肆:謎の魔術師
転移した先は、町長の屋敷とは反対の町外れだ。
一瞬で景色が変わった事で、フィアンナは目を瞠った。
「すごい……! 一瞬で外に……!」
「フィアンナ、あまり時間が無いの。何があったのか説明してくれる?」
「はい。ひと月くらい前から、鉱山で働く方々が、急に酒に酔ったような酩酊状態になるようになったんです。私が働く診療所の先生が調合した薬で回復したんですが、怪しいから原因がわかるまで採掘は中止すると、町長が言ったんです」
うん、その辺はハルフェンから聞いたものと同じだ。
私は頷いて先を促す。
「町長が手配した魔術師の方が、調査のために鉱山に入ったのですが、出て来なくて……それなのに、突然町長は採掘を再開すると言い出したんです。明らかにおかしなことなのに、誰もそれに反対しなくて……だから、聖女様に手紙を出したんです」
「なるほど。それで、どうして町長の屋敷に監禁されていたの?」
「見てしまったんです。鉱山に行ったきり戻って来ないと言われていた魔術師の方が、坑道の前に立って、何やら怪しげな呪文を唱えていたのを……慌てて戻ろうとしたんですけど、見つかってしまって……」
「怪しげな呪文ねぇ……鉱山に何か魔術を掛けたって事かしら」
あの濃密な黒い靄は、その魔術師が発生させているものか。
いずれにせよ、魔術師が何らかの悪意をもって町長を操ってるとみて良さそうだ。
「……ところで、診療所の医者は、昔からあんな感じ? 最近何か変わった様子とかはない?」
「え? ええ、先生はずっとお優しい方ですけど……最近、町の様子がおかしいからって、色々気に掛けている様子でしたし……」
私の質問の意図が読めなかったらしいフィアンナは目を瞬く。
医者の様子がずっと変わらないのだとすれば、魔物が本物の医者とすり替わっている可能性よりも、元々医者に化けて町に入り込んだ可能性の方が高い。
魔術師と医者、グルだろうか。
怪しい二人だが、私の直感は二人は無関係だと言っている。
何の根拠もない、本当にただの勘だけど。
「……とにかく、鉱山をもう一度調べて……っ!」
言いかけて、息を呑む。
強い魔力の塊が、目の前に現れたからだ。
「……転移魔術が使えるくらいには、強いって事ね」
警戒しつつ、フィアンナを背に庇う。
突如現れたそれは、黒いローブを纏ったいかにも魔術師という風貌の男だった。
年の頃は四十代半ば。褐色の髪に、枯れ枝のような細身の男だ。
そのくすんだグレーの瞳には、案の定あの昏い光が宿っている。
そして何より、まるで、ゴーチエの再来かと思ってしまう程、同種の黒い靄を漂わせている。
「……その娘を逃がしたのはお前だな……? 小癪な……」
男が忌々し気に舌打ちする。
と、その男の纏うローブの胸元の刺繍に、私は思わず眉を顰めた。
黒い生地に金糸で施された刺繍は、双頭の馬を象った紋章。
「……その紋章はリベラグロ王国の……強いとは思ったけど、一国の王室付き魔術師とはね」
私が呟くと、男はうっそりと嗤った。
「よくこの紋章に気が付いたな」
「最低限の地理情報は頭に入れてあるのよ」
神殿に仕える神官見習いの時に、この世界の大まかな地形や、主だった王国の成り立ちなどを学ぶ。
リベラグロ王国は、ファブリカティオ帝国の隣国だ。
帝国には属しておらず、表立って戦争はしていないが、互いに牽制しあっている冷戦状態であり、敵国である事は間違いない。
敵国の王族の紋章など、鉱山の町に住む者達が気が付かなくても無理はない。
「……敵国の魔術師が、鉱山の町で何を企んでいるの?」
「お前が知る必要はない」
「じゃあ質問を変えるわ。これは、リベラグロ王国王族の意思ということで良いのね? ファブリカティオ帝国に属するアビエテアグロ公国への侵略行為……れっきとした宣戦布告よ?」
私がまっすぐに尋ねると、男は鼻を鳴らした。
「陛下は何もご存じない。全て私の独断だ! 私の力でこの鉱山を手に入れ、宰相の座を取り戻すのだ!」
「宰相? 貴方、リベラグロ王国の宰相だったの?」
宰相とは、国王に次ぐ権力者だ。
王室付き魔術師にして宰相とは、この男、かなり大物かもしれない。
「っ! 煩い! 小娘が、この私に楯突くとどうなるか、教えてくれるわ!」
男が右手を突き出す。
「喰らえっ! 風刃魔術!」
咄嗟に防御魔術を唱えるが、彼の放った魔術によって爆風が生じ、私の被っていたフードが外れてしまった。
「……お前、どこかで見た事が……?」
私の顔を見た男が怪訝そうに首を傾げる。
帝国外と言えど、王国の要人ともなれば、聖女が選定された時点で、魔術で聖女の顔を覗き見した可能性は高い。
それだけ、聖女という存在は、帝国内外にとって大きなものなのだ。
「さぁね……」
相手を捻じ伏せるのは簡単だが、油断すると背後にいるフィアンナが危ない。
確実に相手を、殺さずに仕留めなければ。
敵国の要人を、目撃者が極端に少ないこの状況で殺す訳にはいかない。
相手に非があったとしても、それを証明する手立てを確保しておかなければ、戦争の火種になりかねないからだ。
さて、どうしたものか。
思案したのも束の間、男は再び右手を突き出した。
「催眠魔術!」
眠らせる気か。
まずい、魔術の無効化をしなければ。
一瞬で思考が駆け巡る。
次の瞬間だった。
その場に魔法陣が顕現し、見覚えのある人物が目の前に現れたのだった。
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