ー第11話酢屋到着
ー第11話酢屋到着
固まってしまっている陸奥らに、声が響いた。
「伊達どん。ここは西郷が一命を賭けて固め申す」
武士団の中から、ひとまわり大きい体が立ち上がって、突き出した。陸奥は顔に血液が戻って来るのを感じた。
「西郷さん。薩摩藩邸は?…大丈夫なんですか?」
「心配は要りもはん。すべては、この西郷が収め申す。中岡どんと雨谷どん三上どんも居られ申す」
陸奥は武士団の奥に、3人を確認した。さらに、高台寺党の一団も見えた。
半時(一時間)程して、空から白い雲を引いて青い光が落ちて来た。
スッパン。
水柱を上げて、舟入に突入した。浮いて来た所に、舟が漕ぎ寄せる。次々と水の中から引き抜かれて、5人が出て来た。海援隊も薩摩兵も高台寺党も5人の妙な服装に、不思議な気分にさせられていた。アメンティティは、その中から才谷梅太郎をまず見つけ、そして自分の姉を見つけた。
「姉さん!。なんで?」
ミリティ姉さんは、髪から水を滴らせながら憤慨した。
「何でって…弟の起こした騒ぎを、見て見ぬ振りができますか?。身重のホティオティを心配させて。何なのこれは?」
星岡は、自分が弁護しなければと思った。
「ミリティさん。8440名の命がこれで救われるんです。分かってやって下さい。その中には、理香子の先祖も居るんです」
「どうして?救われるのです?」
理香子がずぶ濡れの髪を顔に貼り付けて言った。
「根拠は有ります。今日は慶應3年の11月16日…翌年の1月1日から起こる鳥羽伏見の戦いは、王政復古の会議で将軍慶喜不在で会議を行うのは違うと、山内容堂公が発言したのが原因で起きました。朝廷がならば将軍慶喜を京に呼べと言う話になったからです。将軍が京に動くとなればその前に、幕府軍が京に動きます。動いて、京の薩摩兵に接近して戦端が開いたんです。それは、才谷さんが後藤象二郎さんを通して、山内容堂公に働きかければ防げます。実際、そうされますよね?。才谷さん?」
「それは道理じゃ」
才谷も水を垂らしながらうなづいた。
その才谷を見て、中岡が声を掛ける。
「才谷。おまんその格好は何じゃ?。変ぞ」
フリースにジーンズにスニーカー。時代劇ならカットになる。
「140年後の着物ぜよ。これは離れた場所と話が出来る機械じゃ。最新の完全防水ぞ」
水に浸かった携帯を才谷は取り出して見せた。もちろん、電話会社の無いこの時代に使えないが…。得意気なずぶ濡れの隊長を見かねて、陸奥が言った。
「隊長。とにかく、中に入って着替えて下さい」
しかし才谷は西郷に気付いた。
「みんなは先に入っちょってくれ。わしは西郷さんに礼を言わねばならん」
星岡も理香子も久利坂も、ひときわ大きい体の男を見た。西郷の写真は無い。西郷の写真と一般に思われているのは、想像して描かれた絵である。
絵と違って、それ程目が大きい訳ではない。普通に有る顔だが、この時代の人々より全てがひとまわり大きい。そして微動だにしないオーラを放っている。
「礼は要り申さん」
低いが良く響く声で西郷は言った。
理香子は感動して、目が潤んでいる。西郷もこの数年後に、西南戦争と言う悲劇の中で自害する。その西南戦争も謎に満ちている。坂本龍馬の死後は、佐賀の乱や大久保利通の暗殺など、異説が乱れ飛ぶ不明瞭な時代に突入してゆく。
しかし、11月16日に彼はまだ生きている。国家間の紛争はなくならない。しかしそれが武力衝突で負けた方が、無条件で全てを受け入れる結末…解決では無い…そんな結末の無い世界を、才谷梅太郎が出現させられるかもしれない。そう理香子は思った。
星岡に促されて、理香子は(木工品の店ではなく)材木屋の酢屋に入った。これは、カビ臭い文献資料ではなく、現在進行形の慶應3年11月16日だ。そして、知っている史実とは違う歴史を刻み始めている。だが、才谷梅太郎こと坂本龍馬の命を狙っている黒幕は不明のままだ。
「中岡さん?ですね」
白黒写真で見た中岡慎太郎が目の前に居る。
「ん?。そうじゃが?。あんたは?」
「遠藤理香子と云います。140年後で歴史学者をしてます。才谷さんは誰に襲われたんですか?」
「おなごの学者か…こん国の明日は開けちょるの…襲ったは谷干城。毛利恭介。田中光顕。白峰駿馬じゃ」
理香子はショックに襲われた。
「全部土佐藩士じゃないですか?。しかも谷は陸援隊。駿馬は海援隊…黒幕がいますね」
今度は中岡が驚いた。
「そんな詳しく、何で知っちょる?」
「140年後の世界では、その4人は暗殺後に菊屋峰吉に通報されて、最初に現場に駆けつけた…いわゆる第1発見者になってます。黒幕がいるはずです。彼らを挑発した人物が」
中岡はうなづいて言った。
「エゲレス公使館の通訳じゃ。おそらく殺せとは言うちょらん。言うちょらんが、武力倒幕をしようちゅう連中に才谷は幕府の手先じゃと言えば同じじゃ。この通訳は、西郷が言う事を聞かんは龍馬のせいじゃと思うちょるのよ。まぁそんな所も無くもないが…」
理香子はある名前を思い出した。
「アーネスト サトウ?」
理香子は、いわゆる彼の日記を読んだ事がある。加えて、イギリス公使だったヘンリー パークスらの半交信についても研究していた。半交信は、公文書として議会に提出義務が無い為に、公文書には無い記述が記されている。イギリス公使館の意図に対して、坂本龍馬が障害だったならば…彼らが黒幕として情報操作をする事は有り得る。暗殺が失敗なら、公使館は次の手を打ってくるはずだ。
「サトウを知っちょるか?」
「大体の履歴は知ってます。問題は…サトウは、野口富蔵と云う腕の立つ従者を抱えています」
「流言飛語で上手くいかんとなれば、刺客を送るとでも?」
「わかりません。でも警戒する必要は有ると思います」
中岡はうなづいた。
横に居た久利坂が中岡に言った。
「中岡さん。私は久利坂と言います。刀を頂きたい。居合い抜きをやってまして、坂本さんの護衛を務めたい」
「都合しよう。試しにこれで、太刀筋を拝見したい」
中岡は、自分の刀を腰から外して、鞘ごと久利坂に投げた。鞘に入ったままの日本刀を、左手でつかんだ瞬間。
どうやったのか刀は鞘から抜けていて、切っ先が中岡の鼻先をかすめた。そして、久利坂は刀身を立てて眺めた。
「見事な刃紋…銘は?」
「信國在銘。言う程の物ではごさらん。見事な居合い、感服しました」
久利坂は、刀を鞘に収めて中岡に返した。
星岡は久利坂のしたたかさを感じた。この時代、刀を持った人々の心をつかむには、剣の腕前程ものを言う物は無い。久利坂は人を斬った事は無いはずだが、中岡の口から久利坂の名前は広まり、彼に対する者は斬り合いを避けるはずだ。坂本龍馬の護衛は、それだけでも成り立つ。
星岡 理香子 久利坂、アメンティティ姉弟、龍馬と中岡…そして陸奥が酢屋の2階に入った。残りの海援隊と高台寺党、西郷は外を固めている。陸奥が状況を一同に説明した。
さすがの龍馬もぶ然とした。
「陸奥。藤吉は、斬られてしもうたか?」
「近江屋新助によると、本屋の峰吉が上手く逃してかくまってます」
藤吉は、元力士で龍馬のボディーガードだった。定説では、龍馬と共に斬られて絶命している。
「生きちょるか!」
龍馬は嬉しそうな顔で笑って言った。
「…ここは。三人共に死んだ事にするぜよ」
中岡が龍馬を睨んだ。
龍馬も睨み返した。
「中岡。谷達がわしらを襲ったっちゅう事になったら、土佐は分裂するぜよ。武力倒幕派と海援隊派とに。そんな内輪もめをやっちょる時じゃ無いきにの」
中岡が言う。
「確かに。なら、黙って葬式をやらせるのか?」
「そうじゃ。海援隊と陸援隊で棺を担げ。谷らの芝居に乗ってやれ。棺を落とすな。中身をぶちまけんように気いつけよ」
陸奥がうなづいた。
「以後。隊長と中岡さんは死んだ事になりますが…」
「死んだ。わしゃ今日から島田清八郎じゃ」
「ならば中岡慎太郎は、桜井隼太と名乗ろう」
理香子はその名前に覚えが有った。明治元年に、土佐藩が新政府に命じられて四国平定に出動する。長岡謙吉が新海援隊を結成して小豆島占領に向かっている。その名簿に、この2つの名前が有る。史実でも2人は死んでいないかもしれない…理香子は思った。
「雨谷さん。どうする?」
龍馬がアメンティティに言った。
「私が知っている歴史では…これから、戊辰戦争が始まります。我々が居なくても、龍馬さんが生きていれば戦争は起こらないでしょう。なら、私達は自分達の時代に戻るべきだと思います」
「高台寺からか?」
「はい」
「ちくと大人数じゃ…目立つな」
龍馬はニヤリとした。
「良い手が有るぜよ」
ー次話!
ー第12話近江屋新助
高台寺に行く為に、龍馬が考えた秘策とは?理香子は夢にまで見た慶應3年の河原町を歩く!