伍:ロジェ組
ロジェの前には、どろんとしたものが数体、転がっていた。
『スライムか……』
透視魔術は音声も届く。非常に便利だ。
『……ニール、やれるか?』
『勿論です!』
指名を受けたニールが前に出て、右手を掲げる。
『攻撃魔術!』
唱えた刹那、ニールの魔力が刃となってスライムを貫いた。
核を破壊されたスライムは動かなくなる。
「……ニール、いつの間に攻撃魔術を……」
アネットが感心した様子で呟く。
攻撃魔術は、神官見習い達の授業では教えない。神官としては必ずしも必要ではないからだ。
但し禁止している訳ではなく、図書室にある魔術書には記載されているので、独学で学ぶことは可能だ。私もそれで覚えた。
ちなみに、彼はニール・リーフ。栗色の髪と碧の瞳の十八歳。
彼は私が聖女になった時点で魔術を使えていた数少ない神官見習いだ。
だが、私が知っている彼は、解毒魔術や回復魔術といった基本の魔術しか使えなかったはず。
今回の昇格試験のために、密かに修練を積んで身に着けたのかもしれない。
これは加点できる。
『へぇ、やるじゃないか』
『神官になるために練習したので』
『そんなに神官になりたいのかい?』
ロジェは意外そうに眉を上げた。
『ええ。僕には、どうしても手に入れたいものがあるんです。そのためには、まず神官にならないと』
『ふぅん、よくわからないけど、何でだろう。なんか昔の俺を見ている気分だ』
ロジェは不思議そうに呟きつつ、デボラを振り返った。
彼女はスライムを心底気持ち悪そうに見ている。
『デボラちゃん、大丈夫?』
『ええ、大丈夫です。ただ、こういう類の魔物はどうしても気持ちが悪くって』
『それはわかる。スライムって気色悪いよねぇ』
ロジェは朗らかに笑って、二人に先に進むよう促した。
『……デボラ、お前は何故神官を目指している?』
歩きながらニールが問う。デボラはきょとんと目を瞬いた。
『お父様のような偉大な大神官となるためよ。それ以外にある?』
『ガスパル大神官が、偉大……?』
まるで理解不能の言語を聞いたかのように、ニールは顔を歪めた。
そういえば、ゴーチエの件で神殿内の派閥を一掃したから忘れていたが、ニールはジャン派だったな。ガスパルの怠惰な仕事ぶりに気付いていたのだろう。
『何よ! お父様を侮辱するのは許さないわよ!』
ニールの方が一歳上で、神殿に入ったのも先なはずだが、デボラはそう吠える。
『まぁまぁ、今の俺達は運命共同体なんだし、喧嘩はよそう。ほら、デボラちゃんも、怒っていたら可愛い顔が台無しだよ』
ロジェは苦笑しながらそうフォローする。
「……ジルベルトが同行してなくて良かったわね」
彼女は不正を働くような性格ではないし、見学だけなら同行しても良いのでは、と思っていたが、連れて来なくて正解だった。
元々ジルベルトの気を引きたいがために軽薄に見せていたロジェだが、染み付いた癖と言うのはなかなか抜けないもので、意図的に女性を口説くことはなくなったが、息を吐くように女性を褒めるのは変わらなかった。当人は自覚もなくやっているため、なかなか治らないようだ。
当然、褒められた側がロジェに好意を抱くこともあり、その度にジルベルトがヤキモチを妬くので仲裁が大変だったりする。その被害を最も被っているのは彼女と仲の良いクラリスなんだけど。
無暗に女性を褒めるのはどうかと思うが、場を和ませる術としては悪くない。彼は天性の人たらしだ。
それは社交性が必要な大神官となる上で、重要な才覚である。
まぁ、デボラに関しては元々あまりロジェには興味がなかったらしく、褒められても素知らぬ顔をしているけど。
『……ロジェさん、一つ聞いても良いですか?』
『うん? 何だい?』
ニールの問いかけに、歩みを進めながらロジェが答える。
『ジルベルトさんとの馴れ初めを教えていただきたくて』
『はっ?』
それまで飄々としていたロジェが、赤くなって振り返る。
『な、何でそんな話……』
『噂では、ロジェさんはずっとジルベルトさんを好きだったとか……でも、前はジルベルトさんとよくケンカしていたように見えていたので、何がどうして結婚することになったのかなって……』
『えぇ? 俺の話なんて良いじゃないか』
照れた様子で誤魔化そうとするロジェ。
マルセルの一件は神官見習いにも詳細は伏せている。
神官見習い達は、マルセルが心を病んで魔物を神殿に召喚したと聞かされているだけなので、彼がジルベルトに想いを寄せていて、その件がきっかけでロジェが彼女に告白して結ばれた、という余談については知らないのだ。
だからこそ、それまでロジェが女性を口説く度にジルベルトから鉄拳制裁を喰らう、というのが日常の光景だったのに、突然二人が聖女に許可を得た上で交際し始め、結婚間近という今の状況が信じられないのだろう。
『いえ! 是非後学のために教えてくださいっ!』
『私も知りたいですっ! 是非教えてください!』
やたらと前のめりで尋ねてくるニールと、何故か便乗して来たデボラに、ロジェはただ苦笑する。
なんやかんや、和やかな雰囲気で進む三人だった。