拾:粛清
暗転魔術を解除すると、既に大聖堂では優先的に解毒魔術を掛けられて回復した男性の神官四人が、神官見習い達に解毒魔術を掛けて回っていた。
クラリス、ジルベルトは、魔術で創造したのであろう布を身体に巻き付け、同様の物をスリップ姿のまま倒れている神官見習いの少女達に掛けてやっていた。
黒い球体が弾けて姿を見せた私とゴーチエに、クロヴィス皇太子殿下が駆け寄って来る。
「アリス! 大丈夫……そうだな」
私の心配をしてくれていたようだが、剣を片手に平然と立っている私と、右腕を失って気絶しているゴーチエを見て、引き気味に頷いた。
「何をしたんだ?」
「見ての通り、ゴーチエ神官長の右腕を斬り落としました。これで彼はもう魔術を使えません。魔力は念のため封印したままにしてあります。ああ、大聖堂を血で穢すことがないよう、切断と同時に治癒魔術で傷口は塞いでありますので、ご心配なく」
基本的に魔術は右腕を使って行使する。そのため、右腕を失うという事は魔術師ではなくなる事を意味する。
ただ、体内にある魔力は、たとえその人が魔術を使えなくなっても消えはしない。穢れをあれだけ取り込んだゴーチエ故に、その魔力で悪さする可能性がゼロではない。だから封印したままにするのが正解だろう。
更に、斬り落とした瞬間に傷は塞いだので、失血死する心配もない。
暗転魔術の結界がある以上、本当はぎりぎりまで血を失わせても良かったのだが、暗転魔術を解除する際に大聖堂に血が漏れ出ないとも限らないし、これが最大限私がゴーチエに向けられる優しさだ。
「……そうか」
殿下は何か言いたげにゴーチエを見る。
まさか、帝国内の神事を取り仕切る神殿の実質トップが、帝国を裏切っていたとは、皇太子としても信じたくないだろう。
ましてや、父である皇帝も、自分自身も彼に呪われていたのだ。
悪いのはゴーチエだけではない。
彼だって最初は、とても清廉な神官だったと聞いている。
最年少で神官長まで上り詰め、周りからの期待に応えようと必死だったのだ。
必死過ぎて、自らが道を踏み外した事に気が付かず、見栄のために取り込んでいた穢れに、いつしか自分自身が取り込まれてしまった。
その事に、彼の周りにいた神官の誰も気が付かなかった。
魂まで穢れが同化してしまった彼は、二度と神職には就けない。
裁きは皇帝に委ねるが、もしも皇帝が情状酌量の余地を見出すのならば、少しでも悔い改めて、国民のために、心から尽くしてほしいと願う。
「……ジャン、俺は今からゴーチエを城へ連行する。お前は神殿内の混乱の鎮静を」
「承知しました」
「アリス、お前は証人として俺と共に来い」
「えー……嫌です」
ついていけば、悪逆神官を打倒した英雄にされかねない。
褒め称えられるのは苦手だ。賞賛など無くて良い。
断られると思っていなかったらしい殿下が驚いて目を瞠る。
と、殿下の背後から現れた誰かが、彼の腕に絡みついた。
「クロヴィス様ぁ! 証人ならば私が一緒に参りますわ!」
猫なで声でそう言ったのは、神官から掛けられた布を身体に巻き付けたデボラだった。
意気揚々と名乗り出たが、彼女も先程ゴーチエに操られていた一人だ。何を証言すると言うのか。
殿下はやんわりと腕を解き、冷たい目でデボラを見た。
「お前はゴーチエに操られていただろう。何を話すと言うんだ?」
「えっ……えっと、それは……ゴーチエ様に、変な魔術を掛けられたと……」
「その後の事は覚えているか?」
「いえ……」
スリップ姿でゴーチエに纏わりついていたことなど覚えていない方が良いだろうな。
他の少女達の事を思うと、操られている時の記憶がないと言ったデボラの言葉に安堵する。
「ならばお前が来ても無意味だ。ゴーチエに操作魔術を掛けられたという事実については、改めて調査団を派遣した際に証言すれば事足りる。俺と共に来る証人は、事態を収拾させたアリス以外務まらない」
きっぱりと答えた殿下に、デボラはぎろりと私を睨む。
「何でっ! この者は、前世で業を負った犯罪者ですのよ!」
予想だにしない言葉に、思わずぴくりと反応してしまった。
私の様子を見ていたデボラは、ニヤリと笑う。
「やっぱり! 私は占星魔術で視たのです! アリスは、前世で沢山の人を殺めた殺人鬼なんです!」
誰が殺人鬼だ。
前世の私は殺し屋だ。
確かに沢山の人間を殺したが、依頼の無い殺しはただの一度もした事がないぞ。
無節操に人を殺す殺人鬼と一緒にするな。
内心でそう反論するが、そもそも彼女の言い分を認める必要はない。
「……で?」
私が問い返すと、デボラは虚を突かれたような顔をした。
「へ?」
「もしもアンタの言う通り、私の前世が殺人鬼だったとして、今の私にどういう関係があるの?」
「それはっ! 殺人鬼だった人間が聖女になんて……」
「だから、貴方が言っているのは前世の話でしょ? もしもそれが本当だったとしても、今の私に何の罪があるって言うの?」
デボラが言葉に詰まる。
それはそうだ。この世界に、前世の罪を裁く法律などないのだから。
それに、と私は嘆息する。
「前世の罪が今の人生で裁かれるなら、アンタもヤバいんじゃない?」
「な、何でよ!」
「占星魔術!」
右手をデボラに向けて掲げ、唱える。
占星魔術は本来今後を占うためのもので、前世を覗き見るものではない。
応用する事で前世を視る事ができるのだが、結局それで視た光景が事実であると確かめる術はないし、前世を知ったところで今の人生に何も影響を及ぼさないので、好奇心を満たす以外に使い道のない術である。
と、彼女の前世を覗いてみると、映像が頭に直接流れ込んできた。
此処ではない別の世界の、どこかの領主のようだ。小太りのハゲで、おまけに金に汚く女好きのスケベオヤジ、領民に多重に税を掛け、逆らう者は容赦なく殺していた。
「……アンタの方がよっぽど悪逆な前世じゃない」
視えた光景を説明してやると、殿下がぷっと吹き出した。
前世が小太りハゲのスケベオヤジだったと断じられたデボラは顔を真っ赤にしている。
「私が前世の殺人罪で裁かれるなら、アンタも前世の殺人罪が課せられる事になりそうね。他にも強奪と婦女暴行罪も絡んできそうだけど……それでも私に前世の罪がどうのこうの言うつもり?」
ぐうの音も出なくなったデボラが下を向いて唇を噛み締めている。
やれやれと嘆息して、私は殿下を振り返った。
「皇帝陛下へのご報告ならば、殿下からで事足りるでしょう。私は念のため、今一度神殿の浄化を行うために残ります」
一緒に行きたくない一心で、有無を言わさぬよう強い口調で言いきって一礼する。
と、殿下は何故か楽しそうに笑った。
「お前はそういう奴だよな……わかった。父上への報告が終わったら、迎えに来る」
「は? もう神事以外では会う事もないと思いますが」
「いや? お前を俺の花嫁に推挙する。拒否できないよう徹底的に口説くから、覚悟しておけよ」
胡散臭いまでの爽やかな笑顔でそう言うと、殿下は私の手を取って甲にそっと口付けた。
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