番外編 シェイドの苦悩
よぉ、俺はシェイド・ティーノ。今代聖女の幼馴染にして、今は神殿の警備担当をしている。
今も、神殿にはひっきりなしに信者が参拝にやって来るので、正面入り口を警護中だ。
「……おい」
どさくさに紛れて、見知った顔が入口を擦り抜けようとしたので、肩を掴んで止める。
「くそ! 何故俺だとわかった!」
俺の顔を見るや忌々し気に吐き捨てたのは、トリブス王国出身のラウルという男。
元は王族に仕える諜報部隊の一員だったが、聖女アリスの暗殺に失敗して捕らえられ、色々あってファブリカティオ帝国のために奉仕することで特赦を得た特殊な立場である。
帝国において、聖女の殺害は重罪で、本来なら問答無用で死刑になるはずなのだが、コイツの場合は首謀者が別にいて、命令に従っただけ、更には帝国にとって有益な情報を提供してくれた、という特殊な条件がいくつも重なっため、影を離脱して帝国に所属することを条件に特赦が与えられてしまったのだ。
「顔も変えずに何故神殿に入れると思った」
「神殿の警備はザルだからな。それに、顔を変えたら愛しのクラリスに俺が来たと気付いてもらえないじゃないか!」
そう、コイツが主をあっさりと裏切って帝国側についた最大の理由がそれだ。
あろうことか、コイツはアリスの暗殺失敗で捕らえられた際に、その場に駆け付けたクラリスに一目惚れしたのだ。
「お前は! クラリスに近付くなと何回言えば……!」
「貴様にそんな指図をされる謂れはないっ!」
「俺は神殿の警備担当だ。無暗に神官や聖女に近付く輩を排除する義務がある」
「俺はクラリスの運命の恋人だぞ!」
「それはお前が勝手にそう言っているだけだろうが!」
諜報員としての実力はかなりのものらしく、その技術を惜しみなく帝国側に開示してくれているらしいが、クラリスが絡むと途端にこれだ。
帝国としても、神官へ危害を加える気がないのなら、と接触そのものは禁じていない。
だが、当のクラリスはどう見ても辟易している。
コイツが姿を見せる度に怯えたような顔をするのが見ていられない。
ただ、こういう思い込みの強いタイプは、逆上して何をするかわからないので、下手に刺激するのも得策ではない、とジャン神官長が頭を抱えていた。
以前、クラリスが話してくれた、過去に男の信者に勘違いされて付き纏われたことが何度もあると。
結構怖い思いもしてきたらしく、それを語る肩が小さく震えていたのを、今でも鮮明に覚えている。
クラリスは魔術師でもあるが、恐怖で身が竦めば、魔術だって使えなくなる。
俺に対してはいつも強気で口うるさいのに、やっぱりクラリスは女で、守ってやらなければならないんだと実感した。
「それに、生憎だがクラリスは今日の礼拝には参加しないぞ」
「何っ! そんな馬鹿な! 信心深いクラリスが礼拝に参加しないなんてことあるはずが……!」
「神官にも色々なスケジュールがあるんだよ。おら、わかったらさっさと帰れ。ここは民衆が神に祈るために来る場所なんだよ。お前みたいな煩悩の塊が来るんじゃねぇ」
首根っこを掴んで、神殿の敷地外に引き摺り出す。
奴がとぼとぼ帰っていったのを確認して、警備に戻る。
幸いこの日はこれ以降事件は起きず、礼拝時間が過ぎて入口の扉を閉めたところで俺は食堂へ行った。
「お疲れ様、シェイド」
端の席で夕食を摂っていると、俺の姿を見つけたクラリスが、自分の食事を手に向かいの席に座った。
「おう、クラリスもお疲れさん」
俺は神殿に雇われている身なので、本来ならば神官である彼女のことはクラリス様と呼ぶべきなのだが、彼女が気安くしてくれて良いと言うので、それに甘えさせてもらっている。
ラウルの件があって以来、神殿ではなくクラリス単体の護衛をすることも増え、すっかり親しくなってしまった。
と、談笑しながら食事を終えた頃、珍しくアリスが食堂へやって来た。
聖女を含む大神官以上の地位になると、職務が忙しくなることもあって自室で食事を摂ることを許されるらしい。アリスも例外ではなく、基本的には侍女が食事を私室に運んでいる。
「あら、クラリスとシェイド……トリスタンを見なかった?」
「トリスタンなら、と食事の後で図書室へ行くって言ってましたよ」
「そう、ありがとう」
トリスタンさんは神官の中でも一番魔術に長けている。
アリスが婚約者である皇太子の元に通うための転移魔術を代行することもあり、よくアリスと話しているのを見る。
まだ俺がアリスと同じ村に棲んでいた頃、俺はアリスが好きだった。
あの頃は自分でもどうしたらよいのかわからなくて、つい嫌なことを言ってはアリスを泣かせていた。当然だがアリスが俺の想いに気付くことも、俺に振り向いてくれることもなかった。
アリスが聖女になったと知って、しかも皇太子と婚約したと聞いて、いてっもたってもいられなくて婚約の証である彼女のティアラを盗んだが、結果二人の仲を深めさせてしまっただけ。しかもその後ひょんなことから神殿の警備という名目で拾われ、盗賊家業からは足を洗うことになった。
今となっては、アリスに感謝している。
貧しい村に生まれ育ち、食っていけなくなって盗賊に身を落とした俺に、まっとうな仕事を与えてくれた。
子供の頃はあんなに嫌なことばかりしていたのに。
彼女はそれさえ許してくれた。
振り向いてくれることはなくても、それだけで充分だった。
そのきっかけをくれたクラリスにも、勿論感謝している。
だから、アリスからクラリスを守れと命じられた時、俺は即答で了承したし、実際命を懸けてでも守る覚悟をしている。
「……あ」
食堂を出て行こうとしたアリスが、何か思い出した様子で振り返る。
「シェイド、今日ラウルが神殿に出没したって聞いたわ。あれが諦めてすんなり帰るとも思えないから、夜の警備はクラリスについてね」
「わかってる。そのつもりだ」
俺が答えると、アリスは少しだけ目を瞠って、それから優しく笑った。
「じゃあ、頼んだわよ」
こんな風にアリスに頼られるのは悪くない。
アリスの背中を見送ってクラリスに視線を戻すと、何故か妙に嬉しそうな顔をしていた。
「どうした?」
「ううん、なんでもない」
少しはにかんだクラリスは、素直に可愛いと思う。
でも、男によって恐怖心を植え付けられた彼女を、俺が怖がらせる訳にはいかない。
これ以上の感情を、抱いてはならない。
清廉潔白に、俺は彼女を守るんだ。
正直、クラリスが俺を見る目に勘違いしそうになる時もあるし、彼女の他の男に対する態度と俺に対する態度の違いに優越感を抱くこともある。
時々彼女の無防備さに理性が揺らぎそうになることもあるが、その時は「頼んだ」と言ったアリスの顔と、ラウルの腹立つ顔を思い浮かべて気を引き締める。
クラリスは俺が守る。
この感情に名前をつけるのは、もう少し先になりそうだ。
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