壱:療養に現れた者
前世の記憶を取り戻した私が、この世界ですべきこと。
それはこの世界での悪の排除だと、どういう訳かそう思った。
現世でのこの人生は、前世で依頼主の命ずるままに大勢の人間の命を奪った私の、贖罪のための時間なのだと。
しかもタイミング良く、聖女になった直後に記憶を取り戻した。
お飾りだろうが、聖女という立場をフル活用して、この世界の平和のために力を尽くす。
自分の意思を確認して拳を握り締める。
と、その時、廊下の角から現れた人物とぶつかりそうになり、さっと回避した。
いくら考え事をしていたとはいえ、私が気配を察知できなかったことに驚く。
コイツ、ただ者じゃない。
警戒しつつ相手を見る。
細身ながら引き締まった長身、銀髪に深い青の瞳を持った美形の青年だ。
デボラだったら大騒ぎするであろう美男子だが、生憎今の私は美男子に興味がない。
前世の記憶が甦った私は、顔より筋肉に目が行ってしまうからだ。
この青年は惜しい。引き締まっているが、私の基準では細すぎる。
「……どちら様でしょう?」
神殿内に常駐しているのは神官か神官見習いのみなので、皆顔馴染みだ。
そして、神殿は礼拝時の大聖堂以外、原則部外者は立ち入り禁止となっている。
つまり、見知らぬ者が突然現れたらそれ即ち、不法侵入の不審者である、という事だ。
「お前に名乗る必要はない」
青年は無表情に言い放ち、私を無視して進もうとした。
前世の記憶が甦ったと同時に、思い出した『悪い人間』の見分け方。
『悪い人間』は、目の奥に昏い光を灯しているのが視えるのだ。
青年の瞳にはそれは無い。
だがしかし、内部の人間が事前に通達を受けていない時点で、神殿に不法侵入しているのは間違いない。
私は咄嗟に青年の腕を掴んで捻り上げた。
「っ!」
「ここは神殿です。部外者は立ち入り禁止ですので、お引き取りを」
強い口調で言った私に、青年は心底驚いた顔をした。
「お前! 俺が誰だか知らないのか!」
「神殿に侵入する不審者など知るはずがない!」
私が言い放ちながら腕を更にきつく捻ると、青年は舌打ちした。
「わかった! 俺はクロヴィス・シーマ・ファブリカティオ。この国の皇太子だ。腕を放せ」
皇太子、その単語に流石に驚く。
直接顔を見るのは初めてだが、絵姿は見た事がある。
確かに、銀髪に青眼の、こんな感じの美青年だった。
よくよく見れば、青年が腰に携えている剣の柄には皇帝の紋章であるグリフォンが刻まれている。
「……大変失礼いたしました。皇太子殿下」
ぱっと手を放し、努めて無感情に言いながら一礼する。
内心では、「紛らわしい事してんじゃねぇよ。皇太子ならちゃんとアポ取ってから来やがれ」と毒づきつつ、顔には微笑を貼り付けておく
と、クロヴィス皇太子殿下はそんな私を見て意外そうに眉を上げた。
「お前、俺が皇太子と知ってもその態度なのか?」
「問題ありますか?」
皇太子と知った以上、最低限の敬語は使用している。
第一、今の私は、お飾りとはいえ立場上は聖女だ。
神殿の神官と帝国皇族の関係はほぼ対等。皇帝と聖女が国のツートップといっても過言ではない。
何なら、皇太子の方が私に敬意を払うべきと言える。
「いや……新鮮で悪くない。まさか、神殿にいる神官見習いに腕を捻り上げられるとは思わなかった」
皇太子殿下は腕を摩りながら、興味深そうに喉の奥で笑った。
どうやら腕を捻り上げた非礼については怒っていないようだ。
「神官見習いではなく、先程聖女に選定されたアリス・ロードスターと申します」
「そうか、お前が次の聖女か」
言うや、彼は私に敬礼した。
「これから何かと接する機会も多いだろう。よろしく頼む」
「ええ……ところで、皇太子殿下が何故神殿に?」
「ああ、最近謎の症状に悩まされていてな。療養に来たんだ」
「そうでしたか」
皇太子の病気となると、詳細がわからないのであれば公にしない方が賢明だ。
お忍びで神殿へ来たのも頷ける。
「神官長には?」
「さっき到着したばかりだからな。まだ会えていない」
「そうですか。ではご案内……んん?」
言いかけて、言葉を噤む。
彼の胸元から、黒い靄が噴出しているように視えたのだ。
注視すると、それが実体のない、魔力の残滓だとわかる。
「……殿下、失礼ながら、その症状をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「ああ、毎晩悪夢に魘されるんだ。それから、時折胸が痛んで、呼吸ができなくなる。特に魔術を使おうとすると酷くてな」
その症状と、視えている黒い靄は、つい先日魔術書を見ていて読んだものと同じだ。
だとすればこれは病気ではない。
「……呪いかもしれませんね」
「呪い? 俺に?」
「ええ。殿下の胸元に黒い靄が視えます。随分溜まっているようなので、少しずつ体内に送り込まれ続けていたのではないかと」
私自身、そんなものが視えたのは初めてだ。
だが、どういう訳かそれがどういうものか、どうすれば良いかが、すっと理解できた。
これも、前世の記憶が甦ったことと関係あるのだろうか。
前世は、魔術などない世界だったのだが。
「呪いが解けるのか?」
「やってみます。少し触れますね。失礼します」
断ってから、私は殿下の胸元にそっと手を当てた。
「浄化魔術!」
浄化魔術の基礎は神官見習いでも最初に習う。
しかし大概は、穢れの一部しか浄化できずに終わる。私もそうだった。
しかし今、私の体から、私でさえ知らなかった膨大な魔力が溢れ出し殿下を包み込んだ。
「っ!」
一呼吸の後、殿下の身体から出ていた黒い靄が消え去った。
私は己の両手を見つめる。
脳裏に『完璧な浄化魔術』という言葉が浮かんだ。
「……流石、聖女に選ばれただけのことはあるな」
感心した風情で頷いた殿下は、私の顔を見てふっと微笑んだ。
「胸にあった違和感も完全に消えた。礼を言おう……ああ、せっかく神殿まで来た事だし、数日間は滞在していくからそのつもりでいろ。じゃあ、またな」
殿下はそう言いうと、廊下の奥へ向かって行ってしまった。
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