った刹那、国王とアルバートがその場に縫い留められたように動かなくなった。
「馬鹿な! 何をした!」
「蛇に睨まれた蛙、という事です」
確かに、高位の魔物は格下の相手であれば睨むだけで身動きを封じられると聞いた事がある。
オロチほどの魔物であれば、余裕だろうな。
元々蛇だし。
蛇に睨まれた蛙、というのは彼の例え話だろうが、言いえて妙である。
「さて、先程の発言を撤回して、地に手をついて謝罪するのなら、命までは取りません。どうしますか?」
オロチの言葉に、国王は顔面蒼白でがたがたと震え出した。
国王からしてみれば、得体の知れない何かが同じ部屋にいて、姿を見せずに自分の動きを封じてきている状態だ。相当に恐怖だろう。
「しゃしゃ、謝罪する! 先程の言葉は撤回し、心よりお詫びを……!」
叫んだ瞬間、ひゅんとオロチから何かが放たれ、国王の左耳を打ち抜いた。
「地に手をついていません。やり直し」
ひっと国王が息を呑む。
いや、そもそも彼は今オロチに睨まれて身動きが取れない状態なのだ。それでその姿勢を咎められるのは流石に理不尽過ぎる。
と、オロチも自身の言葉の矛盾に気が付いたらしく、国王の拘束を解いた。
「おっと失礼。私に睨まれたままでは地に伏す事もできませんでしたね。さぁ、もう一度」
オロチが促す。国王は震える手を床につき、頭を垂れた。
「大変なご無礼、どうかお許しください……っ」
悔しそうな顔をしてはいるが、言葉では確かに謝罪している。
「……まぁ、良いでしょう。次はありません」
オロチはそれだけ言い残し、ふっとその場から消え去った。
元々姿は見えなかったが、部屋の室温が戻るように空気が緩んだのを感じて、彼が部屋から出た事を悟る。
遮蔽魔術を掛けていて尚、これだけの威圧感を放てるオロチは、本当にどれだけの力を隠し持っているのだろう。
「……今のは何だったんだ……」
呆然と呟く国王の耳に、アルバートが素早く治癒魔術を施す。
「聖女様の使いでしょうか……かなり心酔している何かだった事は間違いありませんが……気配も魔力も何も感じなかったのに、声だけが響いて動けなくなった……今の何かが帝国側の兵力だとすれば、我々に勝ち目はありませんよ」
アルバートが神妙な面持ちで呟く。
実際、オロチは一騎当千。その気になれば、一人でこの国を滅ぼす事も可能だろう。
今のオロチの暴走が、彼らの抑止力になってくれるのならば良いのだけど。
そうでなければ勝手をしたことについて、お仕置きしなければなるまい。
そこまで考えて、なんかオロチはいかなるお仕置きもご褒美とか言い出しそうで、それ以上は考えるのをやめた。
と、国王は何かに気が付いたように顔を上げた。
「エルヴィラ……! 帝国の聖女を目の敵にしていただろう! 今すぐエルヴィラの護衛を固めろ!」
国王の引き攣った声に、アルバートは小さく嘆息して玉座の間を後にした。
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