玖:魔物の過去
それはそれは見事な、スライディング土下座だった。
前世での人生も含め、初めて見た。
「ああっ! 麗しの聖女様! お待ちしておりました!」
キラキラした目で見上げられ、私の思考が停止する。
「は?」
「先代の聖女、グレース・ノア様のお言いつけにより、私はこの町で次代の聖女様をお待ちしていたのです!」
グレース・ノアは、三代前の聖女の名前だ。
とてつもなく強い魔力の持ち主で、完璧な浄化魔術を操り、歴代最強と謳われていたと聞いている。
このオロチは彼女の後に二回お飾りの聖女が擁立された事を知らないのだろうか。
帝国内であれば、辺境の町であっても聖女が選出される度に何かしらの形で報じられるはずなのだが。
「グレース様は私の三代前の聖女だけどね」
思わずそう告げると、オロチはふっと笑った。
「ご冗談を。グレース様亡き後に聖女に担ぎ上げられた小娘共は、到底聖女の地位には相応しくない小物でしたよ」
つまりは先代、先々代のお飾り聖女の存在については知っている、と。
「随分な物言いね」
「聖女という名は、グレース様のような清廉で美しい女性にこそ相応しい……それを浄化魔術も満足に扱えない小娘が名乗るなど烏滸がましいにもほどがあるというもの」
忌々し気に吐き捨てたかと思えば、彼は私に羨望の眼差しを向けて来た。
何だろうこの感じ、背筋がぞわぞわする。
っていうか、魔物が清廉という言葉を褒め言葉で使うって、何か間違っている気がするは私だけだろうか。
「私はグレース様の眷属です。浄化魔術を扱える本物の聖女である貴方様に歯向かう理由はございません!」
「眷属? まさかとは思うが、お前の名前って……」
いつの間にか私の隣に立っていたクロヴィスが尋ねると、オロチは良い事を聞いてくれたとばかりに嬉々として頷いた。
「ええ! お察しの通り、グレース様に名付けていただきました! 異国の言葉で大蛇を表すそうです」
「大蛇?」
「ええ。私は力を得る前は、蛇型の魔物でしたので」
魔物には様々な種類がいる。狼のような姿のもの、クマのような姿のもの、竜も魔物の一種だ。当然蛇型の魔物も存在する。
生まれ堕ちた瞬間から強い魔物も存在するが、ほとんどの魔物は弱く生まれ、徐々に強さを増していく。人間よりも遥かに長寿である魔物は長い年月を経て力を付けていき、やがて、人語を解す人型の魔物となる。
そして、魔術師が魔物に名前を付けるというのは、主従契約を結び、己の眷属とする事を意味している。
「名を与えられた事で、私はグレース様の眷属となりました。そしてその時グレース様は私にこう仰いました。『町医者となって民の疲労を喰い、この町を守りなさい。そして私が死んだ後、いずれ私と同じく浄化魔術が扱える聖女が必ず現れる。お前は私の眷属として、代々聖女に仕えろ』と」
なるほど。崇拝する相手にそう言われたのだとすれば納得だ。
浄化魔術が使える聖女。それがグレース様亡き後、オロチにとっては次の主に仕える理由そのものになったのだ。
だから、私がさっき浄化魔術を使った事を察知して鉱山にやって来たのだ。浄化魔術は聖女にしか扱えない魔術であり、浄化魔術が行使されたということは、そこに聖女がいるという事だから。
「私はそのご命令を、命を賭して守ってまいりました」
オロチは、主の命令で医者をしながらこの町を守ってきた。疲労を喰らうのはそれがこの町の人間にとっても都合の良い事だったからに過ぎない。
この町を守る使命を背負っていたからこそ、町の平和を脅かす犯人である、鉱山に妙な魔術を掛けた魔術師を探していたのだ。
グレース様の眷属だからといって、私が彼の主にならなければならない訳ではないが、人語を解するほど強い魔物であるオロチを、この場で解放する理由はない。
解放したとしても、彼はグレース様の言いつけを守ってこの町を守り続けるとは思うが、もし「人間に裏切られた」と解釈した彼が人間に牙を剥けば、かなり厄介な事になる。
私が新たな主となって手綱を握っておいた方が賢明だろう。
「……わかったわ。正式に、グレース様から貴方を継承する。オロチ、契約を」
私がそう告げると、彼はぱぁっと表情を明るくした。
そしてさっと私に跪く。
「我が名はアリス・ロードスター。今此処に、主従の契約を結び、汝オロチを我が眷属とする」
「我が名はオロチ。この命尽きるまで、アリス様に絶対の忠誠を誓います。全ては、アリス様の御心のままに」
「主従魔術!」
刹那、淡い光が私とオロチを繋いで、ふっと消えた。
契約の魔術が成立した。
「よし……後は私があの男を裁くから、この件は終わりって事で良い?」
「勿論でございます!」
「……あ、そうそう、貴方の診療所で働くフィアンナが町長の家で捕まっていたのを助けたんだけど……」
私に依頼の手紙を出して来た彼女の事を思い出してそう切り出すと、オロチはその綺麗な眉を顰める。
「町長が?」
「ええ。コイツに操られていたみたい。後で操作魔術は解除しておくわ。フィアンナも、明日からは出勤できると思うけど、受付にいた看護師の人はフィアンナが無断欠勤していると思っているみたいだから、彼女に非はないって言ってあげてね」
「承知いたしました」
即座に頷いた彼にほっとして、私はクロヴィスを振り返った。
「って事で、クロヴィスはモルドレッドを連行してくれる? 私は町長の家に戻って、操作魔術を掛けられた人達を解放してくるから」
そう頼むと、彼はあからさまに嫌そうに顔を顰めた。
「俺は便利屋じゃないぞ」
「皇太子でしょう? 帝国の治安を守る立場なんだから、隣国で指名手配されている魔術師を捕まえた以上、ちゃんと連行しないと」
「……一方的に婚約辞退の手紙を送りつけてきて、慌てて会いに来たのに、この仕打ちか……」
心底不満気なクロヴィスに、オロチは目を瞬いた。
「アリス様、失礼ながらこの小童とはどういったご関係で?」
「小童だと?」
人語を解している時点で、オロチが数百年生きていることは明らかだ。まだ二十歳のクロヴィスは小童と言われても致し方ないだろう。
「俺はファブリカティオ帝国皇太子クロヴィス・シーマ・ファブリカティオ。アリスの婚約者だ」
「アリス様の婚約者っ! それは本当でございますかっ?」
「え、うん。一応断ったんだけどね」
「俺はまだ認めてない」
食い気味に否定したクロヴィスに、オロチがずいと詰め寄る。
「嫌がるアリス様に纏わりついているようでしたら、私が排除いたしますが?」
身の毛がよだつような、禍々しい魔力を惜しげもなく放出して凄むオロチに、しかしクロヴィスも引かずに睨み返している。
「お前には関係のない話だ」
「私はアリス様の下僕にして眷属です。貴方よりアリス様に近い存在です」
ふん、と息巻いて鼻を鳴らしたオロチは、私を振り返った。
「アリス様! 私はアリス様の御心のまま、アリス様が命じるのでしたらこの不届き者を排除しますが如何いたしますかっ?」
本気でそうしそうな勢いのオロチに、私は流石に首を横に振った。
「オロチ」
「はい! アリス様!」
居住まいを正した美形の魔物に、妙なシュールさを感じつつも私は淡々と告げる。
「クロヴィスに手を出すことは禁止よ。これでもこの国の皇太子だからね。私の眷属である貴方が彼に手を出せば、私も責任を問われる事になる。この意味がわかる?」
「つまり、この不届き者に手を出せば、アリス様が処罰されると?」
「そういう事よ」
察しのいいオロチは神妙な顔になり、一つ頷いた。
「私のせいでアリス様が処罰されるなんてあってはならない事です」
すっと身を引いたオロチと、彼を睨むクロヴィスの間に立って、私は額を押さえながら溜め息を吐いた。
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