参:紋章の家
暫く待っても、クロヴィスが転移してくる様子はなく、私は通信の魔具でもクロヴィスに呼びかけた。
しかし、応答がない。
「……クロヴィスに、何かあったのかしら……」
嫌な予感が胸に広がる。
クロヴィスは、自分が怪我を負ったり意識を失ったりすることがあれば、私もこの腕輪を通して察知できると言っていた。
今のところ、そのような異変は感じていない。腕輪からは変わらずクロヴィスの魔力が伝わってきている。
ならばただ単純に、今現在は応答できない状況にあるのか。
まだバモスに到着していないのだろうか。いや、それだけなら通信の魔具には応答できるはず。
何かあったのは確実だが、彼が怪我を負ったりしている訳ではないのもまた事実。
クロヴィス程の魔術師が、そう簡単にやられるとも考え難い。
腕輪に反応がない今、クロヴィスの所在はわからない。
今は、クロヴィスを信じるしかない。
「……どうなさいますか? このままこの場で待ちますか?」
オロチが冷静に尋ねてくる。
「……いいえ、できる限り進みましょう。たとえ、これが罠だったとしても、それ以外に道はないわ」
今の状況でおめおめと国へ帰っては、連れ去られた帝国民は助からない。
せめて、何かしらの情報は掴まなければ。
「御意」
私達は遮蔽魔術を再び掛けた状態で、飛翔魔術で王都へ向かった。
幸い、魔術による結界が張ってあるのは王城のみらしく、王都を囲む高い壁は飛翔魔術で簡単に飛び越えることができた。
呆気なさ過ぎてかえって不安になってくる。
そして、王都は深夜だというのに、まるで昼間のように賑わっている。
男を誘い込む女の猫撫で声。むせ返るような香の匂い。
本当に、前世でよく訪れた花街に似ている。
「……忌々しいわね」
花街、それはつまり身体を売って日銭を稼いでいる者がいる場所。
売る者がいれば当然買う者もいるし、それで儲ける者もいる。
つまりは、人間の醜さが如実に現れる場所でもあるということだ。
もしかしたら、攫われたベルリグナムの人達は、この町で売られてしまったのかもしれない。
世界平和実現のためには、そんな人身売買を行うような場所はあってはならない。
だが、非友好国であるこの場所を取り締まる権限は、帝国にない。
もしもこの国で人身売買が横行しているのであれば、それは私の基準では立派な粛清対象だ。
とはいえ、それを成すにしても、戦争は私の本意ではないので、どうにかそれを回避したうえで、この国を帝国の支配下に置かなければならない。
「あーでも、ここは僕には天国だなぁ……負の感情で溢れ返ってる」
私の肩でガリューがペロリと舌なめずりし、呑気にもそう呟く。
「狐、不謹慎ですよ」
窘める口調のオロチに、ガリューはむっとした様子で呟く。
「わかってるけどさ。蛇だって漁港で『この町には良質な疲労がたくさん蓄積していますね』って上機嫌だったじゃないか。それと同じだよ。主食が違うんだから仕方がないだろう」
「気持ちはわからなくはないですが、アリス様の前で口にするべきではないと言っているのですよ」
前世の話を詳細にしたことはないが、オロチは何かを察しているらしい。
彼の洞察力は本当に大したものだ。
それを悟ったガリューがしょんと耳を下げる。
「う、ごめんよ、アリス」
「いいのよ、ガリュー。オロチも、気を遣わせちゃったわね」
「滅相もございません」
そんなことを話しつつ、私達は裏路地を進んで町を探索した。
結果として、王都エストレアは大きく三つの区画に分かれていることが判明した。
一つは、正面の大門からすぐの花街を思わせる区画、二つ目は、中央を占める貴族の住宅地と思われる区画、三つ目が王城の敷地だ。
それらの区画は明確に壁で区切られており、行き来するには鎧を着た兵士が見張っている通用口を通るしかないらしい。
「変な町だな」
「同感ですね」
王城の敷地を壁で囲うのは当然だが、町中を区画分けして壁で区切るなんて、初めて見た。
何故、このような形をしているのだろう。
ちなみに、このフルメンサキではほとんどの者が黒髪に青か緑系の瞳で、他の色はほとんど見当たらないが、花街の区画ではちらほら金髪や褐色の髪色の者が見受けられた。
もしかしたら、外見と身分は何か関係しているのかもしれない。
「……アリス、あれ!」
ガリューが指差した先に、あの車に描かれていたのと同じ紋章があった。
私達が今いるのは貴族の邸宅が並ぶ区画だ。
その紋章は、一際大きな屋敷の門に刻まれていた。
「……誰の屋敷かしら……」
気配を絶ったまま屋敷の周囲を観察する。
出入りする使用人と、何かを届けに来たらしい商人の会話から、この屋敷の主が『ヴェルシス公爵』という人物であることがわかった。
「ヴェルシス公爵、か……」
非友好国の貴族名だ。当然聞いたことはない。
「オロチ、調べられる?」
「勿論でございます」
オロチは一礼し、複数の分身を出して、屋敷へ潜入させた。
私達は屋敷から少し離れた場所で、オロチの分身が見たものを随時口頭で聞くことにした。
「……屋敷自体は、この国ではごく普通の、高位貴族のもののようですね。使用人の様子も、変わったところはありません」
「じゃあ、やっぱりあの車は、盗品だったのかしら……?」
「……ん?」
ふと、オロチが眉を寄せた。
「オロチ?」
私が顔を覗き込むと、オロチが珍しく言葉を選ぶように、僅かに視線を泳がせた。
「っ! アリス様……屋敷に、地下室を見つけました。石造りの広い部屋ですが……途轍もなく血生臭い……百を超える数の人間が、その場で殺されています」
「まさか……!」
前世の記憶が、脳裏を過ぎる。
快楽殺人を趣味にする金持ちが、血濡れの乙女の標的になったことがあったのだ。
その時も、その標的の自宅の地下室に、人を殺すための部屋があった。
そこは床には血だまり、壁には血飛沫がそのまま残されていて、むせ返るような鉄の臭いが立ち込める、とてもとても不快な部屋だった。
ヴェルシス公爵も、同じような趣味をもっているのだろうか。
他国の貴族がどのような罪を犯していたとしても、私に裁く権限はない。
だが、目の前で誰かが殺されそうになっているのだとしたら、助けない訳にはいかない。
「……被害者は?」
「見当たりません。それと妙なことに、部屋は血生臭いにも関わらず、血痕は一滴たりともありません」
「……掃除しているってことかしら」
それも妙だ。
それだけ血生臭いのに、オロチが被害者の痕跡を見つけられないなんて。
「……それと、屋敷の主は現在登城中の模様です」
「公爵だからね。城にいるのは不自然じゃないわ……城に潜入してみるか、このまま待つか……」
ふむ、と思案した直後、オロチが目を細めた。
「……屋敷の者の話では、この屋敷の主が帝国から奴隷を買い取っていたのは事実のようです」
「……じゃあ、まさか……」
「ええ。おそらく、地下室で殺されたのは奴隷として連れて来られた者達のようです。そして使用人達は、非常に怯えています。今回約束の時間に奴隷が届けられなかったが、では誰が犠牲になるのか、と」
「……屋敷の人たちは、公爵が奴隷を買い取って殺していることを知っているってこと?」
「そのようです」
私は、言いようのない怒りが、心の底から湧いてくるのを感じた。




