拾:決着
そこからは、一瞬だった。
ベルセラがクロヴィスの背中にナイフを突き立てたが、直前で気配を察知したクロヴィスが動いたことで急所は外れ、振り返った彼にベルセラは取り押さえられた。
しかし、急所は外れたといっても深手を負ったことで守護魔術が切れてしまい、殲滅魔術の魔力の刃が二人の身体にいくつも突き刺さった。
それを目の当たりにした私の魔力が乱れ、撃滅魔術がギルモアの殲滅魔術に打ち負けてしまった。
ギルモアは私を殺すつもりはないようだが、私の心を折るために多少痛めつけることは厭わないらしい。
魔力の刃は私の四肢を斬り裂き、その場に膝を衝いてしまった。
それを受けて、今度はオロチが平静を失い、魔力を放出して撃滅魔術を強めたが、ギルモアはその隙を見逃さなかった。
無詠唱で氷結魔術を展開し、地面から生えた氷柱がオロチを左右から串刺しにしたのだ。
「オロチっ!」
オロチの身体から紫色の液体が滴り落ちる。
「ガリュー! オロチを助けて!」
「っ! わかった!」
私の髪に隠れて様子を窺っていたガリューは、私に治癒魔術を掛けた上でオロチに駆け寄っていった。
魔物にも、当然急所はある。
人型の魔物の急所が人間と同じとは限らないが、しかし左右から脇腹を貫かれたら、命を落としかねない。
「アリス、さ、ま……も、しわけ、ありま、せ……」
ごふ、と彼の口から紫の血が零れる。
ガリューが呪文を唱えて氷柱を粉砕させ、治癒魔術を唱えた。
「おい蛇、こんなことで死ぬなよ! アリスを守るんだろう!」
ガリューがそんな風に叫んでいるのが聞こえた。何だかんだ眷属同士の情があるらしい。
一方の私はクロヴィスの方に駆け寄って即座に治癒魔術を掛ける。が、ギルモアの殲滅魔術の効果なのか、傷が塞がらない。
「ど、どうして……!」
「俺の殲滅魔術による傷は、治癒魔術ごときでは癒せない……このままでは、帝国の皇太子も、その魔物も死ぬぞ」
ギルモアはそう言って凄絶に笑う。
見ると、オロチもガリューの治癒魔術を受けているのに、血が止まっていない。
ただでさえ顔色が悪いのに、更に紙のように白くなっていて、既に意識がなくなっている。
「助けてほしければ、俺の元へ来い。お前達をまとめて可愛がってやると約束しよう」
勝利を確信しているギルモア。
と、私の腕を、クロヴィスが弱々しく掴んだ。
「アリス、行くなよ」
血塗れでも、彼は強い眼差しを私に向けた。
クロヴィスには、生きていて欲しい。
オロチもガリューも、エルガにも、死んでほしくはない。
でも、私がギルモアの元へ行ったら、私はこの世界の平和のために尽力することはできなくなるだろう。
それならば、この世界で生きる意味はない。
しかも、この場で彼に従っても、クロヴィス達を助けてくれる保証はない。
彼の言う「可愛がる」が、虐待行為を指す可能性だってあるのだ。
そうなれば、私とクロヴィスは飼い殺しとなり、帝国諸とも彼の手に落ちてしまう。
ならば、ここで古代の極大魔術を試す方が、何倍もマシに思えた。
「……クロヴィス、ごめんね」
私の言葉に、クロヴィスが絶望の表情を見せるが、私の顔を見て僅かに目を瞠った。
「私と一緒に、死んでくれる?」
クロヴィスを死なせるつもりも、私が命を捨てるつもりもないが、実際は賭けになる。
極大魔術を使ったところで、ギルモアを倒せる保証はない。倒せたとしても、彼の殲滅魔術に付与した治癒魔術無効の効果が消えるとも限らないからだ。
私の考えを正確に汲み取ってくれたようで、クロヴィスはふっと笑った。
「ああ、自分のせいでお前を失って生きるくらいなら、一緒に死んだ方がマシだ」
私はクロヴィスの手をぎゅっと握った。
「ギルモア、貴方の提案は断るわ」
ぴくりと、ギルモアの眉が動く。
「……ならば、皆殺しにするまで!」
ギルモアが再び右手を掲げる。私は極大魔術の呪文を唱えようとした。
その時、その呪文の冒頭部分を口にしかけて、つい先日のことを思い出した。
困った時に呼べと言った、あの笑顔が脳裏に浮かぶ。
「っ!」
本当に助けてくれるかはわからないが、極大魔術より可能性はあるように思えた。今はそれしかない。
ギルモアが再び殲滅魔術の呪文をとなると同時に、私は叫んでいた。
「助けて……! ヒミコ!」
刹那。
かっ、と閃光が迸った。
その光を受けた瞬間、発動したはずのギルモアの殲滅魔術が掻き消されてしまった。
そしてこの場に、あの圧倒的な美貌の女神が現れる。
「暁の、女神……!」
クロヴィスが呟く。
女神様はぐるりと周囲を見渡して、僅かに驚いた顔をした。
「アタシを呼ぶくらいだから相当困ってるんだと思ったけど、まさかここまで窮地とはね」
私を見て嘆息すると、彼女はパチンと指を鳴らした。
クロヴィスとオロチの傷がみるみる癒えていく。
ついでにベルセラの傷も塞がったようだが、彼女は気を失ったまま目覚めない。
そして女神様は頭上を仰ぎ、空中戦を続けていたエルガとヴェルシスを見て右手を掲げ、ぎゅっと掴んだ。
「っ!」
彼らはその場で動きを止め、何かに引っ張られるようにして地上に降りて来た。
「アンタら、ちょっと煩いから、そこでじっとしててくれる?」
暁の女神様と初めて対面し、凄まれたエルガが言葉を呑み込む。
ヴェルシスも、暁の女神様の圧倒的な覇気と存在感に言葉を失っているようだ。
「……さて、と。アタシの可愛い下僕たちを、随分痛めつけてくれたみたいね」
下僕と思われていたのか。私達は。
まぁ、神様だもんな。人間なんてそんなものだよな。可愛がってくれているだけありがたい。
そう思うことにする。いや、そう思うしかない。
「お前、何者だ? 人間ではないな……」
ギルモアが、戸惑ったような様子で呟く。
前世のガリオスも、常に冷静沈着で、驚いた様子も見せることは滅多になかった。それだけに意外だ。
「アンタこそ……この世界によく転生して来られたわね。そんなどす黒い魂で」
不快そうに眉を顰めて、女神様は右手を突き出した。
「まぁ、これもアタシが《裏》に掛かりきりだった弊害かしら。どこぞの神が、自分の世界の輪廻転生には戻したくないからって、次元の外に放り投げたのかしらね」
そんなことを呟きながら、彼女は右手をぎゅっと握る。
それだけで、ギルモアはその場から掻き消えてしまった。
「……え、ど、どうなったんですか?」
思わず尋ねると、女神様は口元に人差し指を当ててにっこりと微笑んだ。
「殺してはいないわ。でも、彼はこの世界での人生でも罪を犯し過ぎていた……《裏》の世界で一度裁きを受けるべきだと思ったのよ」
言うや、ヴェルシスを振り返る。
「アンタもね。魔物だから人間を喰うこと自体は罪にはならないけど、アイツの眷属である以上無罪とはならない……一緒に行きなさい」
彼に向けて右手を突き出してふっと払う。それだけで、ヴェルシスも姿を消してしまった。
「……終わった……?」
呆気なさ過ぎて驚く。こんなことなら、エストレア城で危機に瀕した時に女神様に助けを求めれば良かった。
まぁ、私自身が女神様の言葉を忘れていたからどうしようもないんだけど。
「聖女ちゃん、アンタは我慢強すぎるわ。困ってないのに呼んだら怒るとは言ったけど、これほど追い込まれるまで待たなくても良かったのに」
私を振り返った女神様が呆れた様子で嘆息する。
「まぁ、アイツのことはビュートに任せて、こっちの始末はアンタ達でつけなさい。殲滅魔術の効果は消したし、ついでに治癒も施したから、もう大丈夫でしょう? あー、今日はすっごい仕事したなー! 温泉でも行こうかしら!」
そんなことを言いながら伸びをして、彼女はすっとその場から掻き消えてしまった。
「……行っちゃった……」
「……こういうのを目の当たりにすると、本当に神なんだなって痛感するよ」
クロヴィスが呟きながら起き上がる。
傷は全て塞がり、顔色も悪くない。完全に治癒したらしい。
「オロチは……?」
振り返ると、彼もまた普段通りの様子で起き上がっていた。
「狐、借りができましたね」
「よせやい。お前がしおらしいと気味が悪い」
軽口を叩きながら、ガリューは前足で器用に鼻先をこすっている。どうやら照れているらしい。可愛い奴だ。
「……フルメンサキはどうなるのかしら」
「国王と公爵を失ったからな。混乱は避けられないだろう……だが、これは、言うなれば神の鉄槌だ。この先について、俺達が関与すべきことではない」
それもそうだ。
もしここがフルメンサキの国内であったなら、そのまま配下に収めるために動くこともできたが、竜王国に移動している今のこの状態ではそれも難しい。
今フルメンサキに戻ったとしても、国王と公爵を討ち取った証拠が何処にもない以上、侵略しようとしても貴族や国民の反感を買うだけでまとまりはしないだろう。
「一旦は静観だな。それで折を見て、国内が国民にとって劣悪な環境であるなら、多少強引にでも干渉して、それから支配下に置いて改善させるように仕向けようと思う」
「そうね。それが良いわ」
その後私達はしばし休息をしてから、神殿で保護している人達を故郷へ帰すために動くことにした。




