弐:神殿内の派閥
その後神官から、皇太子が療養に来ているからくれぐれも粗相のないように、という通達が出た。
しかしその頃私は部屋の移動で大忙しだった。
聖女の部屋は、神殿の最奥だ。
その手前に神官長、更にその手前に大神官の部屋が並んでいる。部屋の並びがそのまま権力の順になっていてわかりやすい。
客室は一番手前にあるのだが、皇族には聖女の部屋の向かいに専用部屋が設えられている。
あの皇太子と向かい合わせの部屋、となると少々厄介なことに巻き込まれそうな気がしてならないが、こればかりはどうにもならないので腹を括る。
そして、神官見習い達の居室は、神官の居室とは大聖堂を挟んで反対側だ。
反対の棟の最奥まではかなり距離があり、移動するだけでも結構な手間なので、荷物はなるべく一回で持って行けるように纏めたい。
神官見習いは皆、一部屋を三人で使用している。私はルームメイトのメルとミリに手伝ってもらいながら荷物を纏めた。
神官見習いとして神殿へ入る時に持ってきた麻袋に服を詰め、食堂から借りた木箱に教科書を入れる。
「アリス、聖女になっても、私達の事忘れないでね」
しんみりとして呟くメルに、私は「忘れる訳ないでしょ」と笑う。
談笑しながら荷物を持って廊下へ出る。
デボラが最後の嫌味でも言いに来るかと思っていたが、予想に反して彼女の姿はなかった。
「……デボラは皇太子殿下に夢中だから……粗相しないと良いんだけど」
ミリが溜め息を吐く。
そういえば、さっき私の後に部屋に戻って来た彼女は、デボラが突然やって来た皇太子を見て「私の運命の相手だわ!」と騒いでいたと教えてくれた。
うん、嫌な予感しかしない。
相手は皇太子、つまり次期皇帝だ。
一方のデボラは大神官の娘とはいえ、本人の地位は神官見習い。帝国内で神官は伯爵位と同等の扱いを受けるが、正式には貴族でさえないのだ。
つまり、本来ならば釣り合うはずもない身分である。
本当に、思い込みで突っ走って面倒なことにならなければ良いんだけど。
彼女が勝手に破滅する分には構わないが、神殿に迷惑をかけるような事にだけはなってくれるなと思わずにはいられない。
「……じゃあ、またね」
「聖女、頑張ってね!」
同期のルームメイト二人に見送られて歩き出す。
神殿内の移動とはいえ、心境的には旅立ちに近い。
と、少し廊下を進んだところで、向かいから神官見習いが集団でやって来た。
その面々に、内心で「げ」と呟く。
この神殿内には、派閥が存在する。
大神官三人の派閥だ。
大神官は、デボラの父であるガスパル・キューブ、大神官の紅一点アネット・シエンタ、親しみやすい印象のジャン・フリード。
彼らの思想や主義は似ているようで全く違う。
神官や神官見習いは、己の思想に最も近い大神官を支持しており、それが派閥を形成している、という訳だ。
ちなみに私はジャン・フリード氏を支持していた。
私の場合は彼の思想に共感したというよりは、消去法だったのだけど。
そして今目の前に現れたのは、ガスパル派である。
ただ、神官見習いの中ではガスパル派筆頭であるはずのデボラの姿は見えない。
「なぁ、聞いたか? デボラ、皇太子殿下に一目惚れしたって……」
「ああ、聞いたよ。流石にまずくないか?」
「いくら何でも、不敬にも程があるわ。私達にまで火の粉が飛んでこなければ良いけど……」
ひそひそとそんな話をしているのが聞こえた。
同胞にまでそんな事を言われるとは、よっぽどだな。
と、その中の一人が私の存在に気付いて周りの肩を叩いた。
全員ハッとして口を噤む。
一人くらい、聖女になった私に言いがかりをつけて来るかと思ったが、予想に反して誰も口を開くことなく、無言のまま通り過ぎていった。
聖女となった私の反感を買うような事をするつもりはないのだろう。
何なら、デボラがさっき私を突き飛ばしたことを知っていて、自分達は無関係という立場の表明なのかもしれない。
と、大聖堂の入り口の前に差し掛かり、中から出て来た六人の神官と鉢合わせた。
「おや、アリスちゃんじゃないか」
私に気が付いたのは長い金髪を首の後ろで一つに括っている、翠の瞳の青年、ロジェ・ミラだった。
アネット派の神官で、気さくであると同時に聖職者とは思えぬ軽薄な言動の多い人物だ。
「コラ、正式に聖女に決まったんだから、これまでのような態度は不敬だぞ」
そう言って叱るのはジャン派のリュカ・スペーシア。
褐色の髪にグレーの瞳を有した体格の良い青年で、六人の神官の中では最年長、真面目で堅物、優秀だが融通の利かない頑固者である。
「アリス様、これからは私達を率いる立場として、どうぞよろしくお願いします」
すっと一礼したのは、リュカ同様ジャン派の神官で、淡い金髪に緑がかった蒼の瞳のクラリス・アルトだ。
神官の中では最年少の二十歳、その美貌と清楚なキャラクターから、神官見習いの男子からの人気が高い人物である。
「こちらこそ、新米聖女で何かと皆様に助けてもらう事も多いと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします」
聖女らしい言葉遣いを意識しながら頭を少しだけ下げる。
本日付で彼らより上の立場になった以上、自分を下げ過ぎるのも良くない。
「それにしても、どうして神官見習いの中から聖女を選ぶんだろうね? 神官長よりも更に上の立場になるんだから、経験や実力からしてもアネット様が聖女になっても良いと思うんだけど」
あっけらかんと疑問を口にしたのはガスパル派のマルセル・ムーヴ。金髪碧眼で幼い顔立ちだが笑いながらキツイ事を言うと有名な人物である。
彼が口にした疑問の答えを、私は知っている。
『お飾り聖女』は、神官長が御しやすい立場の者でなければならないからだ。
本物の聖女が現れるまでの繋ぎでしかなく、本物が現れたら抹殺されてしまうのだから。
そんな立場に、大神官が進んでなる訳がない。
「ゴーチエ様の御決定に反対するつもり?」
眉を顰めたのはアネット派のジルベルト・ジムニー。金髪のショートヘアと紫の瞳が印象的な長身の女性神官だ。
最もゴーチエ神官長に心酔しているアネット大神官を支持している事もあり、ジルベルト自身もまた神官長に対して妄信的である。
「反対なんてしてないよ。ただ疑問を口にしただけ」
不服そうに唇を尖らせるマルセルの肩を、背後にいた黒髪金眼の青年が軽く叩く。
「その疑問は尤もだ。だが、口にはしない方が良い」
感情の乏しい声色で呟いたのは、ガスパル派のトリスタン・デイズ。
ミステリアスという言葉がぴったりの、何を考えているかわからない人物だ。
ガスパル派であるが、ガスパル大神官を本当に尊敬しているのかさえ怪しい。
「ああ、足を止めさせてしまいましたね。失礼しました」
リュカが気遣ってくれたので、私は短く挨拶をして、その場を離れた。
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