傀儡
20)
すこし時間はさかのぼる。
――農民に扮したルビーチェは、大八車を引いて堤の道を進んでいた。
農民のふりは演技だが、足取りがおぼつかないのは、これは演技ではない。
重いのだ。
荷台に積んだ袋の中には、巨漢のグレンが潜んでいる。
「くそっ、重いぞグレン。だいたい、俺はこういうのは苦手なんだよ」
ルビーチェがぼやく。
「我慢しろ、お前が慕う、麗しの姫様のためだろうよ」
と、袋の中から、グレンが、ルビーチェにだけ聞こえるように言う。
そして、
「どうだ、そろそろやるか?」
と、続ける。
横目であたりを見て、位置を確かめ、ルビーチェが答えた。
「ああ、このへんでいいだろう」
「わかった、そおれっ!」
袋の中で、グレンが跳ねる。
「うわあああ!」
とたんに大八車のバランスがくずれ、土手を堀に向かって滑り落ち始める。
「早く、早く手を離すんだよ!」
見ていたものが叫ぶが、ルビーチェがしがみついたままの大八車は、水しぶきをあげて、堀の中に飛び込んだ。
「よおし、予定通りだ!」
堀に沈んだ袋の中で、グレンは、小刀をふるって袋を切り裂き、水中におどりでる。
その手には、ぐるぐると巻いた綱のようなものを抱えている。
グレンの横に、ルビーチェも沈んでくる。
ルビーチェが呪文を唱え、発生した大きな気泡が、二人の頭を覆った。
これで当面、水の中でも呼吸に困らない。
その二人の前に、堀の底のほうで、不気味な赤い輝きが、いくつも瞬いた。
(きたな!)
二人は、お互いに目配せをした。
ゴワッ!
堀の底の泥が、爆発するように膨れ上がる。
泥を巻き上げながら、触手を網のようにひろげ、二人に向かって突進してくるのは、人食い烏賊の魔物ハーブグーヴァである。
二人を取って喰らおうと、食欲に赤い目を光らせながら、うねるように体を泳がせ襲い掛かってくる。
はあっ!
グレンが、素早い動きで、手にしたものを投げた。
グレンの手から放たれた、二つの銀色に光る金属の刃が、水の抵抗をものともせず、一直線にハーブグーヴァに向かって疾走し、
どずっ、どずっ!
ハーブグーヴァの、えらの下に突き刺さり、体内に潜り込む。
そして、二つあるハーブグーヴァの神経叢に、あやまたず到達し、放射状に金属の根を広げる。
金属の刃の柄に結び付けられている黒い綱が、ピンと張った。
この綱は、銀を編んだ芯を絶縁体の樹脂で覆ったものである。コーティングされた電線に他ならない。
グレンから綱を渡されたルビーチェは、それぞれの手に一本ずつ、綱の端を握った。
そうしている間にも、触手の網をとじて、二人をからめとろうとするハーブグーヴァ。
しかし、その前にルビーチェの手元が紫色に輝き、導線を伝わった電気刺激が、ハーブグーヴァの神経叢を貫いた。
ぎくん! ぎくん! ぎくん!
ハーブグーヴァの身体が踊るように痙攣し、やがてその触手を、だらりと下す。
赤い目が点滅する。
「うまくいったぜ」
ルビーチェが、綱を握ったまま右手の親指を少しひねると、ハーブグーヴァの一本の触手が、すっと持ち上がる。
人差し指を動かすと、また別の触手が持ち上がる。
こうなれば、綱を通して電気刺激を送り込むことで、ルビーチェはハーブグーヴァを自在に操ることができるのだ。大魔導師ルビーチェにして可能な、超高度な傀儡の魔法である。
「あとは、これを使って――」
いったんはなんとか浮かび上がった農民が、抵抗虚しくハーブグーヴァの餌食となって水の中に沈んでいく――そんな光景を演じたのだった。
21)
こうして首尾よく堀の中に潜った二人は、水中を移動し、アラハンの下水道が堀に流れ出る、その排出口にたどり着く。
排出口には、ハーブグーヴァの力でも壊せない、頑丈な鉄製の太い格子がはまっている。
本来なら通過できないその鉄の格子も、ルビーチェの腐食の魔法により腐り、ぼろぼろになったところを、操られたハーブグーヴァが触手で掴むと、あっけなく捻じ曲げられた。
できた隙間から、ルビーチェ、グレン、そしてハーブグーヴァが侵入する。
格子は慎重を期して、何重にも設置してあったが、すべて、ルビーチェの魔法とハーブグーヴァの膂力によって破壊された。
下水道は巨大な隧道になっていた。
片側に、人が並んで立てるくらいの、整備用の通路があり、中央は下水を満々にたたえている。
ルビーチェが魔法の灯をともす。
壁と、水面がその光を反射し、影を作る。
二人は通路を進んでいった。
ハーブグーヴァは、中央の下水の中を、大人しく付き従って這い進んでいく。
「うむ、臭いな」
「ひどいもんだ」
生活上のごみや、得体のしれないかたまりで、水は濁っている。
ある場所には、半分腐って骨が露出した、人の死体と思しきものまで浮かんでいた。
ルビーチェの魔法の灯りが、苦し気に歯をむき出した死体の顔を、ちらりと照らした。
地下道に逃げ込んだ犯罪者の末路か、それとも、なんらかの犯罪の犠牲者か。
二人はそっけなくその横を通り過ぎていく。
地下道には、ところどころに、地上にでるための縦穴があった。
だが、梯子は埃と泥にまみれ、使うものも永くなかったようだ。
やがて、ルビーチェが言った。
「ここだな、この上が広場だ」
「さっきのように、地上に出られる穴があれば都合がいいんだが」
グレンが天井を見上げて言う。
「残念ながら、このあたりにはないな」
「いいさ、掘ればいいんだから」
「そうだな。どっちみち、少し時間をおいたほうが、上の連中も油断してくれるだろうよ」
二人はその場に落ち着いて、まずは腹ごしらえをする。
通路に腰を下ろし、煮炊きを始めた。
そんな二人の様子を、下水から、烏賊の三角頭を突き出して、ハーブグーヴァの、一列に並んだ、大きく、丸く、赤い目が、無表情に見ている。
ハーブグーヴァの触手が、さっと延びた。
キキィッ!
触手に絡めとられ悲鳴を上げたのは、マルモット、犬ほどもある、甲羅を持った鼠の魔物である。普通の人間がマルモットに襲われると、その防御力の高さもあって、かなり手こずる。群れに襲われたらまず助からない。
煮炊きの匂いと人の気配に引き寄せられたようだ。
ハーブグーヴァは、マルモットを体の下にある口に運び、鋭い嘴でばりばりとかじった。
硬いマルモットの甲羅も、ハーブグーヴァにとってはなにほどのこともない。
活きの良い、美味しい食料に過ぎないのだった。
二人を餌にしようとどこからともなく現れ、押し寄せるマルモットの群れを、ハーブグーヴァは次々に平らげていった。
「こいつは、なかなかいい番犬じゃないか」
グレンが笑った。
それから二人は、ハーブグーヴァも動員して、地下水道の天井を慎重に崩し、広場への出口を掘り上げていった。
「このくらいで十分か」
「そうだな、あとはこいつが、一押しすれば出られるだろ」
「うむ、では、今夜くらいにやるか」
「そうしよう」
そして、襲撃の夜が来たのだった。
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