陸:怪物の襲来
目の前の光景に、私は言葉を失った。
「……何、これ……」
遺跡を覆うように張っていた結界は無残に砕かれ、町の跡だった場所が消し飛んでいる。
辛うじて城は原形を留めているが、その上空を、緋色の竜と黒い影が飛び回り、何度もぶつかっている。
待機して警戒していたはずの騎士団も壊滅状態で、皆瓦礫に紛れて倒れている。
「っ! ガリュー!」
「アリス!」
名を呼ぶと、目の前に子狐の姿が現れる。
「竜人が、もう限界だ! アイツ、何度も城を庇って攻撃を受けているんだ!」
珍しく声を震わせるガリューに、私は頷き、彼を肩に乗せると飛翔魔術で城に向かって飛んだ。
正直、シエンタ子爵領からパオ遺跡という、大陸縦断に近い距離を転移したせいで、魔力をかなり消費してしまった。
この状態で、エルガを圧倒しているビュートに太刀打ちできるだろうか。
人間相手なら、多少魔力を消費していても負ける気はしないが、得体の知れない魔物相手となると勝手が違う。
「エルガ!」
名を呼び、私は右手を振り翳した。
エルガが私の声に反応して振り返り、私の次の行動を察して即座に上昇する。
「攻撃魔術!」
魔力が刃となって、黒い影に向かっていく。
しかし。
黒い影の腕のような部分が振り払われた瞬間、全ての魔力の刃が四散してしまった。
「っ!」
『―――――ドケ』
頭に、直接声が響いて来た。
オロチのものでも、ガリューのものでもない、低く重たい声だ。
「びゅ、ビュート……?」
『ヨウヤク、チカラ、トリモドセル……ジャマヲ、スルナ』
唸るような声が響いた直後、黒い影が徐々に人のような形になっていった。
頭部がなく、胸のあたりにぽっかりと穴の開いた、不気味な形だ。
その姿を目の当たりにした瞬間、体中の血の気が、一瞬でさっと引いていくのを感じた。
何だ、これは。
古代の魔物、ビュートと呼ばれる怪物。
本能が、大音量で警鐘を鳴らしている。
怖い。
無意識にソレに対して畏怖を抱いていることに気付く。
前世でも、今の人生でも、かつて、実体のあるものに対して恐怖心を抱いたことなどなかったのに。
これは、前世に対して幽霊を怖いと思っていたのとは、また異なる感情だ。
おそらくは人生で初の、圧倒的強者に対する、絶望に似た、畏怖。
「……何なの、これは……」
背中を氷塊が滑り落ちたような心地がして、どくどくと、心臓が脈打つ音が耳に響く。
完全に気圧されている。
この、私が。
『ドケ!』
怒鳴ったような声が脳に響いた直後、衝撃波が私とエルガに襲い掛かった。
「っ!」
勢いよく後方に飛ばされて、城壁に叩きつけられそうになったところを、エルガが壁と私の間に滑り込んだ。
「ぐっ!」
「エルガ!」
竜の姿が消え、緋髪の青年の姿に変わる。
竜の姿を維持できない程、体力も魔力も消耗してしまったようだ。
そのままずり地面に落下しそうになったのを、風壁魔術で受け止めて、そっと地面に下ろす。
人型に戻ったエルガは、傷だらけでボロボロだった。
「ごめん、私のせいで……」
「気にするな。お前を守って死ぬなら本望だ」
「馬鹿。死なせないわよ。アンタも、帝国の一員なんだから」
とりあえず回復魔術を唱えて、私は頭上を仰いだ。
ビュートが、くるりと向きを変えた。
「っ! 駄目!」
反射的に飛翔魔術を唱えようとした、次の瞬間。
カッ、と閃光が迸った。
そして、激しい爆発音と、何かが崩れる轟音。
「……塔が……」
愕然とする。
立ち昇る土煙の向こうに、あったはずの塔が無くなっている。
クレア王女が命と引き換えに封印の魔術を掛けた、あの塔が。
やられた。
呆然とする私の前に、黒い影が降りて来る。
人の形をしている真っ黒なそれは、胸の部分に穴が開いたまま。しかし、先程とは違い、頭部の形ができている。
頭部の封印が、解かれてしまった。
『アトハ、シンゾウ、ノミ……!』
地を這うような唸り声と共に、黒い影は飛び去ってしまった。
飛んでいったのは、南の方角。
「ルクスコリス火山……!」
心臓を取り戻しに行ったのだ。
「行かなきゃ……!」
「待てっ!」
エルガが私の腕を掴む。
「危険すぎる! 行くなっ! あれは強すぎて太刀打ちできる相手じゃねぇ! 死ぬぞ!」
人間より遥かに強靭な肉体を持つ竜人族、その中でも最たる強さを誇るエルガがここまでボロボロにさせられたのだ。
彼の心配は尤もである。
しかし、それでも。
「それでも行かなきゃ。私は聖女だから……エルガ、ガリューと協力して、怪我を負った騎士達を介抱して、帝都に送り届けて」
「っ! お前が行くなら俺だって……!」
「エルガ、お願い」
「……っ!」
私が真正面から彼を見ると、言葉を詰まらせて、一度瞑目するとさっと踵を返した。
「約束しろ。絶対に、死ぬなよ」
「……ええ。わかったわ」
守れるか、正直自信は無い。
それでも、そう答えるしかなかった。
「ガリューも、頼んだわよ」
「……わかった。何かあったら呼んでくれ」
「ええ」
私は頷いて、身を翻す。
魔力を使い過ぎているのは理解している。
それでも、ビュートより早くルクスコリス火山に行くには、転移魔術しか方法がない。
「……ん?」
ふと、足元に光る何かを見つけてそれを拾う。
「魔晶の欠片……!」
それは、あの塔に鎮座していた魔晶の一部だった。
ビュートによって破壊された破片が、ここまで飛んできていたとは。
二百年稼働し続けた魔具の核になっていたことと、砕けて掌に乗るほどの大きさになってしまったことで、元の状態に比べるとかなり魔力の含有量は減ってしまっているが、それでも魔晶は魔晶。
私はそれを握り締め、転移魔術を唱えたのだった。
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