陸:破滅の足音
短く息を吸い、私は声を上げた。
「オロチ!」
直後、そこに黒髪緋眼の青年が顕現した。
瞬時に状況を理解した彼は少しだけ驚いた様子で目を瞠り、そしてすぐさま右手を振り払った。
「撃滅魔術!」
凛とした声が響いたと思ったら、オロチの凄絶な魔力が伸び上がり、アリーヤが放った殲滅魔術を撃ち落としていった。
撃滅魔術は、魔術の術式を破壊するための特殊な魔術である。高度な魔力操作が必要な上、分類上攻撃魔術ではないので、私も咄嗟に放てる程きちんと習得できていなかった。
殲滅魔術に対抗する数少ない術なので、ことが済んで落ち着いたらきちんと勉強しとこうと心に誓う私だった。
オロチの魔術によってアリーヤの殲滅魔術が完全に切れたところで、彼女はその場に頽れた。
「姉さん!」
カリーナが心配した様子で叫ぶが、オズワルドが左手で彼女の右手を掴む。
二人は結界魔術の継承中なのだ。離れることは、継承の失敗を意味する。
しかし、カリーナの意識が外へ向いた、その時だった。
地下室であるこの場所よりも更に地下から、地鳴りのような轟音が響いてきた。
「っ! 何っ?」
アリーヤを振り返るが、彼女は完全に意識を失っている。
「っ! 結界魔術!」
何かを察知した様子のオロチが唱えた刹那、魔法陣の中心に鎮座していた魔晶が、突如真っ二つに割れてしまった。
「っ! 魔晶が……!」
愕然とする国王とオズワルド。
その瞬間、魔法陣が割れ、中心から何かが文字通り飛び出してきた。
それはそのままオロチの結界魔術諸共天井を突き破り、どこかへ消えてしまった。
「っ! い、今のは、何だったんだ?」
ぎょっとするガリューに国王とオズワルドが愕然とした顔で視線を交わした。
「……今のが何か、心当たりがおありで?」
私が尋ねると、国王はびくりとして、それから観念した様子で頷いた。
「ええ……帝国では既に闇に葬られた話だと聞いていますが、この場所にはビュートという古代の怪物が封じられていたのです」
「ビュートですって?」
私の反応に、国王が目を瞬く。
「その名をご存知なのですか?」
「ええ……つい最近、パオ遺跡に行く機会があって……」
それだけの言葉で、国王は全てを察した風情で頷いた。
「なるほど。あそこはビュートの頭を封じた場所だと聞いています。我が国では胴体を封じ、国全体を結界で包むことで、その封印を守ってきたのです」
「じゃあ、さっき飛び出していったのは……」
「おそらくはビュートの胴体……」
「その割には、そんなに大きくなさそうだったけど……」
先程飛び出した『何か』は、精々人の頭くらいの大きさだった。
強大な魔物というからには、ドラゴン並みに大きなものを想像していたのだけど。
「強大な力をもつものが、必ずしも巨大とは限りませんよ。また、実体を伴うとも限りません」
国王の言葉にはっとする。
「……いずれにせよ、一刻も早く何とかしないと、いくら胴体とはいえ、油断はできません。万が一古代の怪物であるビュートが完全に復活したら、大変なことになる」
「私がついていながら、封印を守りきれず申し訳ありません」
「いや、アリス様が謝ることではありません。おそらく、ビュートはアリーヤ嬢の殲滅魔術に反応したのでしょう」
私はアリーヤを振り返り、彼女に駆け寄った。
よく見ると、彼女は背中から出血していた。殲滅魔術が制御できなくなって刃の一つが背中に刺さってしまったようだ。
私は彼女の首筋に手を当てた。
脈は弱いがまだある。助けられるかもしれない。
「治癒魔術!」
高出力で術を発動させると、みるみる傷が塞がっていった。
「助けるのか! 重罪人だぞっ?」
オズワルドが驚いた顔をするが、私は彼を一瞥もせずに答える。
「死にかけている人間がいたら助ける。たとえそれが罪人であっても……いえ、罪人だからこそ、きちんと裁判に掛けた上で罪を償わせないと。死んで終わりになんてさせない」
傷が完全に塞がり、彼女が目を開けたところで、私は彼女の頬を力任せに引っ叩いた。
「ぶっ!」
「アンタ、自分が何をしたのか、わかっているの?」
凄む私に、意識を取り戻したアリーヤが目を瞬き、それからさっと青褪めた。
「わ、私は……!」
「アンタの馬鹿な行動で、聖王国の結界が破壊されてしまったのよっ?」
胸倉を掴んで前後に揺すりながら問い詰めると、彼女は完全に狼狽した様子で辺りを見渡した。
「わ、私のせいでって何よ! 私が何をしたって言うのよ!」
「……今さっき殲滅魔術を使って私達を攻撃してきたじゃない」
何か彼女の様子がおかしい。
私の言葉の直後、ガリューが何かに気付いたように駆け寄ってきた。
「アリス! このニオイ! パオ遺跡で嗅いだのと同じニオイだ!」
言われて、アリーヤに顔を近づけると、確かにパオ遺跡に出現した魔牛からしたのと同じニオイがした。
「失礼」
オロチが無遠慮にアリーヤに顔を近づけ、眉を顰めた。
「このニオイ、魔薬ですね。それもヘルバから創り出した極めて厄介なものです」
「ヘルバ……」
名前だけは聞いたことがある。
調合の仕方によっては、どんな毒にも効く万能の解毒薬になるが、一方で特殊な手順で調合することで、異常行動をきたす魔薬になる薬草だ。
確か、ロレンマグナ王国の特産品で、ヘルバの調合は、国の管理する魔薬剤師の資格がなければ行ってはならず、当然異常行動をきたす魔薬の調合は法律で禁止されているはずだ。
そんなものを、何故聖王国の公爵令嬢が口にしたのか。
「アンタ、何か薬を飲んだ記憶は?」
「薬? 迎えに来ていたお父様に、聖女の座をカリーナに奪われたって言ったら、魔力の増幅薬をくれたからそれを飲んだけど……」
嘘を言っている様子はないが、どうにも腑に落ちない。
彼女の父は、聖王国でも屈指の名門貴族だという、アルシオーネ公爵だ。
その公爵が、溺愛していると思われる娘に、ヘルバの魔薬など飲ませるだろうか。
俄かには信じ難いが、父やもまた、何者かに「魔力を増幅させるだけで危険のない薬だ」と言われて渡されて信じている可能性もある。
「……陛下、大至急、アルシオーネ公爵を指名手配してください。もしかしたら、国内に魔薬が出回っているかもしれません」
「な……!」
「それから、解放されてしまったビュートの胴体の確保、封印は急務です。帝国の聖女としても最優先で当たります」
「ありがとうございます……!」
私はオロチにアリーヤに束縛魔術を掛けた上で運ぶよう指示を出し、他の面々には一旦玉座の間に戻るよう促した。
ガリューには、図書室にいるはずのトリスタンとクラリス、町にいるはずのロジェとジルベルトを呼んでくるように命じる。
一方の私は、玉座へ移動しつつ、通信の魔具でクロヴィスに連絡をするのだった。




