弐:鉱山
この世界で、鉱山のある町は、大概活気に溢れている。
鉱山夫には豪快な性格の男達が多いからだ。
鉱石を採り尽くして寂れていない限り、町は賑やかなはず。
しかも、アテンザ伯爵領の鉱山で採れるのは、魔力を含んだ魔鉱石だ。
魔鉱石は、魔術師でなくても魔術と同等の効力を発揮する魔具と呼ばれるアイテムを作るために必要な素材である。
採れる場所が限られているため、この鉱山があるだけで国は非常に潤う。
アテンザ伯爵は、領地内にこの鉱脈を発見した事でかなりの資産を築いたようだ。
当然、そうなれば伯爵はアビエテアグロ公国の中でも力を増す。必然的に敵も増えるが、公国としても需要なこの鉱山を失う訳にいかないため、保護に力を注いでいるはずだ。
まして、アテンザ伯爵領は公国の最西端に位置している。貴族間で妙な諍いが発生している間に、別の国から攻め込まれて鉱山を奪われてしまっては身も蓋もない。
公国が保護に注力すれば、当然、町に人が増え、活気も増すはず。
しかし今、町を歩いている者は少なく、店などを見ても活気に溢れている様子はない。
「……あの鉱山に、何かあるの……?」
町を抜けると、坑道へ続く道に出た。
岩肌が露出しているが、ある程度整備されているため歩きやすい。
少し遠くに、鉱山から続くトロッコが通る線路も見えた。
「……誰もいない?」
この鉱山は、まだ採掘が続けられている生きた鉱山だ。
こんなに静かなのはあり得ない。
勿論鉱山夫にも休日はあるが、そうだとしたら町があんなに静まり返っていたのはやはりおかしい。
坂を上って、坑道の入口に立つ。
同時に、思わずそれ以上進むのを躊躇した。
奥から、禍々しい黒い靄が漏れ出ていたのだ。
「……とんでもなく穢れた魔鉱石でも出たのかしら……」
または、この鉱山にとんでもない魔物が棲み着いてしまったか。
いずれにしても、これほどまでに黒い靄が濃密に溜まっている場所に人間が立ち入ればただでは済まない。
そして、浄化魔術で鉱山そのものを浄化する事は可能だが、原因がわからない以上、むやみに浄化魔術を使うのは得策ではない。何が起きるかわからないからだ。
診療所にいた医者に化けた魔物が、何をしていたのかも気になる。
あの診療所の医者が元々魔物だったのか、もしくは本物の医者にとって代わって魔物が入り込んだのか。それもわからない。
と、その時だった。
「……誰だ?」
掠れた声が響き、黒い靄の中から誰かが姿を見せた。
出て来たのは二十歳前後の青年だった。鉱山夫らしく、筋肉質で体格が良い。手にはツルハシとランプを持っている。
私が気配を察知できなかった事に驚く。相当の手練れか。
いや違う。この黒い靄のせいだ。
「フィアンナ・タントという女性を探しているの」
その名前を出すと、青年ははっと目を瞠った。
「フィアンナだと! 知っているのか! 彼女は何処だっ!」
「私も探しているの……貴方は?」
「俺はハルフェン・キャスト……フィアンナとは幼馴染で……」
幼馴染、と口にする時に躊躇う様子から察するに、どうやら関係は幼馴染だが、彼はそれ以上の想いを抱いているようだ。
「……彼女は三日前から無断欠勤をしていると診療所で聞いたわ。何か気になる事があれば教えて」
私が尋ねると、彼はきょろきょろと辺りを見渡し、誰もいない事を確認すると、坑道の入口から左に避けた岩陰に入り、私を手招いた。
「……ひと月くらい前、鉱山に入った男達が全員おかしくなる事があったんだ」
彼は誰に隠れているのか、声を潜めて語り出した。
「おかしく?」
「ああ。まるで酒に酔ったような酩酊状態で……這うように鉱山を出てきて、言っている事は支離滅裂で……とにかく、外にいた奴らで全員を診療所に連れて行って、出された薬を飲ませたら治ったんだが……」
「それだけで済まなかった?」
「ああ。次の日、別の奴らが鉱山に入って、同じようになった。原因がわかるまで危険だから鉱山に入るなって町長に言われて、鉱山の調査のために、町長が魔術師を手配したんだが……」
魔術師、その単語に目を細める。
全ての魔術師が善良とは限らない。なまじ力を得た人間というのは、最も道を踏み外しやすくなってしまう。
「……その魔術師は、鉱山に入ったまま出てこなかった。いよいよ鉱山に魔物でも棲み付いてしまったんじゃないかって、怯え始めた矢先、町長が突然「もう大丈夫だから採掘を再開しろ」と言い出したんだ」
「魔術師も戻って来なかったのに?」
「ああ。でも、何故か周りの奴らは反論もせず、黙って鉱山に入り、今までのように採掘をし始めた……全てが異様だった」
「貴方も鉱山に入ったの?」
「ああ、でも、嫌な気配がするから、入ってすぐの岩陰でじっとして、仕事が終わる時間に出て来るようにしていた……普段ならサボればすぐ親方にどやされていたんだけど、親方も様子がおかしくなって、全然周りを見てないんだ……」
項垂れる青年、ハルフェンに、私は頷いた。
現時点で怪しい人物は五人。
手紙の主、消えたフィアンナ・タント。
診療所の医者に化けた魔物。
鉱山で消えた魔術師。
何も解決していないのに採掘を再開させた町長。
そして、何故か一人だけ正気を保っているこの青年、ハルフェン・キャスト。
「……ん?」
青年の首に掛かっているペンダントに目を留める。
それは、銀色に輝く小さな四角い板に穴が開いていて、革紐を通しただけのシンプルなペンダントだ。
「……それ、もしかして魔鉱石でできている?」
「ああ、良くわかったな。俺が生まれて初めて掘り当てた魔鉱石の欠片を細工したんだ」
なるほど。彼が一人だけ正気を保っていられたのはこれのおかげか。
魔鉱石には魔力が宿っている。本来魔具にするためには、力のある魔術師が術式を組み込む必要があるが。魔鉱石をただのアクセサリーに加工して、お守りとして身に着ける少数民族も帝国内にはあちこちに存在する。
実際、魔力を含んだ魔鉱石には、それだけで血行促進したり、ちょっとした穢れを寄せ付けなかったりといった効果がある。
しかし、今私が気になったのは、そのペンダントが、私が先程視た探知魔術による魔力の糸と繋がっていた事だ。
「……ねぇ、もしかして、それと同じものをフィアンナにあげたりした?」
「な、何でそれを……!」
顔を真っ赤にして驚くハルフェンに、私は思わず手を差し出した。
「ちょっとそれを貸して。彼女の持っているペンダントとそれが繋がっているなら、彼女の居場所がわかるかもしれない」
「本当か!」
ハルフェンはすぐにペンダントを外し、私の手に乗せてくれた。
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