捌:怪物の正体
魔鳥がルクスコリス火山の火口に突っ込んだ、その次の瞬間。
突き上げるように、大地が揺れた。
「……やられた……!」
クロヴィスが舌打ちしてビュートを振り返る。
黒い影は、私が展開させた封印魔術によって空中に縫い留められている。
本来なら、そのままビュートをルクスコリス火山に封印するはずだった。
しかし、生贄の対象として指定した魔鳥の一体が拘束を逃れて、封印先に指定した火山へ突っ込んだ。
その火山には、ビュートの心臓が封じられている。
「……まさか、ビュートが、封印される直前に、魔鳥を一体だけ操作して……?」
だとすれば、魔鳥が果たす役割はただ一つ。
私がそれを悟った刹那、地鳴りと共に火口の固まっていた溶岩にヒビが入った。
「まずい! 噴火するぞ! 全員退避!」
クロヴィスの怒号と共に、騎士達が一斉に一か所に集まり、魔術師団が力を合わせて転移魔術を発動させた。
その辺りの無駄のない動きは流石王立騎士団と魔術師団といったところだ。
「アリス! 俺達も一度退くぞ!」
溶岩のヒビが増える。程なくして大噴火が起きるのは確実だ。
「でもっ! 今封印魔術を解除したら……!」
やっとビュートをあそこへ縫い留め、火口へ引き摺り込む直前まで追いやったというのに。
もしこの場を離れて、ビュートが心臓を取り戻したら、同じ封印魔術は通じなくなるだろう。
『……ナゼダ』
焦る私の頭に、直接あの低い声が響いて来た。
クロヴィスを見ると、彼にはこの声が聞こえていないようだった。
「……え?」
『アカツキノメガミ、ナゼダ……』
アカツキノメガミ、声は確かにそう言った。
暁の女神、それは古代魔術の呪文の冒頭でも唱えられる、古代神話に登場する神だ。
古代神話によると、天地創造の神ルクスコリスは、世界を生者の住まう《表》と、死者の住まう《裏》に分けた。
そして、《表》の世界に人間を創り、その中で最も優れた者を王とした。
その王は最初こそ名君として種の繁栄に心血を注いでいたが、やがて慢心し、仕事を疎かにするようになったため、怒った神によって死者の国に堕とされた。
そこで改心した彼は、神に懇願してもう一度やり直す機会を与えられ、《裏》の世界で真面目に死者を導く『黄昏の王』となった。
やがて《裏》の世界が安定したところで、神は《表》の世界を率いる存在が必要だと判断した。
しかしもう一度人間に任せても同じ轍を踏むだけだと、神は自らの一部を切り離してその存在を創り出した。それが『暁の女神』だ。
暁の女神と黄昏の王は、それぞれが表裏一体となり、今も尚、世界を守っている。
というのが神話の大筋の流れだ。
ちなみに、帝国の神殿が祀っているのが暁の女神であり、聖女が得ている浄化の力は暁の女神の寵愛によるもの、というのが主な解釈である。
ビュートが私を見て暁の女神だと言ったのは、おそらく私の中にある浄化の力に反応してのことだと思われるが、しかし腑に落ちない。
『オマエハ、ワレト、オナジハズ……』
「……貴方は誰?」
暁の女神をそのように言える存在なんて、彼女と同格の存在になった黄昏の王のしかいないはず。
嫌な焦燥が、胸を焼いた。
『ワガナハ、ビュート……ルクスコリスニエラバレシ、タソガレノオウ』
愕然とする。
黄昏の王は《裏》の世界で死者を導く存在だとされている。
それが怪物として、この世界に千年間も封じられていたというのか。
一体、何がどうしてそうなった。
謎だらけだが、もしもビュートが本当に古代神話に登場する黄昏の王であるならば、あの桁外れの強さも納得である。
混乱する私の脳裏に、いつか読んだ、古代神話の一部が過った。
暁の女神と黄昏の王は表裏一体となった。
つまり、暁の女神と黄昏の王は、二人で一つとなった。
黄昏の王が《表》の世界に封印されていたのだとしたら、暁の女神は一体どこにいるのだろう。
いや、今それを考えても仕方ない。問題は目の前にいる黄昏の王だ。
「……貴女の心臓を返したら、貴方は《裏》の世界へ戻るの?」
『ソウダ。ワレヲ、フウジタニンゲン、ゼンインツレテイク』
「貴女が封じられて千年も経っているの。貴女を封じた五人の王は、皆死んでいるわ」
私がそう答えると、黄昏の王は真っ黒い顔でクロヴィスを一瞥した。
眼もないのに、彼がクロヴィスを視たのだと、何故かわかってしまった。
『ナラバ、ケツエンヲヨコセ』
「……!」
五人の王の血縁、それは当然、その子孫であるクロヴィスが含まれる。
「……そうはさせない……!」
私が右手を掲げると同時に、黄昏の王は私の封印魔術を振り解き、諸手を挙げた。
刹那、地面がもう一度大きく揺れ、火口から勢いよく溶岩が噴出した。
「噴火っ!」
「防御魔術!」
クロヴィスが咄嗟に私達の頭上に防御魔術を展開してくれたおかげで、噴石の直撃を免れた。
そして、火口の上空を見て、言葉を失った。
「……心臓が……!」
そこには、黒い影が浮いていた。
よく見えないが、脈打っているのがわかる。
「アリスの封印魔術が失敗したのか?」
「魔鳥が一体、拘束を逃れて火口に飛び込んだでしょう? それだけなら封印魔術に影響はなかったんだけど、その魔鳥が、ビュートの心臓の封印を破壊したのよ……」
それにより、心臓が解放され、その魔力を得た身体が、私の封印魔術を振り切ったのだ。
頭上に浮いた心臓は、吸い込まれるように、黒い人影のぽっかり空いていた胸の穴に収まった。
「……ビュートが、復活した……」
クロヴィスが歯噛みする。
「クロヴィス、ビュートの正体は、古代神話の黄昏の王よ」
「黄昏の王……そんな、馬鹿な?」
「何がどうして封印されていたのかはわからないけど……彼自身がそう言ったの」
神に選ばれた彼は、相応の力を与えられている。
それこそ、神の一部から生み出された、暁の女神と同等の力を。
「……表裏一体……もしかして……!」
ふと気づいた私は、右手を黄昏の王に向けて掲げた。
「浄化魔術!」
最大出力を一点に集中させて投げ付けると、黒い人影は一瞬強い光を放った。
直後、そこには、黒髪に黄金の双眸の男がいた。年齢は三十代半ばほどに見える。
「……あれが、黄昏の王……?」
そして、彼の頭上に黒い靄が渦を巻き始めた。
穢れの靄に似たそれは、彼が何かしようとして顕現したのかと思われたが、彼が天を振り仰いでぎょっとしたので、どうやら違うらしい。
そして、そこからぬっと白い腕が出て来て、彼の胸倉を掴んだ。
「ちょっとアンタァ! 今までどこほっつき歩いていたのよ! アンタが急にいなくなったせいで、このアタシが《裏》の世界の世話までしなきゃいけなくなったじゃないのォォォ!」
叫びながら姿を現し、黄昏の王を前後に激しく揺さぶるのは、金髪碧眼の女性だった。
今まで見た誰よりも美しく、思わず見惚れてしまうほどの圧倒的な、人外の美貌だ。
「千年よ! 千年ものクソ長い間! アンタの尻拭いをさせられてきたのよ! 覚悟はできてるんでしょうねぇっ! アァン?」
凄まじい剣幕で黄昏の王を睨む彼女。おそらくだけど、言動から多分暁の女神だと推測される。
それにしては、何て言うか、ガラが悪いな。
呆然と彼らのやり取りを眺めていた私達に気付いた彼女は、はっとした様子で黄昏の王の首根っこを掴んだまま私達の前まで降下してきた。
「ここ最近は《裏》が忙しくて《表》の様子を見られていなかったんだけど、今の人間の国の長はこんな感じなのね。それで、貴方が私の加護を受けた聖女ね……うんうん、良い感じよ」
よくわからないが褒められた。
「コイツを喚び出したのは貴方達? おかげで助かったわ! もう《裏》の世界はうんざりだったの! どいつもこいつも辛気臭いんだもの!」
そりゃあ、《裏》は死者の世界だからな。
そう過るが口には出せない。
「違う! 俺は人間に騙されて封じられていたんだ!」
ここでようやく黄昏の王が口を開いた。
彼が封じられた経緯には興味があったため、女神に一度手を放すよう促して、彼の話を聞くことにした。
「俺は、一度ルクスコリスにこっぴどく叱られて、心を入れ替えて《裏》で死者を導き輪廻転生の環に戻す仕事を真面目にこなしていたんだ! それを、《表》の五人の王とやらが突然俺を喚び出して、力を寄越せと言ってきた。拒否したら封印されて……今に至る。だから俺が行方を眩ませていたのは俺のせいじゃないんだ!」
「……ええと、つまり、諸悪の根源は五人の王だったってこと?」
「ああ。アイツらは、俺の力を得れば不老不死になれると思ったらしい。そんな訳ないのにな」
肩を竦める彼の横で、暁の女神がわなわなと震えている。
「何なのよ! そいつらの身勝手な召喚のせいで私はこの千年間クソ忙しい毎日だったって訳っ? 冗談じゃないわよ! あー! 腹立つ! 生きていたら八つ裂きにしてやるのに!」
彼女は千年という時間の中で彼らが既に死んでいることを理解している。
と、彼女は何か思いついた様子で、ぽんと手を叩いた。
「そうだわ。私は何も知らずにそいつらを輪廻転生の環に戻しちゃったから、どこかに生まれ変わっているわね。呼び出して八つ裂きにしちゃいましょう」
恐ろしいことを言いながら、彼女は問答無用で右手を挙げた。
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