肆:罠と罠
アダムスには一旦身を隠してもらうことにして、翌日、私とクロヴィスは正面切って王城を訪ねることにした。
城門を警護していた衛兵に声をかけると、最初は疑わしそうな顔をされたが、クロヴィスが帝国皇帝の紋章の入った剣を示すと、ぎょっとした顔で奥に引っ込んでいった。
門番の上司であろう男がやって来て、丁重に事情を聞いてきたので、アダムスに送った密書魔術が宛先不明で返ってきてしまったため、何かあったのではないかと直接確かめに来た、と説明した。
すると、門番の顔色が変わり、城の応接室に通された。
そこへ現れたのは、二十代半ばの王族とみられる女性だった。
栗色の髪にグレーの瞳の、ノーラとよく似た面差しながら、立ち振る舞いからのほほんと穏やかな雰囲気が伝わってくる淑女だ。
「ファブリカティオ帝国のクロヴィス殿下並びに、聖女アリス様にご挨拶申し上げます。アダムス国王の妹、ノエリア・ミニカ・イアスピスと申します」
優雅な所作で一礼して、向かいのソファに腰を降ろす。
「事前の連絡もなしに訪ねてすまない」
「いいえ……家臣の話では兄……陛下は昨日突然消えてしまったそうでして……」
心配そうにしている彼女の瞳には、昏い光は見当たらない。
「突然消えた?」
アダムスと接触済みであることはまだ知らせるつもりがないのであえて聞き返すが、それは間違いなく昨日オロチがあの丘に連れて来た時のことだろう。
「ええ……執務中に、書類を取りに行くため家臣が退出して、戻ったら姿がなくなっていたそうです……今まで、こんなことはなかったのですが……」
「そう……悪いけど、少し城の中を調べさせてもらえるかしら?」
「ええ、勿論構いません。私がご案内いたしますわ」
案内役を買って出てくれたのでお願いする。
早速、国王の執務室に入ると、そこには一人の老人がいた。
「あら……」
ノエリアが怪訝そうな顔をする。
その老人の顔を見て直感した。おそらくプラウディア公爵だ。
白髪で、肥えた体型の老人。くすんだグレーの瞳には、まじまじと確認するまでもなく昏い光が炯々としている。
「おや、ノエリア殿下……そちらは?」
挨拶もせず、横柄な態度で私とクロヴィスを見る。
「ファブリカティオ帝国皇太子、クロヴィス・シーマ・ファブリカティオだ」
「皇太子妃、聖女のアリス・ファブリカティオです」
揃って答えると、流石に帝国の皇族だとは思っていなかったらしく、公爵は目に見えて狼狽し、慌てた様子で一礼した。
「それはそれは、大変失礼いたしました。私はドレファス・プラウディア。イアスピスで公爵を務めております」
「……ドレファス様は、どうしてこちらに?」
ノエリアが穏やかな顔で尋ねると、ドレファスはふんと鼻を鳴らした。
「アダムスに話があって来たんだが、返事がないので入らせてもらっただけだ」
国王に即位したアダムスを呼び捨てにし、執務室に無断で入るなど不敬も甚だしい。
しかしそれを平然とやってのけるということは、彼はアダムスが自分が差し向けた暗殺者が仕事を成功させたのだと思っている可能性が高い。
さて、何と返したものか。
思考を巡らせ、私が口を開くより早く、ノエリアが愕然とした様子で口を手で覆った。
「まぁ、ドレファス様、もしかしてお忘れになってしまわれたのですか?」
ドレファスが訝し気に首を傾げると、彼女はほろほろと涙を流し始めた。
「何ということでしょう……! ドレファス様、耄碌のあまり記憶が混濁されているのですね……! お兄様が王位を継がれたことを覚えていらっしゃらないなんて……! 大変です! すぐお医者様をお呼びしますわ!」
ぶふっ。
大真面目にとんでもないことを言ってのけたノエリアに、思わず吹き出してしまった。咄嗟に顔を背けると、クロヴィスも手で口を押えていた。
一方のドレファスも、耄碌呼ばわりされたことでわなわなと震え出している。
「なっ! 失礼なっ! 儂は耄碌などしておらん!」
「耄碌した方はそれを自覚できませんものね……王の名を呼び捨てにして、王の執務室に王族に無断で入るなんて、耄碌していなければあり得ない不敬ですのに……でも、大丈夫ですわ! お医者様がきっと、どうにか治療してくださいます!」
彼女は本当に召使を呼びつけると、大至急プラウディア公爵を医者に見せるように、と伝えた。
ドレファスは最初こそ抵抗していたが、そもそも国王の執務室に無断で入っていたことを公に知られたら分が悪いと悟ったらしく、最終的には舌打ちを残して召使に促されるまま別室へ向かっていった。
「……失礼いたしました。ドレファス様は私の大叔父で……先々代の王弟だったからか、昔から横柄で……」
はぁ、と溜め息を吐くノエリア。わざとらしさは感じられないことから、本気で言っているようだ。
これは、ある意味とんでもない大物である。
「……アリス」
クロヴィスが耳打ちしてくる。
彼の言いたいことは、すぐにわかった。
「うん、見られているわね。天井裏に一人……」
気配を感じる。完全に消しきれてはいないが、それなりに手練れだ。
「……ノエリアさん、アダムス王はここで?」
「ええ、昨日ここで執務中に、突然いなくなったと……」
「そう……」
部屋には、暗殺者と思われる気配がある以外、変わったところはない。
争った形跡も、血の匂いなども一切ない。オロチが連れ去っただけなのだから当然だが。
『アリス様、手筈通りに、アレを発見させました』
オロチの声が頭に直接響く。
了解の意を伝え、私はクロヴィスに目配せをした。
「……始まるな」
「ええ、きっと、すぐに大騒ぎするはずよ、さっきの耄碌公爵が」
小声でやり取りする私とクロヴィスを見て、ノエリアがきょとんとする。
内容は聞こえなかったようだが、彼女は何やらにやにやとした表情を浮かべている。
「……あの、何か?」
「あ、ごめんなさい。クロヴィス殿下とアリス様、とても仲睦まじいご様子でしたので、羨ましいなと……」
「ノエリアさんは、結婚しないの?」
色々調べさせた情報の中に、彼女の婚約話などの話は一切なかった。
王女であれば、遅くとも十代の内に結婚相手が決まっていているものなのに。確か彼女の年齢は二十二だったはず。
とはいて、ノーラも未婚で婚約者もいなかったので、イアスピスではそれが普通なのかもしれない。
「私は……あまり縁に恵まれなくて」
寂しそうに微笑む。もしかしたら想い人でもいるのだろうか。
誰か紹介できたら良いのだけど、と一瞬余計なことを考えた矢先、天井裏にいた人の気配が動いた。
そしてその直後、どたどたと慌ただしい足音が廊下に響き渡った。
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