伍:勇者の幻影
その夜、城内の自室でベッドに入った直後、妙な気配を感じて視線を巡らせた。
明確な殺意は感じないが、ちょっとした敵意はある、嫌な気配だ。
と、その時だった。
「っ! アリス!」
枕元で丸くなっていたガリューが、突如飛び上がって全身の毛を逆立てた。
一拍遅れて、私も全身の血の気が引くのを感じる。
「っ! 何……」
言葉を失う。
すう、と、壁を擦り抜けて一人の青年が部屋に入って来たのだ。
それは、あの肖像画に描かれた勇者の姿そのもの。
得体の知れない何かが、そこにいる。
その恐怖で体が竦む。
だがその勇者は、様子がおかしい。
恐怖で体が強張って気付くのが遅れたが、これはまるで―――――。
「……幻影魔術……」
ガリューが低く唸る。
幻影魔術は、文字通り幻を創り出す魔術だ。
敵の目を眩ませるために使われることが多いが、創り出すのは実体のない幻影なので、用途は限られている。
「やっぱり……」
幻影魔術だとわかれば、もう怖いものはない。
幻影魔術は遠隔で使用するものではない。ある程度近い場所で魔術を発動させているはずだ。
私は魔力を放出して、勇者の幻影から漏れ出ている僅かな魔力を探った。
「……ここって……」
その気配の根源は、私がいる皇族の居室がある棟の向かいに立つ、来賓用の宿泊棟だ。
城内から行くとかなり大回りしないと辿り着かないが、直線距離ではこの部屋からそう遠くない。
「ガリュー、行くわよ」
「おう!」
急いで着替え、私はガリューを伴って窓から飛翔魔術で飛び出した。
魔力を辿って行き着いた先の部屋をそっと覗くと、そこには予想外の光景があった。
「クロヴィスとラウル……?」
よく知る二人が、部屋にいたのだ。
彼らの目の前には、端座しているモンフォスリウム国王ザイラスの姿。
「……えっと……?」
状況が呑み込めずにいると、私の存在に気付いたクロヴィスがこっちへ来いと手招きしてくれたので窓から部屋に入り、彼の隣に移動する。
「どういう状況?」
「ラウルから、ザイラス殿が城内で魔術の不正行使を行っていると報告があったんだ」
魔術の不正行使、という言葉で即座に幻影魔術と結びつく。
城内では、原則として魔術の使用が禁止されている。例外は皇族か王立魔術師団か聖女のみである。
城の中で魔術を使う必要がある場合は、皇族または聖女、王立魔術師団長の許可を得なくてはならないのだ。
それは来賓であっても同じことである。
「幻影魔術で勇者の姿を投映させたのは貴方だったのね。二十一年前の皇帝陛下の結婚式前夜も、今回も」
私がそう投げ掛けると、ザイラスは唇を嚙んで俯いた。
「今回も? 出たのか?」
「ええ。さっき、勇者の幻影が私の部屋に急に入って来たの。すぐに幻影魔術だってわかったから、魔力を辿ってこの部屋に来たのよ」
それで私が突然窓の外に現れたのか、とクロヴィスは納得した風情で頷く。
「で、実体のない幻影魔術を投映して、何がしたかったの?」
実体がない以上、私に危害を加えることはできない。
目的がわからずに尋ねるが、彼は口を噤んだまま話そうとしない。
「あと、二十一年前に盗んだ皇妃の靴はどうした?」
重ねて質問すると、ザイラスはようやく顔を上げた。
怪訝そうに首を傾げている。
「皇妃の靴?」
「ええ。盗んだんでしょ?」
「馬鹿な! 幻影魔術は実体がないんだ! 盗みなんてできる訳ないだろう!」
「現に、勇者の幻影が目撃された後に、皇妃の靴が無くなっているのよ」
幻影魔術では盗めない。そんなことはわかっている。
だから囮にでも使って、どうにかして部屋に侵入して盗んだのだろうと思っていた。
しかし、彼の様子からして、嘘を吐いているようには見えない。
「私じゃない! 私はただ、あの生意気な侍女を驚かせてやりたかっただけだ!」
生意気な侍女、その言葉に、当時第一皇妃の侍女を務めていたヘレナの姿が浮かぶ。
彼女は昔から規律を重んじる真面目な性格だったと聞く。
ザイラスが当時来賓として帝国にやってきて、皇妃を前に女性蔑視の発言をしていたとしたら、それに対してヘレナは苦言を呈しただろう。
その様が、非常にすんなり想像できてしまった。
男尊女卑の感覚が根強いザイラスは、それが我慢ならなかった。しかし相手は帝国の第一皇妃の侍女。下手なことをすれば国際問題になる。
そこで、ささやかな悪戯を仕掛けて留飲を下げることを考えたのだ。
目論見通り、深夜に勇者の絵が抜け出してきたのを見たヘレナは慌てふためき、兵を呼びに行った。
そして偶然、その直後に皇妃の靴が紛失していることに気が付いた、と。
つまり、皇帝の結婚式前夜に花嫁の靴が盗まれたのと、勇者の幻影が現れたのは、別の事件ということだ。
「……で、今回は私にやられたことを逆恨みして、私を驚かせるために私の部屋に勇者の幻影を送り込んだ、と?」
確認のために問う。ザイラスは再び視線を落として口を噤んだ。
が、クロヴィスが苛立たし気に足をだん、と踏み鳴らすと、びくりと震えてこくこくと頷いた。
ザイラスの様子を見るに、おそらく嘘は言っていない。
彼の翠の瞳を見ても、悪人を象徴するあの昏い光は視えない。どうやら、言動に難はあるものの、根本的には悪い人物ではないようだ。
女が劣っているという思想ではあるが、一方で、女は男が守るべきものだと考えているらしい。
実際、留飲を下げるために私やヘレナに対し、幻影魔法で驚かすという子供じみた悪戯はしたものの、直接的に傷つけようとはしなかったことから、他者を傷付けることを厭わぬ悪人、という訳ではないことは伺える。
「……今回の件は、父上に報告し、帝国として対処することになる」
クロヴィスが淡々と告げると、ザイラスはがくりと肩を落とした。
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