壱:野営
慣れない野営でテントを張るのも手古摺っている神官見習いの二人を手伝おうとしたら、慌てた様子のジルベルトに止められてしまった。
「聖女様! 聖女様がこのような事をする必要はございません!」
ジルベルト・ジムニー。アネット派の神官で、金髪に紫の瞳を持つ長身の女性。
ボーイッシュな風貌故か、神官見習いの少女達から絶大な支持を得ている人物だ。
性格は少々潔癖で、同僚神官で女好きのロジェ・ミラが女性を口説く度にそれを叱責している。
彼女からしてみれば、自分達の頂点に立つべき聖女が野営の準備を手伝うなど、あってはならないのかもしれない。
しかし、私は別に、聖女という立場に胡坐をかく気はない。
「えー? だってじれったくて見てられないもの……皆でやった方が早く終わるでしょう?」
私がそう言うと、神官見習いの二人だけにやらせるつもりだったらしい神官三人が言葉に詰まった。
「ほら、さっさとテント張って、夕飯の準備しちゃおう」
少し前まで同胞だった神官見習いにそう声を掛けると、彼らは妙に感激した様子で頷いた。
ちなみに二人の名前はケイドとリーゼルだ。
前世での殺し屋家業の中で、標的を追って野営する事もあったのでテントの設営は慣れている。
前世のテントはこの世界の物と微妙に違うが、大体似たような造りをしているので、二人に指示を出しながら手早くテントを張った。
「暗くなる前に薪も集めてこないと! ほら早く!」
私は三人の神官にもそう促し、手分けして薪を集めた。
真冬ではないので暖を取るために一晩中火を焚き続ける必要は無いが、野盗や魔物を警戒するには明かりが必要だ。
その後、火を囲んで用意してきた食事をとり始めると、ジルベルトが今後のスケジュールについて話し始めた。
「今夜は聖女様以外の者で交代で見張りをして、明日の夜明けと共に出発します。そうすれば、明日の日暮れ前には帝都に到着できるでしょう」
「え? 私も見張りをやるわよ」
何故自分だけ除外されるのか。
確かに私は聖女だが、特別扱いされる理由は無い。
そう言うと、私以外の全員が目を瞠った。
「いや、聖女様に見張りなんて……」
「できないって言いたいの?」
「いえ、させられません! 聖女様は私達神官の上に立つお方なんですから……」
もう一人の女性神官も慌てた様子で諭してくる。
クラリス・アルト。今は神官長となったジャン派で、淡い金髪に緑がかった蒼の瞳の美女だ。その儚げな美貌から、ジルベルトと相対して神官見習いの少年達からの支持を集めている。
性格は真面目で、やや融通が利かないところがある。
そんな彼女の言い分に、私は首を横に振った。
「私は浄化魔術が使えるだけ。別に偉くもなんともないわ。聖女や神官を特別扱いして変な権力を与えたりするから、ゴーチエみたいに穢れに魅入られてしまうのよ」
先日の事件で失脚して捕らえられた元神官長の名前を出すと、神官三人は苦虫を噛み潰したような顔をして口を噤んだ。
ゴーチエは、かつて最年少で神官長に上り詰めた逸材だった。
しかし、周りから馬鹿にされないように必死になる余り、祓い切れない穢れを身体に取り込んで隠滅するようになり、やがて魂まで穢れに取り込まれてしまった。
結果、皇帝陛下と皇太子殿下を呪い、神殿内に穢れを放ち、女性神官達を操ってハーレムを築くという愚行に出た。
それを、浄化魔術の覚醒した私にこてんぱんに打ちのめされたという訳だ。
その経緯の中で、どういう訳かクロヴィス皇太子殿下にいたく気に入られてしまい、婚約者にされてしまったというのが事の顛末だったりする。
まぁ、この国の歴史を見ても、聖女と皇太子が結婚する事は珍しくない。
聖女の力が外へ流出する事を防ぐ意味でも、皇族と婚姻させるのは有効であり、聖女が選ばれるとすぐに吊り合う年齢の皇族を宛がうのはよくある話らしい。
まったくもって迷惑極まりない話だ。
「……聖女様?」
黙り込んだ私の顔を、メルが心配そうに覗き込む。
「え? ああ、ごめん。ちょっと考え事……とにかく、そういう訳だから、見張りは私もやるわ。一応、簡易的な結界を張っておくから、危険はないと思うけど」
「この辺りには魔物もほとんどいないはずですので、充分かと思います」
今回同行した中で唯一の男性神官が頷く。
トリスタン・デイズ。黒髪金眼で、ガスパル派の神官だ。
相変わらず無表情で何を考えているのかイマイチわからない男である。
彼が支持する大神官ガスパルは、神官見習い時に私を虐めていたデボラの父でもあり、先日の事件の後ジャンが神官長に就くのを最後まで反対していた人物だ。
おそらく自身が神官長の座を狙っていたのだろう。
私から見て、彼はトップに立つ器ではない。彼の眼には、『悪い人間』の証でもある昏い光が宿っている。
事件の前のアネットにもその光を見たが、収束後はそれがさっぱり無くなっていたので、あれはゴーチエに操られていたから視えただけであって、彼女自身は善良な人間だったという事だろう。
ただ、私の前世から引き継いだ特殊能力でもある『悪い人間』を見分ける眼は、ただの直感に過ぎず、何の証拠にもならない。
『悪い人間』の定義も、私が勝手にそう呼んでいるだけで非常に曖昧だ。
総じて、『悪い人間』は精神的か身体的かは問わず他人を傷つける可能性が高いというだけの事。
ガスパルが『悪い人間』だったとしても、彼が今現在何も行動をしていない以上、彼を捕らえる事も裁く事も出来ないのである。
つまり、今の私にできるのは、彼が悪事を働かないように見張ることのみ。
とはいえ、神殿を離れてしまった今、彼を見張る事は出来ない。
そこで、ジャン派の真面目堅物な最年長神官のリュカに、私がいない間にガスパルが妙な動きをしないか見張るように指示を出したところ、彼もまたガスパルの動向を気にしていたらしく、二つ返事で応じてくれた。
もし怪しい動きを見せたら、リュカから魔術による速報が飛んで来るはずだ。
逆に、ガスパル派であるトリスタンが、この帝都までの旅で何かをしでかす可能性も充分にある。
彼の眼にあの昏い光は視えないが、用心するに越したことはないだろう。
「……じゃあ、最初の見張りは私がするわ。一時間半ごとに交代しましょう」
懐中時計を取り出して時間を確認する。
一時間半ずつを七人で交代すれば、十時間半で、丁度夜明けの頃合いだ。
最終的に私の決定に誰も異を唱えなかったので、食事が終わったところで私以外の面々は皆それぞれが休息に入った。
私が乗って来た馬車にはジルベルトとメルが、もう一台にクラリスとリーゼル、テントはトリスタンとケイドが使う事になった。
静寂に包まれた湖畔で満天の星空を見上げながら、私はこの後起きる何かに対して、憂鬱な気持ちで深々と溜め息を吐くのだった。
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