ー第16話アドベンチャー号
ー第16話アドベンチャー号
アドベンチャー号は1794トン スクリュー船で、砲数2の兵員輸送船と記録されている。もちろん、星岡も久利坂にもそこまでは分からない。上陸用の汽船に乗り換えて、アドベンチャー号に乗り移った。イギリス水兵が、サトウを先頭に乗り込んで来る4人を眺めている。
蒸気機関で木造船が、スエズ運河も無い時代に日本までやって来ている。時間は掛かるにせよ、すでに世界は繋がり始めている。
サトウについて行くと、階段を降りて士官用の個室に案内された。
ドアの向こうで、机に向かっていた理香子が振り返った。
「ユキヒロ!久利坂さんも!」
人質だったはずが…見事にVIPになっている。
「理香子!。いったい何がどうなってるんだ?。ケガは無いのか?」
理香子は袖からヒジを出すと赤く擦りむいていた。
「多少、さらわれた時にあちこち痛かったけど。ほぼ大丈夫」
理香子は笑って見せた。
「すぐに戻ろう。坂本龍馬は生きている。もうここにいる理由は無い」
理香子は口をとがらせた。
「ダメよ!。パークスを説得する!。サトウさんは理解してくれた!」
「それは、理香子がしちゃいけない。この時代の人々なら構わない。龍馬さんがやるのなら良い。彼は今も生きている。失敗するかもしれないけど、この時代の人間の権利だ。サトウさんに聞いたけど、パークス公使はプライドの高い人物らしい…一度決定した事を覆したりしないと思う。だいたい、身元の分からない女に会うと思うか?」
「でも会えれば、艦隊が開陽丸を威嚇するのを、やめさせられる」
星岡は眉を寄せた。
「開陽丸って何だ?」
「将軍慶喜が使ってる船。イギリス艦隊は、開陽丸が大阪湾に入れないようにしてる。サトウさんによれば…公使館は大阪の街に噂を流してる。開陽丸が大阪湾から将軍を乗せて出ようとすれば…」
「すれば?」
「将軍もろとも沈めるって」
星岡はゾッとした。居留地保護の為の流れ弾が開陽丸に直撃する。誤爆で、チャウシェスクの子供をかくまった中国大使館が吹き飛んだ事件を星岡は思い出していた。
「龍馬さんがアメリカ公使に掛け合っている。そっちの結果に任せた方がいいよ」
「ファンケル バーグ アメリカ公使ね…。米艦イロクォス。この軍艦が大阪湾に来るのは、1月6日…鳥羽伏見の戦いが終わったあと。遅すぎるの!」
黙っていた久利坂が口を開いた。
「それは、坂本龍馬が殺されたからだ。この世界で彼は生きている。すでに将軍脱出の手はずを整えているよ。彼は」
星岡はもう一度言った。
「京に戻ろう。戻って、2009年に帰ろう。坂本龍馬が暗殺されてなければ、帰っても大丈夫だ」
理香子は間を開けた。ゆっくりと船内を見渡した。
「この船は、アドベンチャー号。兵員輸送船で砲数2のスクリュー船。私達にはこれ以上の事は分からなかった…どんな外観で、中はどうなってたか。内装は?。窓の形は?。床は?。乗り組んでいた人達の様子は?。ここに全部有る。欠落した慶應3年が全部そろってる。ここは私の世界なの…」
星岡はため息をついて言った。
「わかってるよ。だけど、理香子は死ぬ所だった。アーネスト サトウの説得に失敗してたら…俺の大好きなフィアンセは、スミスアンドウェッソンか誰々作の日本刀で殺されてた。生きて帰ってこその研究だろ!。正しい真実を世の中に伝えるまでが、歴史学者の仕事だろ!。パークスに会うのは、自己満足の為じゃないのかよ?。そうでなけりゃ、こんなギャンブルは許されない。物理学者が原子炉の中に入ってゆくようなもんだ。頭を冷やせよ。理香子」
理香子は少し涙ぐんで星岡を見た。
「ごめん。ユキヒロ…わかった」
黙っていたサトウが立ち上がった。
「では。とりあえず。岸までお送りしましょう。野口を付けます。野口に伏見まで送らせます」
サトウは船上から星岡達を見送った。
後ろで縛った髪のおくれ毛が、風になびいている理香子の横顔を星岡は見ていた。もし、パークスの説得に理香子が成功していたら…この女性は歴史に名をとどめてしまう。この後140年の成り行きを知っている人間が、それをするのはフェアじゃない。逆に失敗すれば、意地になったパークスは開陽丸を即座に沈めるかもしれない。どちらもハッピーエンドとは言えない。ただ、そうしたい気持ちは理解できない訳ではない。
「何て言ってサトウを説得したんだ?」
理香子はおくれ毛を手で押さえて星岡を見た。その後ろでアドベンチャー号が徐々に遠ざかってゆく。
「戊辰戦争の戦死者8440名以上。負傷者5454人。銃を売った取引商会…シモウト、レーマン、ウォルシュ、ガリー、カールニッコル、クース、キニッフル、ヒューズ、ガーイコシス、ボードイン、オールト、アデリアン、レインボールイス。1863年から1869年までに、516,844挺が輸入され、他にもアームストロング砲や軍艦。薩摩長州に武力倒幕を勧めるあなたが、この道義的責任をとれますか?…と聞いただけ」
星岡の横に居た久利坂がボソッと言った。
「恐ろしい事を言われますね。理香子さんは…」
理香子はアドベンチャー号を振り返って言った。
「事実だから言えます。どの戦争にも理由が有ります。でも責任を取った人物は誰ひとり居ません。責任をかぶせられて、処刑された人はいても」
汽船の舳先に座っていた野口が初めて口を開いた。東北弁だった。
「いくさは、責任をとれんようになった者どうしが、負けた方に責任ばおっ被せるもんよ。下々(しもじも)の者をたぶらかす所業でござろう。それをやめさせようとは…なんとも痛快でござるな!」
無表情な能面のような顔が割れて、不気味に笑った。あっけに取られた3人は、背後に揺れ動いているイギリス艦隊を振り返った。
ー次話!
ー第17話伏見高瀬番所 酢屋の高瀬舟に乗り換える為伏見の高瀬番所に降りた4人。そこに何故か新撰組が!身元を尋ねて来た!久利坂と野口で斬り捨てれば幕府のお尋ね者に…星岡と理香子に、またもピンチが襲いかかる!