漆:希望
私はガリューに隙を見てクロヴィスを解放するよう伝えた。ガリューなら回復魔術も治癒魔術も使える。
クロヴィスを捕らえている十字架は、間違いなく魔力を封じる魔具だ。
あれから解放して、今は全力でギルモアと距離を取らなければ。
ガリオスはアリエルの戦い方を熟知している。何しろ自分が仕込んだのだから。
だが、ギルモアが、今の私の戦い方を知っている訳ではない。今の私は前世アリエルと違って、魔術が使えるのだ。
私は床を蹴ると同時に唱えた。
「氷結魔術!」
私の魔力が膨れ上がり、ぱきぱきと音を立てて凍り始める。
周囲一面を凍らせたが、ギルモアの足元だけは何も変化が起きず、そのままになっていた。
事前に防御魔術を展開していたか。
オロチとヴェルシスは氷の張った床の上でも滑ることなく器用に戦っている。
「風刃魔術!」
魔力が風となり、それがそのまま刃と化す魔術。
通常の魔力が刃となる攻撃魔術よりも一撃の殺傷能力は落ちるが、攻撃の数が増える。
魔力の出力を上げて威力を増強するが、しかしそれさえも、ギルモアは呪文の詠唱なしに弾き飛ばしてしまった。
だが、その刃の影に隠れて、私は彼の懐に飛び込んでいた。
「斬裂魔術!」
素早く短剣を取り出して魔術を掛け、ギルモアの心臓を狙う。
風刃魔術を囮にしてとしても、すんなり刺されてくれるとは思っていない。
案の定、ギルモアはひらりと身を躱して右手を突き出してくる。
「束縛魔術!」
「っ!」
攻撃ではなく、動きを封じる魔術を放ってきたギルモアに、私は魔力を放出してそれを弾く。
間髪入れずに短剣を突き出した私に、ギルモアがかっと目を見開いた。
刹那、彼から膨大な魔力が瞬間的に放たれ、避ける間もなく私は吹き飛ばされた。
石の柱に背中から叩きつけられ、痛みが全身を駆け巡る。全身の骨が軋む音がした。
「っ!」
衝撃で声も出せない。
「アリス様っ!」
オロチが声を上げるが、オロチはまだヴェルシスと交戦中だ。
彼も既に体の彼方此方に傷を受けている。あまり猶予はなさそうだ。
「……相変わらず、詰めが甘いな。アイリス。相手の不意を狙うのは間違っていないが、相手をよく見ろと散々教えたのに」
ギルモアは凄絶に笑う。
その顔に、ガリオスの顔が重なった。
前世で刷り込まれた畏怖が、身体を支配する。
生まれ変わって尚、私はこの男から逃げられないのか。
前世の記憶が駆け巡る。
悔しい。
この世界で、ようやく贖罪の機会を得られたのに。
その上で、自分の幸せを諦めないで良いのだと、やっと思えるようになったのに。
また、私の人生は、この男の手によってぐちゃぐちゃにされてしまうのだろうか。
そう思うと、涙が一筋零れた。
その時だった。
「転移魔術!」
掠れているが、強い口調で呪文が唱えられた。
それは、クロヴィスの声。
そちらを見ると、ガリューがクロヴィスを解放した後だった。
それを認識した直後、私を取り巻く景色が消えた。
瞬き一つの間に、別の場所に移動していた。
見覚えのある、雪山の中の集落。
一部分だけが結界で守られていて雪がないが、少し向こうには分厚く降り積もっているのが見える。
「……竜人族の……?」
今は竜王国ドラコレグナムとなった、竜人族の村だ。
私はすぐに周りを見た。クロヴィスとガリュー、催眠魔術で眠っているベルセラと、少し離れて戦っていたオロチまで、ちゃんと同じ場所に転移してきている。
「クロヴィス、よかった……」
駆け寄る私を、クロヴィスが強く抱き締める。
「俺の台詞だ。お前が飛ばされた瞬間、心臓が止まるかと思った……」
肺が空になるほどの深い息を吐いたクロヴィスが、そのままがくりと膝を衝く。
意識を失ってそのまま私に倒れ掛かって来たのを咄嗟に支え、その場にゆっくりと寝かせる。
「クロヴィス!」
「魔力切れですね。体力も限界だったようです。息はありますので、治癒魔術と回復魔術で治るでしょう」
オロチが冷静に診断する。
クロヴィスは、捕まってボロボロになるまで拷問を受けて、その上で私達を助けてくれた。
彼が魔力切れを起こすのなんて、初めて見た。
「治癒魔術(サニタ―テム)!」
私も正直疲労困憊だが、魔力は幸いまだ残っている。
淡い光がクロヴィスを包み、身体中の傷が消えていく。
しかし、傷が塞がっただけでまだ意識が戻らない。
と、そこへ私達の気配を察知したらしい竜王国の王太子エルガが駆けてつけて来た。
「アリスっ? おい! 何があったっ?」
「エルガ! よかった! とにかく、休める場所を貸して」
「それは構わねぇが……皇太子の野郎、一体どうしたんだ? それに、蛇だってボロボロじゃねぇか。そっちの女は何者だ?」
「説明は移動しながらするわ」
私の言葉に、エルガは戸惑いつつも頷き、クロヴィスとベルセラを両肩に担ぎ上げると、すたすたと歩き出した。
大人を二人も担いで余裕で歩けるのだから、やはり竜人族の力は凄い。
エルガは族長もいる彼の自宅に向かっていった。
道すがらこれまでの経緯を話すと、エルガの表情がどんどん暗くなっていった。
「……そうか。大変だったな」
エルガに私の前世のことを話すのは初めてだ。
話す必要もなかったのであえて話したことがなかったが、ギルモアとの関係を話す上では必要な情報だろう。
「……それにしても、皇太子をここまで一方的に痛めつけられるってことは、相当強いんだろうな」
「そうね……膨大な魔力を持っていて、高度な魔術も使えるみたいだったし、前世の記憶をそのまま持っているのなら、体術も私以上のはずよ」
「アリスより強いのか……」
エルガが苦虫を嚙み潰したような顔をする。
と、家に着き、エルガは客室らしき部屋のベッドにクロヴィスを下ろした。
ベルセラは束縛魔術を掛けて、目が覚めても身動きが取れないようにしておくと同時に魔力も封じておく。
「回復魔術は僕が掛けるよ。アリスも、そこに座って」
いつの間にか子狐の姿に戻っていたガリューがベッドに飛び乗る。
確かに、あの場で戦闘に加わらなかったガリューが一番魔力を温存している状態だ。
竜人族は強い魔力を有しているが、魔力を魔術として使用するのは苦手のようで、ほとんどの者が魔術を扱えない。
それでもクロヴィスがこの場所を転移先に選んだのは、おそらくだが単純にフルメンサキからの距離が離れていたことと、エルガの戦闘力の高さを見込んでのことだろう。
万が一ギルモアが転移先についてきた場合、帝都の城や神殿に来たら混乱が生じるだけでなく、最悪王族や神官が殺されてしまう。
それはあまりに危険すぎる。
竜人族の集落であれば戦闘力の高い者達が大勢いるし、暗黒竜が生息しているのに加え、今は王立騎士団や魔術師団の者も何人か常駐している。
それだけでなく、この結界には中のものを隠す作用がある。それは竜王国となる前から変わらない。
すぐには居場所を突き止められはしないはずだ。
「……ふぅ」
ガリューが回復魔術を掛けてくれたおかげで、私もだいぶ身体が楽になった。
ギルモアの攻撃を喰らって柱に叩きつけられたのに骨が折れずに済んだのは、直前にオロチが魔力を纏わせてくれていたからだ。あれが無かったら、下手したら背骨がやられていただろう。
「……ん」
クロヴィスの長い睫毛が震え、ゆっくりと目が開いた。
「クロヴィス! 大丈夫?」
「……ああ、アリス……無事で良かった」
「こっちの台詞だよ……危険な目に遭わせてごめんなさい」
クロヴィスと別行動せずに、別の方法を考えていれば良かった。
そうしていたら、彼がギルモアに目を付けられて拷問を受けることなどなかっただろうに。
悔いても仕方ないが、頭を下げる私に、クロヴィスは起き上がりながら首を横に振った。
「お前が謝ることじゃない……だが、説明はしてくれるか? あのフルメンサキの国王と、一体どういう関係なんだ?」
当然の疑問だ。
クロヴィスがギルモアから何を聞いていたかはわからないが、私は彼に、前世の話をすることを決意して口を開くのだった。




