玖:竜人族の接吻
フォワードはエルガを睨んでいるが、その視線が、妙に引っ掛かった。
単純な、竜人族に対する憎悪ではなく、もっと複雑な感情を孕んでいるように見える。
「……竜人族に、何か思うことでも?」
私が尋ねると、フォワードはぐっと言葉を呑み込んだ。
やはり、なんだか様子がおかしい気がする。
「オロチ、竜王国の国王を呼べる?」
「はい、可能です」
「じゃあ、召喚して」
私の命令に、オロチは即座に応じた。
召喚魔術でエルガの母である竜王国王を呼び出す。
その場に現れた、緋色の髪と黄金の双眸を有する豊満で妖艶な美女に、フローリアンが息を呑んだのがわかった。
一方のフォワードは、彼女を見て目を瞠り、口をぱくぱくさせている。
彼の視線の先で、エルガの母ミューが、きょとんと目を瞬いた。
「あら? 何事かと思ったら、あの時の長命種の集落じゃないの。どういうこと?」
ぐるりと辺りを見渡してから、説明を求めて私とクロヴィスを振り返った。
事情を端的に話すと、彼女は「あー」と額に手を当てて唸った。
「そっか……そうだったわ。東端の地ね……エルガが調査隊に入るとは聞いていたけど、まさか長命種の集落のある場所のことだったなんて……」
帝国の誰も知らなかったこの地の存在を、彼女は知っていたのか。
ただ、ここが帝国にとって未開の地であり、今回の調査隊の行先であるということが繋がっていなかったようだ。
北の僻地に隠れ住んでいた竜人族が、大陸の地理に明るくないのは仕方ない。
竜王国が建国して間もなく一年が経つが、まだその辺りの情報共有と教育が行き届いていないのだ。これは重要な課題である。
「まぁでも、あの時半分焼いた樹も、随分綺麗に戻っているし、良かったじゃない」
あっけらかんと話す彼女に、フォワードが苛立った様子で口を開いた。
「貴様! 神樹を半焼させた上、儂に呪いまで掛けておいて、それ以来一度も顔を見せずよくもそのような……っ!」
「呪い? そんなもの掛けてないけど? そもそも私は魔術なんて使えないし」
心底怪訝そうに首を傾げるミューに、フォワードが足を踏み鳴らした。
「掛けただろうっ! 儂に、せ、接吻し、妙な呪いを掛けたではないか……!」
接吻、その言葉で思い出す。
以前、エルガが言っていた。竜人族の接吻は、人間にとっては媚薬も同然だと。唇を重ねることで、竜人族は多大なフェロモンを相手に作用させることができる。人間は竜人族が放つ圧倒的なフェロモンに抗えず、自ら求めるようになる、と。
つまり竜人族の口付けには、魅了魔術と同じ作用があるのだ。
長命種とはいえ、彼らも一応人間だ。竜人族の強い魔力とフェロモンには抗えなかったということだろう。
「あー……そんなこともあったわねぇ……」
思い出した様子で頬を掻くミューに、私は少々驚いた。
「エルフの王にキスしたってこと……?」
「だって、そもそもそっちに非があるのに、樹を半焼させたことと私がこの地に入ったことをずーっとねちねち言ってくるんですもの。途中で面倒臭くなっちゃって」
彼女の性格からして、わからない話ではない。
竜の子が強制召喚され、解剖されかけたことで怒り、彼女はこの地を襲った。
フォワードの厳格な性格からして、事情を知った時はフローリアンを叱りつけ、ミューには詫びたことだろう。
ただ、彼は厳格故に融通が利かない。それはこの短時間で痛感している。
竜人族による襲撃が正当なものであると理解はしても、彼女がこの地へ足を踏み入れたのは違法であることと、自分たちの大事な神樹が半焼させられたことはやりすぎだと抗議したのだろう。
当然、悪いことをしたと微塵も思っていないミューが、謝罪などするはずもない。
それでもねちねち言ってくるフォワードを黙らせるために、ミューが口付けたというのは、その光景が自然に想像できてしまった。
「貴様、まさか忘れていたのか……!」
「だって四百年も前でしょう? いちいち覚えてられないわよ」
「儂は片時も忘れられなかったと言うのに……!」
悔しそうな顔で唸るフォワード。
片時も忘れられなかった、つまり、ずっと効果が続いていた、ということだろうか。
「ええ? まさか四百年間効果が切れなかったの?」
ミュー本人も以外だったようで、驚いた様子で目を瞠った。
同時に、フォワードが心底悔しそうに歯噛みする。
「……そのせいで妻には離縁され、顔を見せぬ貴様に常に苛立ちを感じるようになってしまった……貴様のせいだ!」
ええと、つまりミューのフェロモンにあてられて魅了魔術を掛けられたのと同じ状態になり、ずっとミューを求めていたと。その苛立ちは、彼女に会えないことに対する欲求不満が原因か。
それを聞くと、流石に可哀想になる。
だが、元凶であるミューは頬に手を当てて軽く嘆息するのみだ。
「あらー、それは悪かったわねぇ……」
「そう思うなら早く呪いを解け!」
「そう言われても、呪いじゃないから、解けないのよね。要は、竜人族のフェロモンにあてられている状態だから、状態としては魅了魔術に掛かったのと似たようなものだけど、原因が魔術ではないから、解呪魔術でも解けないのよ」
それはそれで理屈は通るが、ではフォワードはこのままにすると言うのか。
「いいじゃない? 折角だし、この際水に流して仲良くやりましょう? こちらとしても、竜に酷いことをしないなら敵対する気はないし」
そう言って赤い唇で微笑むミューに、フォワードがぐっと息を呑む。
魅了状態が解除されていないため、彼女に微笑まれると弱いらしい。
とはいえ、四百年も経っているので、多少効果は弱まっていて理性も働いてはいるようだ。何とも複雑な状態である。
「……あの、私の浄化魔術なら、多分その状態を治せると思うんだけど」
すっと手を挙げて意見を述べると、フォワードがぱっと私を見た。
「それは本当か!」
「確実にできるとまでは約束できないけど……やってみる価値はあると思うわ」
「ならばすぐにやってみせよ!」
「その前に、約束してもらえる? もし私が、貴方の魅了状態を解除できたら、私たちの不法侵入の罪は見逃すと。それから、私たちの魔術書探しに協力すると」
私の提案に、フォワードが言葉を詰まらせる。
厳格な性格故に、己の身体の都合と国の法、どちらを取るか悩んでいるのだ。
しばらく逡巡して、フォワードは渋々頷いた。
「……わかった。特赦という形で認めよう」
よし、言質は取った。
こんな形で不法侵入の罪が許されるとは思わなかったが、変に争う必要がなくなってほっとする。
私は気を取り直して、右手を掲げた。
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