玖:弱点
ベルセラは、開口一番私を罵った。
そしてぼろぼろと涙を流し始め、ギルモアに「要らない」と言われたことを反芻し出した。
「……私には、もう、生きる意味がない……ギルモア様が要らないと仰るなら、私は死ぬしか……」
今にも自分の首を掻き斬りそうな勢いで呟く彼女に、エルガが心底不愉快そうな顔をした。
「お前は、他人に死ねって言われて死ぬのかよ」
「アンタに何がわかるのよっ! 私にとって、ギルモア様は全て、で……」
咄嗟に反論した彼女は、エルガの顔を見てぎょっとした。
「緋色の髪、黄金の瞳……まさか、竜人様っ?」
「あ? ああ、俺は竜人族だが……?」
彼女の反応に、エルガが虚を突かれた顔をしつつ頷く。
すると、ベルセラは言葉を失った様子でエルガを見つめた。
「……あ、あの、大丈夫?」
流石に声を掛けると、彼女ははっとしてから動揺したように視線を落とした。
「まさか、竜人様が……私を助けてくださる……? でも、どうして……」
何やらぶつぶつと呟くベルセラ。
その言葉の端々から、彼女が竜人族を崇拝しているのではないかと察せられた。
実際、竜を信仰する一族は帝国の彼方此方に存在しているので、おかしな話ではない。
「ねぇ、もしかしてアンタも攫われてきて、奴隷として売られていたの?」
尋ねると、ベルセラの肩がびくりと揺れた。図星だ。
普段ならそんな風に敵に自分の情報を渡すようなことなどないだろうが、どうやらギルモアに「要らない」と言われたことに加えて、崇拝する竜人族が目の前にいることで動揺が隠せなくなっているらしい。
「……なるほどね。奴隷として売られたところを、その顔がギルモアの目に留まって買い取られて、色々叩き込まれた、と。でも奴隷としての扱いはされなかったからギルモアに感謝しているってところかしら?」
私なりの憶測を語ると、ベルセラはぎゅっと目を瞑った。
無表情を保てなくなっていることを自覚しているようだ。
だが逆にそれが、図星を指していることを如実に表してしまっている。
まぁ、奴隷として売られ、不安と絶望を抱いていたところを拾われ、戦闘を叩き込まれたにしても衣食住を保証してもらえたなら、その相手を慕うのは理解できる。
前世の私も、奴隷ではなかったにしても同じようなものだったのだから。
「……おい、お前、そのギルモアっつー奴の能力について教えろ」
エルガがベルセラにずいと詰め寄った。
彼女は露骨に戸惑った様子を見せる。
「そ、それは……い、言えない。私は、最期まで、ギルモア様を……」
「お前のことを要らねぇなんて言った奴に忠義を尽くすのか?」
「……っ!」
ベルセラは唇を噛み締める。明らかに、私が何か言った時と、エルガが何か言った時とで、反応が違う。
彼女が竜人に対して信仰心を持っているのなら、それを利用しない手はない。
心に根差す信仰心を覆すのは、並大抵のことではない。ギルモアに心酔していても、その根底が変わらずにあるのならば、まだ付け入る隙もあるというもの。
私はエルガにこそこそと耳打ちした。私の言葉を聞いたエルガは頷いて、ベルセラの前に屈み込んだ。
「お前、どこの出身だ?」
問いかけに、彼女は答えない。しかし、迷っている様子なのは見ていて明らかだ。
「お前が望むなら、竜の背に乗せて、お前を故郷に送り届けてやっても良い」
エルガがそう言うと、彼女はぱっと顔を上げた。
竜人を信仰している彼女にとって、竜の背に乗って故郷へ帰れるというのは魅力的なはずだ。
しばし沈黙して、彼女はおもむろに口を開いた。
「……私の故郷は、もうない」
「ない?」
「帝国によって滅ぼされた。生き残りは全員、連れ去られて売られた」
「帝国に?」
クロヴィスが眉を顰める。
現皇帝になってからの数十年、帝国は侵略的な戦争を一切していない。
可能性があるとすれば、カルタス子爵が雇っていた赤銅色の鎧を着た兵士が侵略行為を行った、というところだろうか。
いや、カルタス子爵は基本的に領地内で『税金の滞納』という言い掛かりで人を攫って来ていた。もしベルセラの故郷を襲ったのがカルタス子爵の兵士だとしたら、『帝国に滅ぼされた』という認識にはならないはずだ。
そしてカルタス子爵がわざわざ自身の領地外で侵略行為をするとも思えない。リスクが高すぎる。
「お前の故郷は帝国外の国か?」
「ええ。私の故郷は帝国でもフルメンサキでもない国……でも、幼かったし、自分が住んでいた国の名前も、もう覚えていない」
エルガが質問を重ね、クロヴィスが剣呑な顔で唸る。
「……きな臭いな」
「ベルセラが帝国を恨むように、帝国に罪を擦り付けている可能性もありそうね」
「……で、ギルモアの弱点とかは? お前が知っていることを話してほしい」
エルガがじっとベルセラの顔を覗き込む。
精悍な顔つきのエルガ。クロヴィスとはまた違った美形である。
崇拝する竜人であり、そんな美丈夫に至近距離で見つめられたベルセラが、ぐっと息を呑んだのがわかった。
「……ギルモア様に弱点はない。強いて言うならば、血濡れの乙女への強すぎる執着心で、周りが見えなくなるくらいね」
それは知っている。
私は、次の質問を投げるようにとエルガを一瞥する。彼はそれを汲み取って、続けて口を開いた。
「ギルモアは他人の魔力を吸収できるのか?」
「詳しくは私も知らない。ギルモア様はあまり自分のことを話さなかったから」
ベルセラからギルモアの弱点を聞き出すのは失敗か。
残念に思って嘆息した、その時だった。
強大な魔力が、突如顕現した。
発生源は、ベルセラの胸元。
「まさか……!」
パレット男爵家の執事マルヴォが所持していた懐中時計型の魔具と同種のものを、彼女も持たされていたのか。
「防御魔術!」
咄嗟に唱え、ベルセラを魔力の鎧で包み込む。
「アリス様!」
何かに気付いたオロチが転移魔術を発動させ、その場の全員を別の場所へ移動させた。
移動先は、竜人族集落の闘技場だった。
それを認識した直後、ベルセラの胸元から噴出していた魔力が更に膨れ上がり、一瞬後に一人の男が姿を現した。
黒髪に緑の瞳の長身の男、ギルモアだ。
まだ何も対策ができていないのに。この場所を嗅ぎ付けられたか。
「……念のため持たせた魔具が役に立ったな」
彼がベルセラを一瞥して鼻を鳴らす。
どうやら、裏切りを感知して始末させるためのものではなく、所持者の居場所を知らせるための魔具だったらしい。
それでも彼がここへ来るのに時間が掛かったのは、この場所に張ってあった遮蔽効果のある結界のおかげか。
「リューギ」
彼が名を呼んだ瞬間、ヴェルシス公爵が姿を見せた。やはりギルモアの眷属らしい。
「アリエル以外は全員殺せ」
「承知いたしました」
命令を受けたリューギが右手を掲げる。
それに対して、最も早く反応したのはエルガだった。
「おっと! ここで好き勝手暴れられると思うなよ!」
素早く回り込んで、ヴェルシスに蹴りを見舞う。
咄嗟に反応したヴェルシスが防御するが、強力過ぎる竜人族の蹴りに吹っ飛び、闘技場の壁に叩きつけられた。
「っ!」
オロチの機転で闘技場に転移していて幸いだった。
家の中ではこうはいかない。
「……強いな。人間ではないのか……」
ヴェルシスはさほどダメージを受けていない様子で立ち上がる。
竜人族を見るのが初めてなのか、解せない様子で目を細めた。
「お前は魔物だな。血の匂いがする……久しぶりに本気で戦えそうだな」
ヴェルシスを見て剣呑な表情を浮かべたと思ったが、エルガはにやりと笑って、間合いを詰めた。
「竜人族か……リューギだけでは骨が折れそうだな」
彼らの戦闘の様子を見たギルモアは、そう呟いて右手を掲げた。
それを横目で見たリューギが、ハッとした顔で空へ飛び上がった。エルガはそれを追う。
「殲滅魔術!」
「っ!」
彼が唱えたのは、帝国では禁止されている、危険な攻撃魔術だ。
何故禁じられているのか、それは、効果があまりにも強すぎるからだ。
強すぎるあまりに、高確率で魔術が暴走し、術者本人も傷つき、最終的に制御不能に陥ってしまうのだ。
実際、聖王国でヘルバの魔薬を飲んだアリーヤが行使した結果、暴走して自分にも攻撃が当たり彼女は死にかけた。
だが、目の前のギルモアが、魔術を暴走させるとは到底思えない。
もしも、最上級と謳われる攻撃魔術を、完璧に使いこなしているとしたら。
「撃滅魔術!」
私とオロチが同時に唱える。
私とオロチの魔力が伸び上がって、ギルモアの殲滅魔術の攻撃とぶつかっていく。
撃滅魔術は、魔術の術式を破壊するための特殊な魔術で、殲滅魔術に対抗する数少ない術である。
聖王国での事件以降、禁止されている殲滅魔術を使う者が再び現れることを考えて、こっそり習得していたのだ。
「ほう? 撃滅魔術か……ならば、これならどうだ?」
ギルモアは、嫌な笑みを浮かべて右手を振り払った。
殲滅魔術で放たれていた魔力の刃が、突如二倍、三倍に増え、私とオロチの撃滅魔術による効果を上回った。
撃滅魔術で相殺させるより早く、魔力の刃が辺りを斬り刻んでいく。
「っ!」
刃の一部が、クロヴィスとベルセラにそれぞれ向かう。
「守護魔術!」
クロヴィスが唱え、魔力の壁がクロヴィスとベルセラを包み込んだ。
守護魔術は防御魔術よりも高度で強固な魔術だ。これもまた、殲滅魔術に対抗できる数少ない術である。
しかし、守護魔術はあくまでも盾であり、撃滅魔術のように術式を相殺してくれる訳ではない。
殲滅魔術の術者が魔力切れを起こすなどして、攻撃が止めば良いが、守護魔術もそれなりに魔力を消費するので、先に魔力切れを起こしたら呆気なく破られてしまう。
クロヴィスも強い魔力を有しているが、ギルモアとは比較にならないし、そもそも先の一件で既に魔力を消耗している。
と、彼の方を見た私は、その光景に思わず声を上げた。
「……っ! クロヴィス! 後ろ!」
彼によって守られたはずのベルセラが、いつの間にか束縛魔術を解いたのか、クロヴィスの後ろでナイフを構えていたのだ。
彼女は、思いつめたような表情で、クロヴィスの背中に刃を突き立てた。




