(1) 崖の下のバケモノ
本作品は、2014年ごろ総勢9名の作者が各々「恋愛ゲームの学園を舞台に攻略対象とゲーム主人公の代役として召喚された転入生のペアを描く」という縛りで執筆された、リレー小説の一部を抜粋したものです。
崖の下にはバケモノがいるらしい。
まことしやかに囁かれる噂を、気に留めたこともなかったのは、それがあまりにも陳腐で、古臭い伝承じみていたからだ。
きっと、子どもを脅しつける与太話。そうにちがいないと思っていたから、すっかり鵜呑みにして崖の下を探ろうともしない生徒たちを、内心せせら笑ってさえいた。
――なのに。
「じょ、冗談じゃないってのぉおおお!」
急速に落下する身体。こんなことだったら転入初日、ご親切に話しかけてくれた女子生徒たちの忠言を、まともに聞いておくんだった。
崖の下にはバケモノがいるらしい。
さみしくてわがままなバケモノは、崖の上まで手を伸ばして、きまぐれに生徒を攫うらしい。
だから、崖に近づいちゃあいけないよ。
――好色なバケモノに、食べられてしまうから。
信じてなんかいなかった。だって、信じられるわけがない。とつぜん招かれた、化け物だらけの学園で、なにをいまさらって思うじゃない。
だって、みんな化け物だ。私からみたら、あの子も、その子も、変わらない。猫耳ヴァンパイアに淫魔? たまにみかける人間はといえば、わけがわからない異能持ち。
ほんと、冗談じゃない。
ヘンテコリンなクラスメイトには馴染めないまま、ふらふら外に出て、ぼっち飯。ちょっと散歩してみようかなって、学園の裏手まできちゃったのがまちがいだった。
みたくもない濡れ場をみせられて、なんか怪しげな男(ムダに色気垂れながすなっての!)に睨まれて、必死で逃げだした先は崖の上。
あれ、ひょっとして。
――なぁんて思う暇もなかった。
ぐんぐん加速する身体。見えない糸に引きずられるように、暗い暗い底へ落ちていく。
そもそも、これ底あるの? 遠ざかる物見塔が恨めしい。
じたばた暴れてみたところで、現実って残酷だ。ひっくり返って頭から、まっさかさまに落ちていく。見慣れたブロンドのくせ毛が、バタバタとはためきながら、上に向かって流れている。
「いっ……!」
あきらめわるく伸ばした指先が、崖の表面を擦って爪が欠けた。ピリリと地味な痛みが走って、だけど状況はなんにも変わらない。
どんどん上がっていくスピードに、気が遠のいた。
――もう、いいや。
こわくてこわくてたまらないけど、目が乾燥してなければ号泣してるけど、それどころか乙女的に出ちゃいけないアレものが出かけてるけど、どうせ無力な人間にできることなんかない。
おもいっきり目を閉じて、意識を遠くへ手放した。
*
スンと、すえたようなニオイが鼻につく。埃っぽくざらついた場所に、横たわっているようだ。覚えのないニオイに噎せた拍子に、ホコリを吸いこんでのどが痛む。ここ、どこだろう。
じんじんと痛みを引きずる指先に、おそろしく冷たい人肌の感触がした。
「潔いのか悪いのか、どちらともいいがたい奴だな」
まぶたを跳ね上げると、まっさきに視界へ飛びこんできたのは、ドロリとした闇のような瞳。
「っぎゃあ!」
とっさに手をふり払い、そのまま反射的に後ずさる。背中が、なんだかよくわからない壁材にぶつかって、ブヨンと跳ねかえされた。なにこれ気持ちわるい。
ふんばろうとした足は、ごわついた毛足の絨毯もどきに阻まれて、ずるりと滑る。
「ななな、なに!?」
黒い壁に、黒い床。ちゃちな丸テーブルに、背もたれのない木椅子。それから、妙にゴテゴテしい巨大なベッドにいたるまで、すべてが、黒、黒、黒。
闇一色の空間に、男がひとり、立っていた。
色の失せた青白い肌に、紫の虹彩をまとう黒々とした瞳が一対、はまっている。そのとき、はじめて、それが芸術品のような配置をしていることに気づいた。
かすかに血管のういた頬にかかる髪は、しっとりとした濡れ羽色。その上には、古めかしい小ぶりなハットがちょこんと座っていた。
燕尾服に似た、これまた古めかしい形の黒衣をまとっている、男……というには、ちょっと若い。青年? 少年? よくわかんないけど、大人未満。
色も厚さも薄い唇が、ニィとつり上がる。
「――いいニオイだ」
「は?」
「学園の小物どもにくれてやるには惜しい……だが、いまの俺には無用の長物。どうしたものか」
「ちょっと、なに」
なんだかとつぜん電波なことを言いだした闇色オバケ(仮)は、一瞬で距離をつめてきた。……とんだ!? 足音してない、っていうか早!
逃げ場がない壁際。
クイ、と顎がすくわれて、血色のわるい幽鬼の顔が、近、寄……って――。
「ふっざけんじゃないわぁああああ!」
「ガッ……」
とっさに上がった右拳。壁にあたった肘が、ぶにょーんと勢いよく跳ねかえされて。乙女な平手は機能せず、容赦のないグーパンが、オバケ青年(仮)の頬をガッツリ捉えていた。
フォームはめちゃくちゃながら、意地で振りぬいた効果はそれなりにあったらしい。(謎の壁補正な気もするけど)勢いで横向いた顔を押さえて、オバケ青年(仮)は、ヨロヨロと後退した。
そのすきに、恩人もとい恩壁――あいかわらずフニフニして気持ちわるいけど――をつたって立ちあがる。
冗談じゃない冗談じゃない冗談じゃない! こんな意味不明な状況で意味不明な奴にファーストキス奪われてたまるか。これぞ、乙女の底力というやつである。……たぶん。
「ふん。まあ、わるくない」
わずかに色づいた頬を青白い手の甲でなでながら、うっとりと目を細めて、変た――謎の青年は舌なめずりをする。血色のわるい肌のなかで、両頬だけが、きわだって紅い。……ん、両頬?
「人間の女にしては、なかなかの右ストレートだった。ますます惜しい」
「なに電波なこと言ってんの!? っていうかアンタだれ? ここどこ!?」
「ここか? 別校舎――まあ、お前たちのいうところの『崖の下』だな」
ベツコウシャ? 別校舎って言った? この電波。しかも崖の下って――いや、たしかに落ちたけど、落ちた覚えはあるけど!
わけわかんない。なんで崖の下に別校舎があんのよ。そもそも、別校舎なんて聞いたことも――。
「しかしまあ、それだけのニオイをさせておいて、なんの手垢もついていないとは」
「ッさっきからニオイニオイって、乙女に対して失礼ね!」
「お前……自分がなぜ学園に招かれたのか、わかっていないのか?」
「しらないわよ! っていうかいい加減名乗ったらどうなの、この不審者!」
「ふん……俺に、名を要求するか」
「はぁ? なにもったいぶってんの」
「よかろう。我が名は、ゲーデ=ロア。神になり損ねた≪不死人≫だ。ゆえあって、このような隔離策をとられたが、もとはといえば、あの学園を根城にしていたもの」
そんなことよりも、と前置きして、闇色オバケ――もとい、ゲーデは嗤った。左右対称の美顔が浮かべた表情は、壮絶に艶っぽくて、思わず息をのむ。こいつ、見た目だけなら特一級の芸術品だ。それも、燻し銀のアンティーク。……ぞわぞわする。
「もう一発殴れ、小娘」
……ん?
「聞こえなかったのか。殴れ、と言っている」
ぱーどぅん?
アブナイ香りを漂わせだした変態電波、もといゲーデから、あわてて距離をと――れなかった! ここ壁際だ! くっそ恨めしきフニ壁め。さっきの恩など一瞬でかき消え、悪態をつく。
出口出口出口! 窓は!? 扉は!? なんでもいいから外につながる経路、急募。
ゲーデの肩ごしに、さまよわせた視線。その先で、真っ黒な部屋に、ひと筋の光が射し込んだ。押し開かれる扉と、そこに立つ人影――。
「あら、こんなところにいたのね。マリアちゃん」
「ヒナ校長……!」
転入前に一度会ったきりだけど、見間違えるわけない。麗しの女校長さまの姿をみつけて、もう、感極まって涙が出そう。
「っ迎えにきてくれたんでずがぁああ」
後半は鼻がつまって、まともに発音できなかったけど、ヒナ校長は優しくほほ笑みかけてくれた。
「ええ。せっかくお招きした子が、帰ってこないのはさみしいもの」
文字どおり後光が差すヒナ校長のもとへ、抱きつきにいこうと駆けだして――途中、黒ずくめの変態、じゃなくないけど、ゲーデに捕まる。
すれちがいざまに、えり首つかんで、あっさり捕獲。なにしやがるんだこの変態。
「俺の許可なくどこへいこうとしている?」
「なんでアンタの許可がいるの!?」
「目を離したすきに、他のモノに唾をつけられてはあまりに惜しい。手もとに置くのが合理的な解決だろう」
「はあ? 放してよ! 私には私の都合ってもんがね――」
「お前の都合などしったことか」
鼻をならして、私の首もとに指をすべらせるゲーデ。ひんやりとした、あまりに低い体温に、ゾゾゾと背筋が震える。
とっさに睨みあげると、至近距離で瞳がぶつかる。どろりと淀んだ黒珠のなかに、碧い瞳と金髪が映りこんでいた。みなれたはずの自分の色が、なんだか見たことのない風合いに染まってみえる。翳りを帯びた、一段暗い色彩に。
なにこれ。なんで動けないの?
縛られてるわけでもないのに、どうして。
そのまま喉に指をかけようとしたゲーデを、ヒナ校長が、やんわりとたしなめた。
「だめよ。マリアちゃんを離してあげて」
ひたり、と動きを止めたゲーデが、ゆっくりと手を下ろす。首が解放されると、とたんに体温がもどってきた。たしかめるように首すじをなでながら、彼の様子をうかがう。
ゲーデは、無表情に、ヒナ校長を睨みすえていた。黒い瞳孔をとりまいて、紫の虹彩がチラチラと燃えている。
ハッと我に返った私は、あわてて、ヒナ校長のもとへ走った。ああ、救世主よ。保護してくださいお願いします!
私をキャッチしたヒナ校長は、不満げなゲーデにほほ笑みかける。
「それから、ゲーデ。約束どおり、こちらへ戻ってきても構わないわ」
「俺に、羽虫どもと共に過ごせと?」
「あなたは退屈が嫌いでしょう。いまの『上』は、なかなか面白いわよ」
一体、なんの会話だかわからなかったけど、ゲーデは目を細めてうなずいて、ヒナ校長もクスリクスリと笑っていた。
光景的には、目の保養、の……はず、なんだけど、……あれ、なんだか、寒気が。
*
大変だったわね、と柔らかに笑んで、ヒナ校長は、向かいのソファを勧める。
おずおずと腰を下ろした革張りの一級品は、ぼすりと身体を包みこむ。なにこれ高そう。やばい。口のなかが乾いて、つい、目の前のティーカップに手を伸ばし――こぼしたら詰むと、あわててソーサーに逆戻しした。
そんな一連を笑うヒナ校長の肩ごしには、歴代校長の肖像がずらりとならんでみえる。
――そう、ここは、校長室だ。
応接セットで向かいあうヒナ校長は、優しげな微笑をうかべたまま、おもむろに口をひらく。
「さて、なにから話そうかしら」
口もとに指をおいて、ヒナ校長は、すこし首をかしげる。
「ばけも……ゲーデって、何者なんですか?」
「精霊なの、彼は。とても強い力をもった精霊で――たぶん、神さまの一種と思ったほうがいいわ。死とセックスを司るロア……おおざっぱに言うと、死神の親戚みたいなものね」
「でも、あいつ人間でしたよ。フシビトとかなんとか言ってたし」
死んでるみたいにつめたい肌をしてたけど、見た目も声も人間にしか思えなかった。はじめに鼻についたニオイは、腐乱臭ってやつだったかもしれない。そのわりには、ずいぶんと甘っちょろいニオイだったけど。
――っていうか、この学園が変なのはいまさらだけど、あんなのが神様だなんて認めたくない。
「ええ、そうよ。彼みたいなものが現世に影響を及ぼすには、依り代が必要なんだけど……。うちに在籍していた不死人の子が、不死人生に嫌気が差しちゃったみたいでね。――要するに、明け渡しちゃったのよ、身体を」
「はい?」
ヨリシロ? フシビト? フシビトセイ?
ちょっとまって、なんかとんでもないこと聞いてない?
身体を、明け渡すって、つまり。
「のっとった!?」
「双方合意の上で、とっても平和的にね」
「いやいや、そういう問題じゃあないでしょう!」
生徒がひとり、中身入れ替わっちゃってるんだよ? あっさり片づけていいことじゃないよね。
「そうなのよ。放っておいたところで、暴れまわるとは思わないんだけれど。たいそう好色な精霊だっていうから、若い子たちと一緒にするわけにはいかなくてねぇ……ちょっと百年ほど、別校舎に眠っていてもらったの」
おっとりと語る、ヒナ校長。問題児するところがちがうっていうか。いや、ちがわなくもないけど、それだけじゃないでしょっていうか。
え、私がまちがってるの?
好色な精霊、ってのがウワサの大元だったり? 百年も前の話が、まともに伝わるはずがない。尾ひれがついて、一部が消えて、ゆがみにゆがんだ結果が『崖の下のバケモノ』か。
あれ、ヒナ校長、なんで百年前のことを体験したように……いやいや考えない。考えたくない。へたに首をつっこんで、オアシスをうしないたくなんてない。
「なんで、それがいまさら、本校舎にもどるんですか!?」
「あら、あなたが手綱をとってくれるんじゃないの? マリアちゃん」
「無理です!」
「でもねぇ、最初の約束の百年は過ぎてしまったし、どうせ彼には戻ってきてもらうつもりだったのよ」
「そんな……!」
「そういうわけだから、――よろしくね、マリアちゃん」
ヒナ校長の視線をたどって、振りむいた戸口。
退屈そうに壁にもたれかかる、見覚えのあるアンティークな美貌の青年――しかもなぜか制服姿――をみつけて、くらりと世界がゆれた。
……こんな学園、ぜったい逃げだしてやる。




