弐:過去の話
クロヴィスは暫しの沈黙の後、げんなりした様子で口を開いた。
「……モルドレッドの引き渡しに、第一王女が同席するらしい」
意外な言葉に、私は思わず間の抜けた声を出してしまった。
「は? 何でわざわざ第一王女が?」
王太子または第二王子ならまだ理解できる。
リベラグロ王国の王太子は二十三歳で外務大臣として交易も担当しており、第二王子は二十一歳で王立騎士団に所属している。共に他国から罪人の引き渡しで駆り出される可能性は高い立場にある。
だが、王女は違う。まして未婚で政務にも携わっていない王女が、自分を殺そうとした犯人の引き渡しで顔を見せるとは、どういう了見だろう。
「リベラグロ側の言い分だと、第一王女はモルドレッドに殺されかけた被害者であり、最もモルドレッドを追及する権利があるから、だそうだが……まぁ、口実だろうな」
額を押さえるクロヴィスに、私は全てを察した。
「……だから私を呼んだのね?」
「ここまで黙ってた事は悪かったよ。リベラグロ側が王女と俺との結婚をまだ諦めてないんだとしたら、婚約者の存在を見せつける事は大きな意味がある。だからお前に逃げられる訳にはいかなかったんだ」
「もう逃げないって約束したじゃない」
私がそう答えると、クロヴィスは意外そうに目を瞠り、それからふっと微笑んだ。
「そうだったな……ありがとう」
まだ逃げると思われていた事は正直心外だが、再三に渡って彼から逃げていたのは他でもない私自身なので、その点はあまり文句を言えない。
「それにしても、リベラグロ王国の第一王女か……会った事は?」
「ない」
クロヴィスがきっぱりと答える。
まぁ、冷戦中の敵国なんだから、そりゃそうか。
納得しつつ、記憶を手繰る。
神官見習いの時に近隣国の歴史については一通り習った。当然現在の王族の名前も頭に入っている。
第一王女は、エルヴィラ・シビック・リベラグロ。年齢は確か十九歳。
その歳まで婚約者が決まっていないのは、この世界の王族としてかなり珍しい。
一般的には、王女であれば幼い頃に政略結婚で相手が決まる事がほとんどだ。どんなに遅くとも、十七歳くらいまでには婚約する事が多い。
そういえばクロヴィスも、今二十歳だったはず。皇太子なのに、これまで婚約者がいなかったのはかなり異例だろう。
「……そういえば、クロヴィスって今まで一度も婚約した事ないの?」
ふと気になって尋ねると、彼は僅かに苦笑しながら頷いた。
「ああ。年齢と家柄が釣り合う令嬢が少なくて難航していたんだ。数少ない候補者も、皆俺の地位だけを見て媚び諂う女ばかりで辟易していたからな」
「……だから初対面で腕を捻り上げた私を気に入ったの?」
そう聞き返すと、彼は私たちの初対面を思い出したらしく小さく笑った。
「腕を捻り上げられたのも驚いたけど、そこじゃないぞ。お前は、俺が皇太子だと知っても媚びなかった。それが新鮮だったんだ」
納得したような、まだ腑に落ちないような。
「俺に向かって、足手纏いになるな、とか言う女は、後にも先にもお前だけだよ」
クロヴィスは更に楽しそうにくつくつと笑う。
そして、急に真面目な顔になったかと思うと、テーブルの上に置いていた私の手をぎゅっと握った。
「王女が同席する事で、アリスが何かしら不快な思いをするかもしれない……だが、俺が矢面に立つ。嫌な事は何もしなくて良い。無理はしないでくれ」
「ありがとう。でも、大丈夫よ。不快な思いなら、前世で十分経験した。あれを超えるものは、きっとこの世界ではそうそうないと思うから」
言いながら思い出すのは、前世の記憶にある情景。
飛び散る血飛沫と、赤く染まる両手、肉を切る感触、骨が砕ける音、引き金の重さ、火薬の臭い。
前世の私は暗殺者だった。だが、快楽殺人者ではなかった。あくまで仕事として、自分が生きるために仕方なく殺しの仕事をしていた。
殺しの依頼を数多くこなすようになって、いつしか感覚は麻痺していたが、人の命を奪うあの感覚を、不快と呼ばず何というのだろう。
「……そうか」
彼は小さく呟きながらも、私の手を握るその手を緩めはしなかった。
クロヴィスには、私の前世について少しだけ話した事があるが、詳しく語った事はない。これからも語るつもりはない。
「お前の前世については、俺にはどうしようもできないが、これからの人生は変えられる。俺は、絶対にお前を幸せにしてみせる」
不覚にも、胸が高鳴ってしまった。
幸せになる権利なんて、私にはないと思っていたから。
前世で大勢の人を殺めた私は、アリス・ロードスターとしてのこの人生は贖罪のための時間だと解釈している。だから世界平和のために尽力すると誓った私にとって、自分の幸せは二の次だ。
だから本当に幸せになれるかどうかはさておき、クロヴィスにそう言ってもらえた事が、何より嬉しかった。
「……ありがとう」
不意に涙が込み上げてきたのを堪えた私は、多分これまでで一番下手くそな笑みを浮かべてしまった。
それを隠すように俯くと、クロヴィスが何かを堪えるように天を仰いだのが、視界の隅に映った。
「……クロヴィス?」
「……アリス、お前は俺を試しているのか?」
天井を向いたまま、額に手をやる彼に、私は訳がわからず首を傾げた。
「試す?」
「……無自覚か……」
クロヴィスは深々と溜め息を吐く。
「……アリス、頼むから今みたいな顔、俺の前以外でするなよ?」
「今みたいな顔?」
泣きそうになるのを堪えたことを言っているのだろうか。
彼の言葉の意図が掴めず首を傾げると、クロヴィスはもう一度深い溜め息を吐いたのだった。
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