ー第17話伏見高瀬番所
ー第17話伏見高瀬番所
天保山からは、野口が用意した舟で伏見まで上った。現在の京都伏見区になる。南浜町に龍馬が定宿にしていた寺田屋がある。さらに戊辰戦争で伏見奉行所は戦場と化すはずだった。日付は12月8日の午後になっている。京では朝議が開かれ、長州藩主父子の入京と官位の回復が決定する。翌日の12月9日は王政復古が宣言されて、徳川慶喜の新政府における地位を巡って、戦争に転げ落ちてゆく。しかし、この世界では坂本龍馬が生きている。彼がどうやるのか…理香子にも分からない。
星岡達は、酢屋の高瀬舟に乗り換える為に、川が3っに分岐している場所に有る高瀬番所で舟を降りた。橋を渡って東に行けば寺田屋が有る。
「ちょっと…寺田屋を見てみたいんですけど?」
理香子が遠慮がちに言った。星岡は番所の役人を、それとなく顔で示した。
「動かない方が良い。俺達は身元不明だ。役人に出身地を聞かれたらまずいよ。酢屋の人達を待った方が良い」
星岡も寺田屋の事は知っている。幕府の捕り方に踏み込まれた龍馬が、恋人おりょうさんの機転で脱出した宿屋だ。
立っている4人のそばを、武家が通りかかって立ち止まった。反射的に、刀の柄を握った久利坂の右手を、野口が押さえた。
「娘。少々尋ねる。名は何と申す」
理香子は海援隊士の姿だが見抜かれている。身分の差が絶対で有った時代に、即答しなければトラブルになる。
「はい。理香子と申します」
娘と呼ばれたら、正直に娘として対応せざるおえない。
「やはり娘か…」
全員に緊張が走った。それを察した武家の方が慌てた。
「あっいや…咎め立てるわけではない。せっしゃは、伏見奉行所に勤める遠藤善ェ門と申す。国に残してきた娘に、あまりに似ておるゆえ懐かしさに見入ってしまったまで。許されよ」
武家は目礼して、素早く立ち去った。
「何か似てるな顔が…理香子と名字が同じだし…」
星岡に言われた理香子は…涙ぐんでいた。
「ひいおじいちゃん。遠藤善ェ門は伏見奉行所に役目で出張中に、鳥羽伏見の戦いが起こり…明治元年1月3日奉行所内に着弾した砲弾の直撃を受けて即死した」
理香子は遠藤善ェ門が去った方向をジッと見つめている。その理香子に星岡は言った。
「この世界じゃ…鳥羽伏見の戦いは起こらない。大丈夫…大丈夫だ」
しばらく待って、酢屋の高瀬舟が来た。寄せて来た舟の船頭が声を掛けてくる。
「星岡さん、遠藤さん、久利坂さん。こちらに…急いで…」
最後は小声になって、顔がこわばっている。星岡が見ると、時代劇でお馴染みの、浅葱色にギザギザの白い袖の3人が近づいてくる。
ー新撰組がなんで伏見に?ー
「その方ら?。どこにゆく?」
船頭が答えた。
「京に上ります」
「エゲレス人が京に忍び込もうとしておる。見なかったか?」
「いえ。見ておりません」
新撰組の隊長格の男は、星岡と理香子 野口と久利坂をジロジロと見た。プレッシャーを掛けているのだが、4人とも動じない。男は挑発に出た。
「お主ら。何者だ?…よからぬ浪士か?」
新撰組は、3人一組でフォーメーションを組んで、志士達を一太刀づつ斬り刻んだ。彼らにとって、浪士を斬る事は任務で有って合法だった。だからためらいが無い。野口と久利坂なら、この3人を斬り捨てる事は出来る。しかし、そうすればこの時代の警察組織に、お尋ね者として追われる事になる…。それしか無いのか?。星岡も久利坂も追い詰められた。その時。
理香子がイチかバチかの賭けに出た。
顔を伏せたまま言った。
「わたくしは、伏見奉行所に役目にて勤めております遠藤善ェ門の娘にて清にございます。訳有って、許嫁と家来ともども、尾張中村より父を訪ねてまいりました。京は河原町の酢屋が知り合いでございまして、これより酢屋に上る所にございます。ご不審有れば、奉行所にお問い合わせ下さい」
この当時、女性の旅は襲われる確率が高い。男装するのは、おかしな事ではない。
男は理香子を見て、目を細めた。
「…島田。確かめてこい」
右に居た男が、ハッと言って去った。
「…清か。いい女だ。覚えておこう。私は新撰組6番隊隊長井上源三郎だ。我らも明日は京に帰る。一度、壬生の屯所に訪ねて来い」
ー失礼な…抱かれに来いと言っているー。理香子は顔を上げて、にらみつけてやりたい衝動を押さえた。この男には無礼打ちなる死刑執行権が有る。
「わたくし。この星岡様と夫婦の契りを交わしておりますれば、お許しを頂きますよう御願い申します。」
井上は、からかうように星岡を見た。
「分かりきった上で申しておるのが判らぬか?。このような良きおなご、競う相手の一人や二人…おるのが当たり前だ」
星岡は、さすがに頭に来た。顔を上げて、井上と視線を合わせた。
「…なるほど。良い目をしている。しかしこの目は、夢ばかりを追う輩の目だ。夢では喰えぬぞ星岡殿?」
星岡は完全に相手が新撰組である事など吹き飛んでいた。
「夢を追う馬鹿がいなきゃ、良い世の中なんて来ねえよ!。あんただって、夢を追ってるだろ?。だから、そのギザギザ着てるんじゃないのか?」
理香子はーせっかく上手く行ったのに…ダメだー
と覚悟した。刀の鯉口が切られる音を待った。
しかし、代わりに大きな笑い声が降って来た。
「おもしろい。星岡殿はかぶき者でござるな。確かに、良き世はそう言う馬鹿が呼び寄せる。坂本龍馬など、その馬鹿の筆頭だ。それを斬れと言われるのは皮肉な話よ…」
そこに、伏見奉行所に行っていた島田が戻って来た。
「井上さん。遠藤本人に確かめました所、間違い有りません」
井上の目からは鋭さが消えていた。
「当然だな。行って良い」
井上は後ろ向きになって、振り返らずに続けた。
「星岡殿。清どのは諦めませぬからな…」
井上はそう言って笑うと、部下をうながして去った。
高瀬舟が動き出すと、星岡はため息をついた。
「駄目かと思った。見事に挑発された…済まない。善ェ門さんに救われた」
久利坂は星岡の肩を叩いた後、理香子に言った。
「善ェ門さんが娘だと…言ってくれると、何故確信したんです?」
理香子は少し笑って見せた。
「父もおじいちゃんも、ああいう人でした。だから、ひいおじいちゃんもきっと、そうだろうと思ったんです」
「なるほど。遠藤家のDNAに救われましたか。」
久利坂は楽しんでいるように見えた。それを星岡は恨めしげに見た。
「久利坂さんは、楽しそうですね。俺はそんな風になれません」
久利坂はウン?と眉毛を上げて見せた。
「新撰組6番隊隊長の井上源三郎に、伍長の島田 魁。本物に会えるなんて、ラッキーでしょう。時代劇でも、この2人はなかなか出て来ない」
「殺人マシーンですよ!。新撰組は…」
「まだ徳川幕府が政府で、尊皇攘夷の志士達は反政府分子で、言わばテロリストです。正義はまだ新撰組側に有る。彼らを一方的に殺人組織と呼ぶのは、酷でしょう。幕府が間違った事を彼らはまだ知らない。どうです?。遠藤さん?」
理香子は南に遠ざかってゆく伏見の方を見ていた。
「久利坂さんの言う通り、彼らは何もしらずに、幕府の募集した浪士隊に参加して、新撰組を組織した。志士達は反政府テロリストでした。2009年の警察だって、銃を持ち発砲もする。久利坂さんのような人達も、やもおえない場合には射殺する。近藤勇は、坂本龍馬の暗殺を疑われて、戊辰戦争の時に晒し首にされた。関係してなかったのに…。新撰組だけが間違った訳じゃない」
「一応、公安は射殺しない事になってます。威嚇射撃するだけです。この時代、刀を振りかざすだけでは参ってくれませんから、そう言う事情でしょう」
星岡は高瀬舟の縁を軽く叩いた。
「正義って何だろう…。でも殺す事はない。きれい事かもしれないけど」
またも野口が締めくくった。
「きれい事を並べられるような、強い者は居ますまい。弱い者が、飛び道具なんて言う…卑怯者の武器で戦う。外国から来た卑怯者どもで、この有り様でしょう」
高瀬舟は、京の七条に近付きつつあった。
ー次話!
ー第18話 王政復古 坂本龍馬が生きている状況で王政復古のクーデターが始まった!。後藤象二郎を使って、龍馬の無血革命の戦いが始まる!。