弐:道中の恋話
翌朝、神殿の入口には手配した馬車が停まっていた。
そして集まった同行者と、見送りに来たジャン、リュカ、シェイドが並んでいる。
「……アリス様、クロヴィス殿下には伝えないのですか?」
ジャンが少々言い辛そうにしながら問うてくる。
私は目を瞬いた。
「だって忙しいみたいだし、神殿の仕事まで知らせて更に気苦労を増やしたくないもの。万が一クロヴィスが神殿を訪ねてくることがあったら、私がプレアデス聖王国を訪問してるって伝えてくれる?」
「……承知しました」
渋々と言った風情で頷いたジャンに、私は踵を返して馬車に乗り込んだ。
ちらりと振り返ると、クラリスがシェイドに駆け寄って何か言っている。
あの二人、報告がないからまだ交際には至ってないのだろうけど、もういっそ結婚しちゃえばいいのに、と傍から見ていて思う。
クラリスの言葉を受けたシェイドが破顔している。彼のあんな笑顔は久しぶりに見た。
と、シェイドの顔を見て私と同じものを感じていたらしいロジェがぼそと呟いた。
「じれったい奴だな。さっさと気持ちを伝えればいいのに」
長年ジルベルトに片思いして散々拗らせていたくせによく言う。
いや、だからこその言葉か。
一方で全くクラリスとシェイドの関係に気付いていないらしいジルベルトが首を傾げる。
「え? 何が?」
先日の神官昇格試験に同行していないジルベルトは、クラリスがシェイドに想いを寄せていることを知らない。
当然、クラリスが自分の気持ちを自白した場にいなかったロジェも、それを知るはずがないのだが、人の心の機微に敏いロジェは二人の関係性を悟っているのだろう。
鈍いジルベルトには、ロジェのような男でないとダメなんだろうな。
「……ロジェも苦労するわね」
私の呟きに、ロジェが苦々しく笑う。ジルベルトだけが訳がわからないと言う様子でトリスタンを見るが、彼は露骨に目を逸らすだけだった。
六人乗りの馬車には、進行方向に向かって背を向ける形でロジェとトリスタン、進行方向を向く形で私とジルベルトとクラリスが座り、程なくして馬車は出発した。
旅程は移動で片道一泊、聖王国に三泊する予定だ。帰路でも一泊する予定なので、全日程では五泊六日である。
直線距離で行けたなら、早朝に出発して夜中には到着できただろうが、神殿と聖王国の間はサーブ山脈が隔てており、馬車ではとても超えられないので、迂回して行かなければならない。
飛翔魔術か転移魔術で行く方法もあるが、それほど緊急事態という訳でもないので、馬車で正面から向かうという訳だ。
ちなみに御者は人型に変化したガリューにやらせている。
あの用紙を飛ばした後で、御者の名前を書いていないことに気が付いたのだ。
というか、そもそも魔物であるガリューやオロチは名前を書いただけで結界を素通りできるのだろうか。
私の眷属である以上は大丈夫たと思いたいが、もしも結界が『いかなる魔物』も拒絶するものであったら、眷属となっていたとしても入ることはできないはずだ。
まぁ、行ってみないとわからないのだから、考えていても仕方ない。
私は気持ちを切り替えて、今回の旅を楽しむことにしたのだった。
宿泊予定だった中間の村には、日が暮れる頃に到着した。
聖王国に着いたら城に客間を用意してもらえることになっているので、寝室は一人一部屋割り振られるはずだが、この宿屋での部屋は予算の関係で、二部屋に男女別で分かれることになった。
本音はロジェとジルベルトを同じ部屋にしてあげたかったんだけど、こういうところで予算を無駄遣いするとジャンが怖いので、そこは聖王国に着くまで我慢してもらうしかない。
と、思っていたが、よく考えたら彼女達もまだ婚約中だ。
帝国の皇族王族貴族は、正式に結婚するまでは寝所を共にしないのが暗黙の了解。帝国内では神官は貴族と同等の扱いになるので、それも適用される。
それなのに同じ部屋に押し込むのは、かえってロジェが可哀想か。
婚前旅行は二人に対してのご褒美のつもりだったけど、先日トリブスの王城に招待された際のクロヴィスを思い出して、もしかしたらロジェにとっては拷問にも等しいのでは、と思い直す。
「……ねぇ、ジルベルト」
一人で悶々としていると、クラリスがベッドに座っているジルベルトに向かって、神妙な面持ちで声を掛けた。
「うん? どうしたの?」
「ちょっと、聞きたいんだけど……その、ロジェと交際をするきっかけっていうか、どうしてロジェと交際してみようと思ったのかなって……」
赤くなってもじもじしながら切り出したクラリスに、ジルベルトまで真っ赤になってしまった。
「えっ! なな、何でそんなこと……」
「だって気になるんだもの! どうしたら好きな人と交際できるのかなって……」
「……クラリスはシェイドと交際したいの?」
私が口を挟むと、クラリスは更に真っ赤になって俯いてしまった。
「えぇっ! クラリス、シェイドのことが好きだったのっ?」
流石ジルベルト。全く気付いていなかったとはもはや天晴だ。
呆れに似た気持ちで笑いつつ、クラリスに視線を戻すと、彼女は視線を落としたまま、ぽつりと呟いた。
「……どうしたら、聖女様みたいになれるんでしょうか……?」
「え?」
急に変わった話題に頭が付いて行かずに目を瞬くと、彼女はばっと顔を上げた。
「彼は、ずっと聖女様のことが好きだったって言ってました! だから、私が聖女様みたいになれれば、振り向いてくれるんじゃないかって……」
「えぇっ! シェイドって聖女様が好きだったんですかっ? それって三角関係? あ、皇太子殿下もいたら四角関係転……?」
思春期の女の子みたいな反応をするジルベルトに苦笑しつつ、私はクラリスの隣に移動した。
「私とクラリスは、全く別人でしょう? クラリスにはクラリスの良さがあるんだから、私みたいになろうなんて考えなくて良いのよ」
「でもっ! 彼が好きなのは……!」
「シェイドはもう、私のことなんて眼中にないと思うけどなぁ……」
見ていればわかる。彼の視線の先に誰がいるかなんて。
何故シェイドがクラリスに告白しないのか、正直わからない。
私のことがあって恋に臆病になっているのか、そもそも自分の気持ちを自覚していないのか。
いずれにしても、クラリスのことを想っているのは間違いない。
少なくとも、今朝の見送りの時、彼はクラリスのことしか見てないなかった。
「……クラリス、これだけは言っておくけど、この世界、いつ何が起きるかはわからないのよ。相手が目の前にいる時に気持ちを伝えておかなければ、後悔することになりかねない……私は、クロヴィスが一時的に私の記憶を失った時、本当に後悔した……」
「聖女様……」
「あと、一つだけ言っておくけど、ジルベルトに恋のアドバイスを求めても、参考にはならないと思うよ」
「な、何でですか!」
ジルベルトが心外そうに声を上げるのがおかしくて、私はつい笑ってしまった。
「ジルベルトが自分の気持ちを自覚したのは、ロジェから好きだと言われた後でしょう? 既に相手から好かれていることがわかっている状態で始まっているんだから、クラリスとは状況が違い過ぎるわ」
まぁ、シェイドもクラリスに好意をもっているのはわかるから、そこまで大きく違わない気もするのだけど。
シェイドの気持ちを私が勝手に決めつけて話す訳にもいかないから、さっさとお互いに告白して正式に交際すればよいのに、と本気で思う。
そんな私達がやいのやいの騒いでいるうちに、夜は更けていったのだった。




