参:嫉妬
聖女の部屋の前まで来た時、大神官の一人、アネット・シエンタに呼び止められた。
アネットは三人いる大神官の紅一点で、四十歳と聞いているが二十代と言われても納得できるほどの美貌の持ち主である。
栗色の髪を綺麗に纏め上げ、赤みがかった褐色の瞳が印象的だ。
「貴方が聖女に選ばれたアリス・ロードスターね。少し話しておきたいことがあるんだけど、良いかしら?」
赤い唇で微笑むアネットに、断る理由もないので頷く。
「では、荷物を置いたらお部屋にお伺いします」
「ええ、待っているわね」
彼女がそう返したので、私はすぐに部屋に入って、手近な棚の上に荷物を置いた。
歴代聖女が使用していた部屋だけあって、広く、華美ではないが上質な家具が揃っている。
聖女の部屋のすぐ隣はゴーチエ神官長の部屋で、その隣がアネットの部屋だ。
扉をノックし、彼女に促されるまま、彼女の私室へ足を踏み入れる。
聖女の部屋程ではないが広く、質の良い調度品が設えられている部屋で、ふかふかのソファに腰を下ろす。
その向かいに座って、アネットは口を開いた。
「聖女の選抜について、納得はできたかしら?」
唐突な質問に、思わず口を噤む。
納得など、できるはずがない。
民衆を不安にさせないためとはいえ、聖女の力を持たぬ少女をお飾りの聖女として擁立し、結局は民衆を騙しているのだ。
しかも、本物の聖女が現れた場合、お飾り聖女は秘密裏に殺されてしまう。
それを、『お飾り聖女』に選ばれた後で聞かされて、「はいわかりました!」と言える者がいるはずがないだろうに。
私の思考を読み取ったかのように、アネットは小さく溜め息を吐いた。
「そりゃあ、本物の聖女が見つかったら死ねと言われているんだから、怖いでしょうけれど、全ては民衆のためなんだから、受け入れなさいね」
突き放すような言葉に、私は顔を上げて彼女の顔を見た。
赤みがかった褐色の瞳の奥に、昏い光が揺らいでいる。
この人は『悪い人間』だと、本能が警鐘を鳴らし始める。
『悪い人間』が必ずしも私に害意を持っているかはわからない。
前世での経験上、この『悪い人間』は殺人犯だったり詐欺師だったり、様々なタイプがいた。
だが、対象が私かどうかはさておき、『悪い人間』は必ず他人を傷つける。
それは身体的か、精神的かを問わない。
私の直感が、アネットは他人を傷つける人間であると告げているのだ。
「民衆は勿論、神官でさえこの事を知らない。知っているのは、ゴーチエ様と大神官三人、そして聖女本人のみ。当然だけど、他言無用よ」
アネットの語調が、更に強くなる。
「……という訳だから、聖女として選ばれたからと言って、調子に乗っては駄目よ。自分が特別だなんて思わない事ね」
最後の一言は、まるで私を妬んでいるかのような口調だ。
アネットは、大神官三人の中で、最もゴーチエに心酔している。お飾りとはいえ、彼に選ばれた私に、多少の嫉妬心があっても不思議ではない。
ふと、神官見習い達の間でささやかれている噂話が脳裏を過る。
大神官アネット様は神官長ゴーチエ様の愛人なのではないか、と。
愛人も何も、そもそも神官長は独り身だ。その言い回し自体がおかしい。
とはいえ、この神殿内では、神官の結婚については禁止されていないが、神官同士の恋愛、結婚は御法度とされている。
流石に、神官長という立場のゴーチエが、部下である大神官のアネットに手を出すとは考え難いが、アネットのゴーチエに対する敬愛の念が恋慕になった可能性はある。
あまり、その点において彼女を刺激しない方が良いだろう。
私は真面目な顔で頷き、しおらしくする素振りを見せつつ、彼女の部屋を後にした。
部屋を出た直後、斜向かいの部屋のドアが開き、ぎくりとする。
その部屋は、皇族が滞在するための部屋だ。出入りする人間は、今は一人しかいない。
身を隠す場所も時間もなく、部屋から出て来たクロヴィス皇太子殿下に見つかってしまった。
「アリス!」
彼はぱっと笑顔になり、こちらへ近付いてくる。
「丁度良かった。少し神殿内を見て回りたい。案内を頼む」
「えぇ……私がですか?」
心底面倒に思ってしまったのが、多分全面に顔に出てしまったのだろう。
殿下は私のその顔をみてぷっと吹き出す。
「お前、ますます変わってるな」
「褒め言葉として受け取っておきます」
つん、とした顔で答えてやる。
しかし殿下は私の態度を気にも留めず、さっと私の手を取って歩き始めた。
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