漆:魔物
その気配は 今まで感じたことのない種類のものだ。
先日ゴーチエによって神殿内に放たれた黒い狼の魔物の気配と似ているが、またそれとも異なるもの。
「まさか、魔物っ?」
ここは城と同等の結界が張られた神殿だ。
魔物が入り込むなど、本来ならばあり得ない。
だが、穢れを取り込んだ人間が結界内から魔物を呼び込んだ場合は結界が機能しなくなる。それは先日の事件で実証済みだ。
嫌な予感が胸を焼く。
私とクロヴィスは顔を見合わせて、気配がした方に駆け出した。
気配を追って向かった先は神殿の大聖堂の前の、二階まで吹き抜けになっている広いスペース。
そこに着いた瞬間、私は目を見張った。
「サラマンダー……!」
そこにいたのは、上級ランクの魔物として有名な火を噴くトカゲだった。
廊下の天井につきそうなくらいの巨体は赤い鱗に覆われて、金色に光る眼がこちらを睨んだ。
既に先に駆けつけていた神官のリュカとマルセルが防御陣を展開していたが、私とクロヴィスが到着した直後、それは呆気なく破られてしまった。
「くっ!」
振り回された尾に当たって吹っ飛ばされたのは、ガスパル派の神官マルセル・ムーヴ。金髪碧眼の優しそうな印象の青年だが、笑いながら意外とキツイことを言うと有名な人物でもある。
六人の神官の中では比較的魔力量が少ないが、魔力操作には長けており、一番魔術の練度が高い。
「マルセル!」
リュカが叫び、マルセルの元に駆け寄り結界魔術を張る。マルセルは気を失っていた。
そこへ、魔物の気配を察知したガスパルとアネットが駆けてきた。
「サラマンダーだとっ? 何故神殿にっ?」
二人共愕然としつつ、素早く右手を掲げて防御陣を展開する。
そこは腐っても大神官。それなりに強固な結界が二重に張り巡らされた。
それを見たクロヴィスが素早く剣を抜いて跳躍する。
直後、サラマンダーの口元が光を帯びる。
まずい、火を噴く気だ。このままではクロヴィスに直撃する。
「クロヴィス! 危ない!」
私は駆け出し、拳に魔力を込めた。
「喰らえっ!」
一瞬で加速して、サラマンダーの腹に思い切り拳を叩き込む。
火を噴く直前だったサラマンダーが、その衝撃で呼吸のタイミングを外したらしく、口から煙が出た。
サラマンダーがぎろりと私を睨んだのも束の間、火噴きを回避できた事で、クロヴィスの振りかぶった剣は遮るものものもなく、サラマンダーの脳天に突き刺さった。
「よしっ!」
リュカとガスパルが勝利を確信して拳を握る。
しかし、私は目を細めた。
「浅い! クロヴィス! 離れて!」
その直後、サラマンダーが、勢いよく頭を振り、クロヴィスが飛ばされてしまった。
「風壁魔術!」
咄嗟に唱えた魔術で風を集め、クロヴィスが壁に叩きつけられる前に受け止める。
「……流石は上級クラスの魔物ね……」
硬い鱗のおかげで物理攻撃には強いようだ。
この世界で培った知識を頭の中で漁る。
確か、火属性のサラマンダーの弱点は水や冷気だったはず。
「氷結魔術!」
私が唱えた刹那、サラマンダーが足元からバキバキと凍り始めた。
ぎょっとしたサラマンダーが身を捩るが、氷は砕けず、身動きは完全に封じられ、やがてそのまま頭のてっぺんまで完全な氷像になった。
だが、これで終わりではない。
このままにしておけば氷結魔術が解けると同時にまた暴れ出すだろう。
私は再び拳に魔力を込めた。
「……ごめんね。可哀想だけど、神殿に入り込んで暴れた以上、見逃す事はできないの」
このサラマンダーがどういう経緯で神殿に侵入したのかはわからないが、人間に向かって攻撃をしてきた時点で、残念ながら処分は免れない。
せめてなるべく苦しまないように、と祈りながら、私は先程よりも更に強く、渾身の一撃をサラマンダーに叩き込んだ。
刹那、全身氷に包まれていたサラマンダーは、氷諸共砕け散ってしまった。
「浄化魔術!」
唱えると、氷の欠片が床に散らばる前に光に包まれ、はらはらと消えていった。
「……サラマンダーが……」
「上級クラスの魔物だぞ……」
「これは……歴代最強と謳われた先代聖女様さえ凌駕するかもしれないわね」
リュカ、ガスパル、アネットが順番にそう呟く。
ここでアネットが言っている先代聖女とは、三代前の本物の聖女様の事だろう。
それを尻目に、私はクロヴィスに駆け寄った。
「クロヴィス、大丈夫?」
風に受け止められた後、彼はそっと床に足を下ろして立ち尽くしていた。
「……本当にお前は規格外だな……どの歴史書を見ても、こんな芸当ができる聖女なんていないぞ」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
前にもこんなやり取りをした事があったな。
そんな事を思いつつ、私はサラマンダーがいた場所を振り返った。
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