弐:花嫁の靴
そこに現れたのは、クロヴィスの母、現第一皇妃のフローラ様だった。
「第一皇妃殿下にご挨拶申し上げます」
「あら、ごきげんよう。アリス」
朗らかな笑顔で応じてくれた彼女の後ろには二人の侍女が控えている。
「こんなところで何を?」
怪訝そうに首を傾げる彼女に、私は彼女の結婚式前夜に起きたことと、それを受けて今回の結婚式での警備強化する話、それが気になって絵を見に来た旨を簡単に説明した。
「ああ、そういえば、そんなこともあったわね」
あまり大事に捉えていないのか、彼女はのほほんと答える。
「あの、その当時のことで、何か覚えていることや気になることはありませんか?」
「んー、特に気になることはなかったと思うわ。もう二十年以上前の話だから、あまりよく覚えていないけど……でも、靴が無くなったおかげで、履き慣れた靴で式に臨めたから、私としては助かったの」
「靴が無くなったおかげ……?」
「ええ。結婚式用の靴は、私の父の指示で高級な新素材で作られていたのだけど、それが何しろ硬くて……私専用として型を取って作られたのだけど、それでも前日の衣装合わせで履いただけで、爪先と踵が痛くなってしまってね。これを履いて一日過ごすのかって憂鬱な気持ちだったのを覚えているわ」
つまり、高級な第一皇妃専用の靴を盗まれはしたが、本人的には寧ろその方が助かった、ということか。
なんだか急に、別の部分が怪しくなってきたぞ。
もしや犯人は、第一皇妃が結婚式用の靴が足に馴染んでおらず、履くと足が痛むことを知っていて、第一皇妃のためにそれを隠したのでは。
しかし、もしそうなら結婚式後、現在に至るまで発見されていないのも不自然か。
うーんと唸ると、第一皇妃は目を瞬いた。
「あれ以来絵が動くなんて騒動は起きてないんだから、気にすることはないと思うのだけど……そうもいかないのかしら?」
「ええ。先程説明しました通り、今回の結婚式の前夜にも、同じことが起こるかもしれないと、警備を強化することになっています。今回何も起きなかったとしても、原因が解明されていない以上、今後皇族の結婚式の度に警備強化をすることになってしまいますので」
まぁ、皇族の結婚式前夜は、来賓が宿泊していることも多いので、警備強化すること自体はあまり問題ないが、不確定な不安要素をそのままにしておくのも気持ち悪い。
「それもそうねぇ……私も何か思い出したら貴方に伝えるようにするわ」
「ありがとうございます」
私が一礼すると、彼女は優美な所作でその場から去っていった。
結局何もわからないままだったが、この後も結婚式の確認事項はまだまだてんこ盛りなので、私は執務室へ戻ることにした。
執務室へ入ると、イーサンとクロヴィスが、何やら神妙な面持ちで額を押さえていた。
「どうしたの?」
「ああ……ちょっと頭の痛い問題がな……」
言いながら、クロヴィスは手にしていた書面を私に向けた。
それは手紙のようで、流麗な文字でこう綴られていた。
『ファブリカティオ帝国 皇太子クロヴィス殿下
この度はご結婚、誠におめでとうございます。
つきましては、結婚式の前日にそちらへ参りますので、是非晩餐を共にいたしましょう。
モンフォスリウム王国 国王ザイラス・フェザー・モンフォスリウム』
「えぇ? 結婚式前日に押しかけて、新郎相手にこっちの都合無視で食事の約束押し付けるって、流石に非常識すぎない? モンフォスリウムではそれが当たり前なの?」
思わず声に出してしまうと、クロヴィスが苦虫を嚙み潰したような顔をした。
モンフォスリウム王国は、帝国の南に位置している古くからの友好国だ。
友好国とはいえ、帝国の配下外であり、プレアデス聖王国のように協力関係でもないため、私が訪れたことは一度もない。
婚約式の来賓は帝国内の貴族のみだったため、王族と顔を合わせるのも今回の結婚式が初めての予定だった。
ちなみに、ビュートの足がモンフォスリウム王国内のどこかに封印されていたが、詳しい場所やその後の状態などは知らされていない。
「そうか、アリス知らないんだよな……モンフォスリウム王国は、選民思想に加え、昔の帝国のような男尊女卑が根強く残る国だ」
クロヴィスの説明に思わず顔を顰めてしまった。
帝国にも男尊女卑の歴史があり、その当時女性はかなり虐げられてきたと暦書に記されていた。
その歴史を変えたのが、聖女という存在なのだ。
「自分達は選ばれた種族である、というのに加え、男が優れていて女は劣っているというのが根幹の思想だからな。当然、相手が帝国の聖女であってもそれは変わらない。そもそも、聖女という存在についても懐疑的だ。おそらく、今回の訪問で聖女であるアリスの価値を確かめようとしているんだろう」
「それで晩餐の誘いを?」
そんなに見下している相手と晩餐を共にしようとするのは不自然では、と思っていると、クロヴィスは額を押さえた。
「選民意識と男が優れているという思想……それ故に王族の者たちは皆、その類の傲慢さをもっている。まぁ、ロランマグナやトリブスの元第二王子に比べたらまだまともだがな」
脳裏に、権力を振りかざすだけのあのアホ面が浮かぶ。
もしあんな奴らが王だったら国はすぐ傾くだろうな。
「つまり、自分たちから食事に誘うのはこの上ない名誉だろうと、帝国の皇太子相手に本気で思っていると?」
「ああ。しかも、結婚式の招待状の差出人は俺とアリスの連名だったのに、この手紙の宛名には俺の名前しかない。予想だが、晩餐の席にアリスを後から呼びつけて酌でもさせようとしているんだろうな」
「今回の結婚式の花嫁であり、聖女の私に?」
別に私は自分が偉いだなんて思っていないが、流石に結婚式の主役である立場なのに、来賓がそのような態度だとしたら流石に驚きだ。
「アイツらは、聖女だろうが女王だろうが、女というだけで劣っていると見なすからな」
「自分たちだってそんな女から生まれてきているくせに」
前世の世界でも、女というだけで見下す男は数多くいた。
確かに、体格的にも骨格的にも、力では女は男に勝てないのだけど、だからと言って必ずしも女が劣っているという訳ではない。
少なくとも、前世の私は自分より力が強いはずの男共を、数多く葬ってきている。
「正論だな。まぁ、アイツらからしたら、女は子を産むための道具でしかないんだ……話していて嫌な気分になるから、俺は極力関わり合いたくないのが本音だが……古くからの友好国であると同時に、交易の上では信頼のおける相手だからな。対外的な場面では我慢するしかない」
「帝国の皇太子も大変ね」
「もうすぐお前も皇太子妃だ。公務より聖女の仕事が優先ではあるが、最低限の公務は発生するし、お前がモンフォスリウムを訪問する可能性もある……そういう国であるということは覚えておいた方が良い」
クロヴィスの言葉に、覚悟を決めて頷く。
が、彼の表情はまだ晴れない。
「どうしたの? まだ何か気になることがある?」
「……前夜の晩餐は断るにしても……今回招待しているモンフォスリウム国王夫妻と王太子……実はこの王太子が厄介なんだ」
「厄介?」
「会えばわかる。多分、アリスが嫌いなタイプだと思う」
クロヴィスはそれ以上語らなかったが、幸せいっぱいのはずの結婚式を前に、妙な不安が胸を締め付けるのだった。
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