(3)
身の丈ほどもあるステンドガラスごしに、色とりどりの花火が散る。豪奢なシャンデリアが凍りつく。
「う、わ……」
絢爛豪華な室内をのみこむ喧騒に、ほんのしばらく、ぼうぜんと立ちつくしていた。
なにこれ、どういうこと? なんて、ぼけーっとしているあいだに、頭上でシャンデリアの氷漬けがパァーンと派手に弾けとんだ。
乱反射した光が四方に散って、きれいだなと思う。
それからようやく、パラパラと降りそそぐ鋭い破片を見て、ここ危ないかも、と気づいた。ああそっか、そりゃそうだよね。っていっても、私に避けられるような身体能力あるわけない。
まあいっか、なんて考える私は、たいがいナンデモアリ思考に染まっている。
それもこれも、あいつのせい。
だってさ、こんな状況だってのに、私――。
「風舞姫っ!」
あせった顔で飛んでくるのは、私が魔術をからっきし使えないって知ってる、優しい優しいクラスメイト。
なんていったっけ、あの子。猫耳教師にやたら絡まれてるの、遠目に見ていたことならあるんだけどね。助ける? むりむり冗談でしょ。私だって、自分の身は可愛いもの。
「なにしてるの!? マリアちゃん」
あっさりと、崩れ落ちるシャンデリアの下から私を助けだしてくれた少女が、眉をつりあげる。なんとなく周りを見渡してみたけど、ほとんどセットのようにみかける魔術教師の姿はない。
そっか。この緊急事態だから、あの獣耳教師もかりだされてるんだ。先ほどの緊急放送――というわりにはずいぶんのほほんとしていたヒナ校長――によれば、例のアパロン教とやらが攻めてきてるんだそうだ。……なんかまちがえた気がするけど、まあいいや。名前なんて関係ないだろう。
「はやく、安全なところに――」
「きれいだな、と思ってたの」
「へ?」
意味がわからない、というような表情を浮かべてから、優しい彼女はすぐにそれを押し隠した。きらいじゃないよ、そういう優しさ。きらいじゃない。だけど。
「……好きになれる、わけでもないしね」
なかなか名前を思いだせない少女が、きょとん、と目を丸くした。
ああ、しまったな。おもわず口にだしちゃった。ただでさえ女の子からの風当たり強いのに。
原因はわかりきってるけど、まあ、たぶん、私も悪い。馴染もうとする努力してないんだから。一番の原因は変態だけど。ほんと、サイテー。泣きたくなるね。泣かないけど。
「マリアちゃん?」
なんでもないよ、と首をふって苦笑い。
彼女にキツく当たられたことなんてないんだけど、やっぱり、私にとっては馴染みがたい場所だったのだ。ここは。ずっと一人をつらぬいてたもんだから、そう思いたいだけなのかもしれない。
「とにかく、ここは危ないから。もっと奥に下がろう? そのうち応援もくるはずだし、マリアちゃんは安全な場所へ――」
安全な場所?
心から心配して言ってくれているのが伝わってきたから、おもわず笑ってしまった。
「ここよりも安全なところなんて、そうそうないのに」
ちょっと馬鹿にしたような言い方になる。そんなつもりなかったけど、口をついて出たのは言葉はもどらない。……馬鹿にしたかったのは、自分自身。この子に言ったわけじゃないのに。
こんどこそ、はっきりと困った表情をした彼女は、それでも怒りはしなかった。まっすぐで、懐深くって、この子、ほんとうに『私のお仲間』なのかな。
前に、シャノンちゃんたちと話したときも思ったけど、みんないい子すぎるでしょ。それとも、ねぇ、私が会ったことある子が偏ってるだけ?
どうしてみんな、簡単に、この環境を受け入れられるのか、意味わかんない。魔術とか使いこなしちゃって、あたりまえのように授業うけて、……だって、私は。
――居場所がないの。
好きでここにきたんじゃないもの。
――居場所じゃないの。
侵されようとしている学び舎に、愛着なんて欠片もない。
ミヅキ、と呼ぶ声がする。嫌そうに顔をゆがめたのは、目の前の彼女で、割れたガラスの向こう側に見えるのは、猫耳生やしたバンパイアさま。教員としてどーなの、ってかんじの色気を垂れ流して、こちらを流し見――っていうか、私を睨んでるのかな、あれは。
ミヅキに余計なこと吹きこまないでくださいね、ってとこ?
お生憎様。だれかさんのせいで色気には耐性が育ってんのよ。変態ストーカーとは全然ちがうタイプだけど、おおざっぱにくくったらおんなじ美形だ。キラキラしい感じより、影が似合うしっとり系の。
美形の背景で、また、爆発。雷みたいな閃光も見えた。
この講堂の外が、たまたま激しい戦闘区域になって、私たちのクラスは孤立したまま足止めされているのだ。とりあえずは結界で守られてるけど、一歩でも屋外に出れば危険だし、室内にも余波はくる。
なんでもかんでも弾きかえしてくれるほど、結界って万能なもんじゃないらしい。よくわかんないけど……ま、そうだよね。でなきゃ、風紀委員のひとたちだって、みんな結界で防御しちゃえば無敵だろうし?
現実はそうじゃないから、わかる範囲だけでも、もう何人か――ひょっとしたら何十人か、倒れるのをみた。この講堂のなかから、ただ、みていた。
きれいだなと思いながら。ひょっとしたら……ううん、ごまかすのはよそう。目の前で人が死んでるっていうのに、ただただ、きれいだなと思ってたんだ。
ほんと、サイテー。
だって、私、こんな状況だってのに。
――自分が傷つくはずがないって、確信してるもの。
「……マリアちゃん」
きっと一人だけなら迷いもなく飛びだしているだろうに、私を置いて逃げるにも逃げられない、優しいミヅキちゃん。
「私、高みの見物って大っ嫌いなの」
「マリアちゃん!?」
止めようとする彼女をふりはらい、猫耳教師がいるガラス窓に背を向けながら、正面扉へむかう。せいいっぱい格好つけて、背筋のばして前を見つめて。
ほんとうは、震えてる。声も身体も、笑えるくらい震えてる。
両足どっちも、気をぬいたらすぐに崩れちゃいそうだ。
そりゃあ、怖いにきまってる。そもそも私、ビビりだし。あいかわらずこの世界わけわかんないし、わけわかんないまま戦闘はじまっちゃうし、私に抵抗する力はぜんぜんないんだから。精霊さま直々に、「使役する才は皆無」とまで言われちゃってるんだから。
――だけど、無力だからこそ、私は最強の盾を振りかざせるのだ。
高みの見物なんてしたくない。
べつに、必死になって守りたいほどたいせつなものなんてないけど。
どうせ見物することしかできないなら、地にはいつくばって見たほうがマシだって思うんだ。すくなくとも、親しくもないひとたちの背中にかばわれて震えてるより、ずっといい。
守ってなんてくれなくていい。
だって私、あなたたちのこと、どうとも思っていないもの。守られる義理なんてないんだもの。
私は無力だけど、身を守る術がないわけじゃない。使えるもんは使ってやる。好きでも嫌いでもない人たちより、嫌いなやつ盾にした方が気分がいいにきまってる。万年ぼっちなめんな。私は性格わるいんだ。
でも、もし読みまちがえてたら? あっさり爆発? 氷漬け? 弾けとぶ自分を想像して、あんまりにもリアリティがないものだから、かえって笑えてしまった。ああもう。
結局、私は自信家で、臆病で、ぜったいに勝てる賭けしかしないのだ。
「ゲーデ、きなさい!」
どろりとした闇を滴らせて、影が形を成したような人型が現れる。
窮屈そうに制服をきた、すくなくとも百年以上――たぶん実際には何千年レベルで――生きている≪不死人≫の姿を借りた精霊。精神の方はといえば、どれだけ永く存在しているのか想像もつかない。
なんといっても都合のいいことに、この『盾』は死なない。端役の私とはちがって、この程度の舞台じゃ、傷ひとつ付けられないような主役級ってやつ。……きっと悪役だろうけど。
ますます良心の痛むスキがない。
「マリア」
青白い頬を、わずかに引き上げて幽鬼が笑う。私に呼びつけられたのがうれしいのか。それとも、虫ケラのように見つめられているのがうれしいのか。変態の思考は理解できない。
この反応の早さ。たぶん、講堂の屋根の上かなんかで、ごちゃごちゃと人や亜人や竜――私が知らないだけで、もっと多くの種族が入りまじって争う様子を、まさしく『高みの見物』してたにちがいない。降りかかる火の粉だけを、つまらなそうに払いながら。……想像つくのが嫌だ。
だけど、さっきのシャンデリアは、ミヅキちゃんに引っ張られる直前、不自然に腐食しかけていた。
「願いと対価はきまったのか?」
「そうね」
ゆらり、とゆらめく紫の虹彩を、鼻で笑う。
「願う必要なんてないってことに、気づいたわ」
代償? 冗談じゃない。そんなの許したら、どれだけつけあがるかわかんないじゃない。
「『私』を損なわせたくなかったら、勝手についてきたら? あんたに縋るくらいなら、死んだほうがマシ」
嘘だ。死にたくなんてない。
だけど、確信してる。
――ゲーデは、私を死なせない。
あんな話もちかけるくらいだから、ゲーデには、欲しいものがあるんだろう。それも、一方的に奪うだけでは手に入らないもの。――私に差し出せるものなんて、『私自身』くらいしかない。
なにがなんでも欲しいかって言われたら、そうでもないんだろうけど。肉体としては、それ以上望むべくもないものを彼は得ているわけだし。
「ほう。俺を従えると?」
「勝手にひざまずいたのはあんたじゃない」
高慢に言いすてながら、内心は冷や汗ものだった。ゲーデの顔色を、それとなくうかが――ってみても、青白くてわかりゃしない。せめて表情は、と観察したところで、代わり映えのしない不気味な笑みに胸が悪くなるだけだ。
吐きだしかけた溜息を、ぐっと飲み込む。
一方的な執着だけを、命綱に。
まるでツナワタリ。足場がいつまでピンと張っているのかもわからない。
――でも、いまこの瞬間に切れることはないでしょ?
すくなくとも、そう信じてなきゃ、進むどころか立ち止まれもしないじゃない。
「まあいい。なんとなく外に出たいから、くらいで俺を使いはしないだろう。なにを考えている? マリア」
「べつに。このまんま流されるのはいやだって思っただけ。……いまの状況、気に入らないし」
「あれか?」
あくびでもしそうな顔をして、ゲーデが戦闘風景をながめた。慈悲深きカミサマってやつが、有象無象を見下すとき、こんな眼をするんだろうか。死神もどきなんて厄介なものを信仰する人たちは、はじめから慈悲なんて期待してないのかもしれないけど。
ほんのすこしだけ、空気が不穏にさざめいた。ゲーデの機嫌がわるい。私の関心の方向がお気に召さない? それとも、その程度のことに使われるのが我慢ならない? こいつの思考回路は、単純なようで複雑だ。優先順位がまるでわからない。
「つまり、あのつまらぬ遊びを止めさせたい、と?」
「願わないわよ」
即答した私を、ほんのすこし目を細めて、ゲーデがみつめる。
「いかなるものにも味方する義理はない」と言ったゲーデのように、私にだって、学園にもアヴァロン教とやらにも義理なんかない。
ゲーデのわきをすり抜けて、激戦区のなかに足を踏み入れる。銃火器と魔法と、その混合物とがいりまじった雨が降りそそぐ。弾幕シューティングみたい、なんて考える私には、やっぱり他人事だ。
肌が焼ける寸前に、冷えた腕に引き寄せられた。今回ばかりは、抵抗することもなく受け入れる。あとで殴るつもりだけど。
「この器は魔力が薄い」
耳もとに落ちる艶やかな声音。
ああ、そうか。≪不死人≫を器にしているせいで、それなりに不自由な思いもしてるんだっけ。具体的にどういう制限がかかってるのかまでは知らないけど、結界バーン! みたいにはいかないってこと?
私をかばうゲーデの身体は、見える範囲だけでも、傷ついては修復してを数限りなくくりかえしている。異様すぎる再生の早さと、細胞が無限増殖しているようにもみえる不気味さに、≪不死人≫という種族が忌み嫌われる理由を垣間見る。
生きることに疲れたんだっけ? それで、望んで身体を明け渡したって、ヒナ校長は言っていた。よっぽど、すさんでいたんだろう。病みきった心の支柱になるような存在、いなかったのかな。この妙な世界なら、死なない人間と添い遂げられるような種族だっていそうなものだけど。
それとも、ともに生きることよりも、ともに死ぬことに魅せられていた――?
なんて、弾幕が過ぎさったあとも、ぼんやりと前の所有者について考えていたら、ゲーデにつかまれた腕がミシリときしんだ。
「いっ……ふぁ」
漏れだしかけた声は、強引にうばれた唇のせいで、また口内に押しとどめられる。一瞬、なにも考えられなくなって、それからすぐに、カッと血が上った。
「ッざけんじゃないわよ!」
衝動のままに肘をたたきこみ、よろめいた身体をつきとばして、そのまま足蹴にする。
冗談じゃない、こいつ……!
乙女の恨み思いしれ、とばかりにふりあげた拳は、座りこんだまま恍惚の表情を浮かべたゲーデにあっさりと抑えられた。
無抵抗に殴られるのも、蹴られるのも、もちろん、わざと。わかってるけど、ムカつくもんはムカつく。
「まったく足りんな――」
舌なめずりをして、つかんだままの拳を引きよせたゲーデは、あろうことか、そのまま手の甲を舐めあげた。手指のあいだを這う紅い舌が、モノトーンの色彩に、あざやかに浮かびあがる。
予想外に冷たく、凍えるような温度におどろいて、反応が遅れた。ぞくり、と背筋をつたう、異様な感覚。
ゲーデの口内へ、とうとう指先が消えた瞬間、とっさに手先をひるがえすと、爪が内壁をえぐるいやな手応えがした。――またたく間に傷は癒えて、引きぬいた爪の先に、紅い血の痕だけが残る。
「っ死ね! 変態」
「あいにくと、それは不可能な願いだ」
満足げに頬をゆるめたゲーデは、ふだん表情が薄いくせに、こんなときにだけ蕩けるような笑みを浮かべてやがる。
アンティークな美貌に、かすかに重なってみえる、闇色の影。匂いたつような色香に、一瞬だけ、くらりとした。
……見た目、だけなら。いろいろ残念すぎるし、変態だし、まさしく人でなしだけど、見た目だけなら、反則級に耽美。
顔色のわるさもあいまって、薄幸の美青年とかに見えなくもない。だけど、病弱さのカケラもないギラついた目つきが、あきらかに異彩を放っていて。
ステータスはある意味カンストなのに、なんでこんなに気持ちわるいんだろう? こいつ。生理的嫌悪感、ってやつだろうか。やっぱり。
――思いだすのは、人肌よりずっと冷たい、死者の体温。
私は、いつか地獄へいざなわれるんだろうか。そもそもこいつは、私を冥界に行かせる気があるんだろうか。冥界があるのかすらわからないけど、なんとなく。死んでも解放されないどころか、ますます深く囚われるだけなんじゃないかって、疑う。
「いちおう聞くけど、ゲーデ。……私が従順になったら、あんたは興味失うの?」
「面白みには欠けるが、それなりの利用価値はあろうな。お前の読みどおり、野に捨ても、死なせもしまい――」
ああ、やっぱり、ぜんぶわかった上で遊んでるんだ。私の怯えも、去勢も、わかった上で。
「精神まで生かしておく必要性はみつからんが」
「……、サイッテー」
乾いた笑いをもらしながら、それを利用する私だってサイテーだけど、と自嘲した。
私は彼を愛さない。
たぶん、永遠に、嫌悪する。
そして、嫌悪されることに悦びを感じる彼を、盾に矛にと使うだろう。微塵のためらいもなく。鬼畜の所業だ。わかってるのに、やっぱり咎める良心はない。
お互いさまだ。ギブアンドテイク、っていうより、スクランブル――みっともない奪い合いだけど。
いまさら、迷うつもりもない。私はもう選んでるんだから。進むしかないだろう。ぜんぶ気に食わないなら、
――ぜんぶ壊しちゃうのも、ありってもんじゃない?




