拾:命令
今にもオロチに殴り掛かりそうな顔をしているクロヴィス。皇太子のくせに感情を表に出し過ぎだ。そんな事で、今後並み居る貴族達や他国の王族相手に立ち回れるのだろうか。
私は嘆息して口を開いた。
「オロチ」
「はい! アリス様!」
即座に応じた彼に、私は淡々と告げる。
「私からも貴方に命じるわ。グレース様からの命令をそのまま継続し、この町で医者をしながら、この町を守りなさい」
魔物であることを差し引いてもこんな性格の者に近くをうろつかれるのは、正直言って暑苦しい。
グレース様も、それとなく距離を置きたくてこんな辺境の町を守るように指示したのではないかと勘繰ってしまう。
「承知いたしました。ありがたき幸せにございます!」
私の思惑など知る由もないオロチは、私がグレース様と同じ命令を下したことに対して、幸いな事に喜んでいる。
「早速だけど、坑道の入口に、私が倒した鉱山夫達が倒れているから、治療してあげて」
「承知いたしました」
彼は一礼するとその場から掻き消えた。
無詠唱で転移魔術を使ったようだ。魔術まで完璧に扱えるとなると、やはりかなり強い。
「……さて、さっき言った通り、私は町長の家に戻るわ。クロヴィス、貴方はモルドレッドを連行して」
「だが……」
「クロヴィス、今は私情を挟むべきじゃない。貴方は皇太子、私は聖女なのよ。貴方が私情を挟むのなら、私もそうする。全てを投げ出してこの町から逃げるわ。それでも良いの?」
私が早口に言うと、クロヴィスは言葉を詰まらせ、やがて頷いた。
「……わかった。だが、約束してくれ。俺はモルドレッドを連行したら必ずこの町に戻って来る。お前は、俺が来るまでこの町で待て」
「……わかったわよ」
ここで突っぱねても話が拗れるだけだと悟って、私は仕方なく頷いた。
クロヴィスはすぐに身を翻すと、モルドレッドの腕を掴んで転移魔術を発動させた。
彼らを見送った私は、町長の家に急いだ。
家の中に入ると、モルドレッドの操作魔術を喰らった町長と、その使用人たちは、まるで糸が切れた操り人形のように、家の中で倒れて気を失っていた。
操作魔術には大きく分けて二種類ある。
他の魔術によって解けるものと、物理的な衝撃で解けるものだ。前者は術者が気を失った場合でも解除されないが、後者は術者が気を失った場合には解除される。
ただ、その場合は術者の魔力に充てられてしばらく動けなくなるのだ。弱い人間の場合はそのまま衰弱してしまう事もある。
つまり、どちらにしても、何らかの手当や処置が必要になるのだ。
「……モルドレッドは、ゴーチエみたいに両方の操作魔術を駆使できた訳ではないみたいね」
どちらの操作魔術の方が優れているという訳ではない。どちらにもメリットとデメリットがあり、優秀な魔術師ならば使い分けるものだ。
当然、どちらか一方しか使えない魔術師も多い。
「回復魔術!」
出力を上げて、屋敷全体を包み込む。少々魔力消費は激しくなるが、使用人が何人いるかもわからないのに、屋敷の中を一部屋ずつ見て回るのは効率が悪い。
「……ん? あれ? 私は、一体……」
町長が目を覚まし、ゆっくりと身を起こした。
手を貸してやりながら、何があったのかを説明すると、驚愕して平伏した。
「せせせ、聖女様とはっ! ようこそ我が町へおいでくださいました! 歓待の用意もせず非常に申し訳ございません!」
「歓待を受けるためにここへ来た訳じゃないから不要よ。とにかく、今後町で不審な事が起きたら、まずは町医者のオロチに相談しなさい。彼は信用できる男よ」
「承知しました! せめて今夜は我が屋敷にお泊りください! 町の危機を救っていただいたお礼に、せめてものおもてなしを!」
町長が食い下がるが、しかしそれを受ける訳にはいかない。
私がここに泊まることになれば、あの男もついて来る事になる。
帝国の皇太子を突然受け入れる事になんてなったら、この屋敷の使用人の心臓が持たないだろう。
「気持ちだけ受け取っておくわ。多分、すぐに迎えが来るだろうし」
「そんな事を仰らずに……!」
「皇族を迎える準備ができているの?」
私が尋ねると、町長はぎょっとした。
「こ、皇族ですとっ?」
「これでも一応、皇太子と婚約中って事になっているからね」
町長は青褪めてがたがた震え出した。
「……悪い事は言わないから、私をもてなそうとしないで。そんな余裕があるのなら、鉱山夫達のために使って」
そう告げて、私は屋敷を後にした。
町長は最後まで私に深々と頭を下げていた。
「……さて、と」
クロヴィスとの約束で、彼が戻って来るまでこの町にいなければならない。
ああ、逃げ出したい。
何のために婚約を辞退する手紙を書いたのだろう。
直接会うと丸め込まれるとわかっていたからだ。
だから手紙をメルに託し、行く先も告げずに神殿を飛び出して来たというのに。
唸りながら町を歩いていると、目の前に魔法陣が顕現した。
予想よりも早すぎるそれに、思わず足を引く。
「……仕事を終えて戻った婚約者に、そんな顔をするのか」
魔法陣が消えると同時に現れたクロヴィスが、心底悲しそうな顔で私を見た。
「……婚約は辞退するって手紙に書いたはずだけど」
私がそう呟くと、クロヴィスはむっとした顔で私の腕を掴み、ずんずんと歩き出した。
「ちょっと! 放してよ!」
「放したら逃げるだろうが」
冷たく言い放ち、彼は人気の無い鉱山の麓までやって来た。
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