参:召喚された魔物
しばらくして、オスカーが急いだ様子で広間に戻って来た。
その手には、穴が開き濡れた木箱がある。
「……ラシェルが見つけて、破壊しました」
「ありがとう。ラシェルは?」
「他にも見つけたらしく、そちらへ向かいました」
「そう……」
思った通り、彼女はとても優秀だ。
頷いた直後、オロチの声が頭に響いた。
『アリス様、中央階段の陰で木箱を発見し、破壊しました』
『ありがとう。他に気配はない?』
『紫の眼の娘が言うには、大広間前のロビーに……』
オロチが言いかけた直後、背筋に震えが走った。
「まずい! クロヴィス! ここをお願い! 変な動きをしている人がいないかよく見ておいて!」
私はそれだけ言い放ち、踵を返して即座に大広間から飛び出した。
その時には既に、オロチがロビー中央に飾られている柱時計の前で右手を突き出していた。
同時に、ラシェルもロビーに到着し、柱に向かって駆け出すのが見えた。
「っ!」
オロチが行っているのは結界魔術だ。柱時計を包み、何かを押さえ込んでいる。
禍々しい魔力が、そこから漏れ出ているのが一目でわかり、私は咄嗟に右手を掲げた。
「攻撃魔術!」
私の声がロビーに響く。
魔力が刃となって柱時計に向かった直後、その中から、何かが飛び出した。
オロチの結界魔術が音を立てて砕け散る。
魔物だ。しかも、かなり大きく、強い。
その魔物が赤い眼をぎらぎらと光らせて咆哮する。 魔力を伴うそれによって、私の魔力の刃は弾け飛んでしまった。
初めて見る魔物だった。
漆黒の鱗に覆われた身体、形は獅子のようだが、額と思われる場所に長い角がある。
そして何より、濃密な魔力の気配。
その辺の魔物では絶対にあり得ないほどの魔力だ。
上級の魔物とされるサラマンダーと同等か、それ以上と思われる。
その魔物は唸りながら、赤い眼を私に据えている。
「ラシェル! 危険だ! お前は下がれ!」
私の後ろから飛び出してきたオスカーが、ラシェルに向けて声を荒らげる。
私は魔物を撃破するため、より強い攻撃魔術を放つつもりで右手を掲げた。オロチも同様だ。
しかし、私が呪文を唱えるより早く、ラシェルが動いた。
「来い! レイブレイド!」
まるで眷属を呼ぶような雰囲気の言葉と共に、ラシェルの手元に光が集まり、大きな剣の形になった。
何だろう、あの大剣は。
私が放つ浄化魔術と同種の、清い魔力を孕んでいるように感じる。
呆気に取られている間に、ラシェルがドレス姿のまま器用に体験を振り翳し、大きく跳躍した。
私がよく使う、脚に魔力を込めて脚力を強化する技だ。それができるとは、彼女は魔力操作が上手い。
「喰らえっ!」
そのまま、ラシェルは大剣を魔物の脳天目掛けて振り下ろす。
魔物は、耳障りな声を上げて絶命した。
まさか一撃でこのレベルの魔物を葬るなんて、私は心底驚いたが、呆けている場合ではない。
「っ! 浄化魔術!」
呆気に取られた私ははっとして、呪文を唱え、魔物が放っていた禍々しい気配を払拭する。
ラシェルを一瞥すると、彼女は手にしていた剣を消し、ぱっぱっと手を払っていたが、私の視線に気付いてにこっと微笑む。
「流石は聖女様。空気が綺麗になりましたね」
「ありがとう。それより貴方こそ、とんでもない攻撃だったけど、一体何者なの? 今の剣は?」
思わず尋ねると、ラシェルは僅かに言い淀んだ。
「えっと、あの剣はなんというか……魔具みたいなもので、名前を呼ぶと来るんです」
「……まるで眷属みたいね」
「はい、近い気がします」
魔物の気配はしなかった。だが、ただの魔具とも思えない。不思議な剣だ。
今度時間がある時にじっくり見せてもらおう、そんなことを考えている私の横をすり抜けて、オスカーがラシェルに駆け寄った。
「ラシェル! 大丈夫か!」
「ええ。大丈夫です。魔物も退治しましたし、魔物を召喚する魔具も破壊しました。これで大丈夫だと思いますが……問題は、この魔具を仕掛けた犯人ですね」
言葉の最後にラシェルが私を見る。私は小さく頷いた。
「ええ。城に入って仕掛けている以上、犯人は招待客か、城で働く兵士や使用人の誰か……」
「その中の誰かが、別の何者かによって操られて配置させらた可能性も否定できませんね」
ラシェルの言葉に、私も頷く。
現時点では、容疑者が多すぎる。
「オロチ、この魔具に残っていた魔力から、犯人は追えない?」
オロチを振り返るが、彼は申し訳なさそうに眉を下げて首を横に振った。
「申し訳ありません。この魔具は完全に使い捨てのため、術者の魔力もほとんど込められておらず、追跡ができません」
「術者の魔力を込めずに魔具が動くの?」
「魔石の魔力を移すことで可能です」
「なるほどね……追跡されないようにしていたって訳か……」
むむ、と唸る私の肩から、仔狐がひょっこり顔を出した。
「あと、さっきの魔物、見たことのない形をしていた。もしかしたら合成魔物かもしれない」
「キメラって、複数の魔物を合成する魔術で生み出された魔物のこと?」
「そう。掛け合わせることで、その魔物特有の弱点を克服したり、力を増強させたりできるんだ。勿論リスクもあるけど」
ガリューの言葉に、オスカーが口を挟む。
「馬鹿な。キメラの生成は帝国が禁じていて、その類の魔術書は全て神殿の図書室に保管されているはずだ」
「でも、禁じているだけで、その方法自体が不可能な訳ではない。独学で編み出してしまったり、禁断の魔術書がどこかに流出していた可能性もあるわ。実際、私自身何度か禁断の魔術を扱う人を見てきたもの」
私がそう呟くと、そこへクロヴィスが駆けて来た。
「アリス! 片付いたか? 夜会も間もなく終わる。こちらは何も起きていないし、怪しい動きをしている者もいなかったぞ」
「とんでもない魔物が出て来たわ。ガリューの見立てではおそらくキメラ。魔物を合成する禁断の魔術がどこかで行われている可能性が高い……来賓を無駄にとどまらせる訳にはいかないから、全員解散させるしかないけど……大丈夫かしら」
犯人がこの中にいるかもしれない。もしくは、犯人が狙っている人物がこの中にいるかもしれない。
だとすると、このまま帰すのはとても危険だ。夜会で魔物を召喚し、騒動に乗じて誰かを害するという計画が失敗した今、犯人がなりふり構わず標的に襲い掛かる可能性がある。
しかし、今の状況で数百人いる来賓の貴族全員を留まらせておく訳にもいかない。
「……聖女様、私に少し時間をくださいませんか」
ラシェルが、意を決した様子で私を見た。
「何かいい案があるの?」
「案という程ではありませんが……召喚の魔具から作成者を割り出すことができないとしても、先程の魔物がキメラであるなら、あの魔物の放っていた魔力の一部は、合成した魔術師のものということになります……その魔力を辿れば術者は割り出せるかと」
「そんなことできる? 魔物は既に倒して、浄化もしてしまったから姿も魔力の気配も消えてしまったのに……」
少なくとも、私にはできるとは思えない芸当だ。よほど熟練の魔術師で、魔力操作に長けていれば可能かもしれないが。
驚く私に、ラシェルは曖昧に笑う。
「確約はできませんが、やってみる価値はあるかと」
私が頷いたのを受けて、ラシェルは柱時計に向けて右手を掲げた。
「探知魔術!」
固唾を吞んで見守ると、数呼吸の後、彼女は僅かに目を瞠った。
「……見つけた……人間の魔力……そして、その主は……」
呟いたところで、彼女の身体がふらりと揺らいだ。
魔力切れか。無理もない。
支えてやろうと私が手を出すより早く、オスカーがさっと彼女の肩に触れた。
彼が魔力を彼女に流していくのがわかる。
「気を抜くな。俺の魔力を貸す。そのまま続けろ」
そうラシェルに囁いたのが、唇の動きでわかった。
魔力を他人に流し込むこと自体は、魔力さえ有していれば誰にでも可能だが、魔力にも相性がある。
魔力の相性が悪いと、反発して発動中の術が解除されてしまうこともあるし、最悪心身に影響がでることもあるのだが、幸い二人の相性は良いようだ。
「……見つけた!」
ラシェルが声を上げると同時に、大きく身体が傾く。
それを、オスカーが背後からさっと両手で肩を掴んで支えた。
「おい! 無茶するな。完全に魔力切れを起こしているぞ」
「すみません、殿下。ちょっと眩暈がしただけですので、大丈夫です。魔物を合成した魔術師の居場所がわかりましたので、行きましょう」
気丈にそう言うラシェルに、オスカーが眉を吊り上げる。
「そんな状態で敵の潜伏場所へ突っ込むつもりか!」
「こんな状態でも殿下より強いと思いますけど」
「お前が俺より強いだと?」
やや馬鹿にした様子のオスカー。ラシェルも不愉快そうに眉を顰めた。
んん、なんだか雲行きが怪しい気がするけど、大丈夫かしら。さっきまで息はぴったりだったようなのに。
止めようか思案した一瞬後。
「信じられないなら試してみますか?」
ラシェルが左肩を掴んでいたオスカーの手を、さっと掴んで捻り上げた。
「いっ……! な、何をするんだっ!」
「殿下が私の強さを信じていらっしゃらないようだったので。どうします? 続けるなら遠慮なく腕を折りますが?」
「わかった! わかったから放せ!」
オスカーの言葉を受けたラシェルがぱっと手を放す。
なんだか既視感を覚える光景だ。
と思いつつちらりとクロヴィスを見ると、彼は笑いを堪え肩を震わせていた。
「……驚いたわ。皇族相手に私と同じことをする人がいるなんて」
思わずラシェルにそう呟くと、彼女はきょとんと目を瞠った。
「え、聖女様が……?」
「ええ。まぁ、私の場合は、神殿にお忍びでやって来た皇太子を不審者と間違えちゃったんだけどね。それが私達の初対面なの」
まだ一年半も経っていないのに、何だかとても懐かしい気がして思わず笑ってしまう。
「……ったく、不敬罪で死にたいのか」
オスカーは腕を摩りなが、悔しそうな顔でそう呟く。
それに対し、ラシェルは軽く肩を竦めるだけだ。
「殿下が、平民である私に腕を捻り上げられた、なんて吹聴するとは思えませんが、断罪したければお好きにどうぞ」
苦虫を嚙み潰したような顔をするオスカーにの肩を、笑いを嚙み殺しながらクロヴィスがぽんぽんと叩く。
「……オスカー、お前も苦労するな」
どう見ても、オスカーはラシェルのことを気に入っているし、案じてもいる。
ただ、ラシェルにはその気はなさそうだ。
なんだか、出会ったばかりの自分とクロヴィスを見ている気分になる。
が、今はそれどころじゃない。
「……それで、犯人の居場所は?」
逸れてしまった話題を戻すと、ラシェルは正面玄関の方を指差した。
「帝都の南端、おそらく貴族の屋敷です。犯人が屋敷のどの部屋にいるのかまではわかりませんが……大きな門があって、屋敷は立派なのに、庭がやたら荒れている屋敷が視えました」
「帝都南端の貴族の屋敷で、庭が荒れている、か……」
その情報だけで、私もぴんときた。
「……リバティの屋敷かしらね」
「その可能性は高いな」
ヴァルガス・リバティ。元侯爵で、私に対する誘拐と暗殺未遂で逮捕された人物。
それ以外にも、人身売買やら違法薬物やらの余罪が山のように出てきて、一年経った今も余罪の全ては捜査しきれず、裁判ができていない状態だ。
リバティが関わっているとなると、少々厄介である。
私はラシェルに向き直った。
「ありがとう、ラシェル。ここからは私達が捜査をするわ。貴方はもうゆっくり休んでいて」
「え、でも、私も一緒に……」
食い下がる彼女に、私はぴっと指を立てて顔を近づけた。
「魔力切れを起こしている学生を、危険な場所へは連れて行けないわ。もう充分助かった。ありがとう」
それだけ言い、私はクロヴィスを促してその場を後にしたのだった。
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