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元悪役令嬢は青き春をやり直す

作者: 仲詩 嘉埜

2022.09.20…一部修正いたしました

 黄色の小さな花が刺繍されたその破れたハンカチは、私の勇気の源だった。

 まだ少年だった彼が私の手にそっと巻いてくれたその一枚と、『よくやったな!』と泣きながら褒めてくれた彼の言葉が、私にいつも勇気をくれる。


   *****


 悪役に相応しい退場の仕方とは何か――。

 メイド姿で騒々しい裁判所の中を歩きながら、リグレットは考えてみる。

 しかし、今しがた『悪役』の公爵令嬢——シーナ・ベイシアに死刑宣告が出たばかりであった。彼女の生家であるベイシア公爵家にも相応の罰が下されるだろう。ただの殺人未遂ではないのだ。相手は皇族。それも唯一の女性皇族だ。


「殺せ、殺せ、死刑だ!」


 そんな品のない野次を飛ばす愚か者は、原告の少女の養父である。くたびれた服装の平民で、彼は直ちに傍聴席から刑務官によって排除された。

 しかし、それはただの演出に過ぎない。養父の糾弾を皮切りに、傍聴席の貴族達が次々とシーナへ罵倒の言葉を浴びせる。それが彼らの本当の心の内とは限らないが、何かの目的を持って彼女を貶めていることは確かだった。

 ここに彼女の味方はいない。原告側の息がかかった貴族のみが参加を許された、一方的なリンチの場。リグレットも身分を隠しているため、今だけは傍観者に徹する他ない。出来ることならこの場の全員を殺して、今すぐにでもシーナを助けたかったが、それでは計画が破綻してしまう。まだ耐えなければならない。

 闘技場に似た円形の巨大なホール。それを最上階の通路からリグレットは俯瞰する。

 被告人席の公爵令嬢と、原告側の男女をそれぞれ一回ずつ。

 シーナ・ベイシア。ベイシア家の御令嬢。死刑宣告と同時に貴族籍を剥奪され、今はただのシーナだ。クラスメイトを刺殺しようとした愚かな少女が一人、大きな手枷と足枷をはめられた姿で、ポツンと被告席に立っていた。

 しかし、粗末な格好を強いられてもなお光り輝く美しい人だ。ぼろ布のような囚人服も、まるで舞台女優がそのような役に扮しているような、隠しきれない美がある。

 シーナは大変美しい令嬢だった。長く美しい金髪と、静かな煌めきを放つエメラルドの瞳。この国の令息たちが挙って婚約を申し入れるほどの美貌の持ち主だ。

 頭は決して良くないが、人の心に寄り添える人物で、学園でも人気者だった。勿論、彼女が今日まで積み立てた功績への賛美も後を絶たなかったが、そもそもの彼女が完璧に美しく出来上がっていた。女性の皇族がいない今の中央の国の中で、最も称賛を浴びた女性は彼女で間違いない。

 称号そのものは彼女が辞退したものの、密かに『聖女』と呼び慕われるほど善良な人物が、何故ナイフでクラスメイトを刺し殺そうとしたのか。

 裁判で明確な証拠はなかった。殺意を証明しようにも、噂話の領域を出ないあやふやな証言しかない。原告側の少女が「シーナが私を殺そうとしましたぁ!」と言っただけで逮捕され、有罪になり、死刑になったのである。

 このふざけた裁判が成立したのは、原告がこの国で最も尊い皇族だからだ。それ以外の理由はない。彼らは人望の代わりに権力を持っている。彼らが『悪』と言えば『悪』になった。傍聴人も弁護士も裁判長も、全員皇族とお近付きなりたい人々で固められている。

 何もかもが一方的で公正さなどまるでない裁判が、もうすぐ終わろうとしている。


「ああ、怖いわぁ兄さま」


 双眼鏡を使うまでもない。遠くからでも目立つ桃色の髪。原告席で皇太子に縋りつく少女は、ひと月前に華々しいデビュタントを飾ったこの国唯一の皇女である。

 彼女は平民として暮らしていたが、ある日皇帝の隠し子であったことが判明。好色な皇帝が気紛れに女中に手を出して生まれた子供らしく、唯一の女性皇族であったことから父や兄弟達から大変可愛がられ、今年の九月に特待生として国立学園に入学した。

 その後はまるでおとぎ話のようなご都合展開とともに学園中の令息たちと交流を深め、あらゆる女生徒を敵に回しながらハーレムを形成した。毎日違う男をベッドに連れ込んだともっぱらの噂だが、その真偽を確かめようとした者は皆死体になって発見された。

 皇女の権力を獲得した彼女は、学園で女王のように振る舞った。兄の皇太子や他の兄弟達をも利用して栄華を極め、自身の意にそぐわない者は即座に排除し、彼女のための楽園を築いた。

 未だに貴族・皇族としての教養が足りていないが、彼女の周囲の人間はそれを愛嬌として捉えているらしい。目立った功績はないが、あとひと月もすれば『聖女』の称号も付与されるらしい。大陸共通の第一宗教であるアルザック大教会は当然反発したため、あくまで中央の国で独自に付与された名誉職でしかない。

 それでも、皇女はシーナが与えられた『聖女』という称号に拘った。『聖母』という呼び名に相応しい善行を続けている彼女を貶めるため、彼女はありとあらゆる手段を使い、ついには自分自身を使って偽の殺人未遂を引き起こした。

 シーナが死ねば、自分が本物の『聖女』になれると思っているのだろうか。

 リグレットは原告席で兄に豊満な胸を押し当てながら嘘泣きを続ける皇女を見て、「このクソ毒婦が」と吐き捨てた。勿論、周りに誰もいないことを確認してからだ。


「では、これにて閉廷!」


 裁判長が木槌を叩く。弁護人も検事や傍聴人とともに割れんばかりの拍手をする。

 誰もがシーナの死を喜んでいた。

 お金になるから。自分にとってお得だから、他人の死を喜んでいる。

 シーナは反論の機会すら与えられなかった。彼女の弁護人は彼女を助けない。情状酌量も何もしない。ただ椅子に座って、「異議なし」とやる気なく言うだけだ。


「クソったれ!」


 決められた筋書きに沿って今まさに幕引きを迎えた裁判ちゃばんに、リグレットは唾を吐いた。黒く染めた髪が不満を訴えるように、彼女の背中で揺れている。あまりにもやさぐれた顔をするので、化粧で整えた美貌が台無しだった。白粉の下で顔の傷が酷く痛み、その痛みに吸い込まれるようにして表情が消えた。人形のように整えられた美人が、冷たく全てを睥睨している。


「あーあ、帰ろ」


 リグレットは裁判所を出ることにした。

 既に終わった裁判なのだ。メイド風の少女が一人が勝手に外に出ても誰も引き止めなかった。


「こんな裁判おかしいだろ! 正々堂々戦え、卑怯者!」


 皇都の中でも中央部に存在する最高裁判所の前には、多くの人間が押し寄せていた。貴族も平民も関係なく、シーナの無実を大声で訴えている。

 その先頭でわめいているのは、シーナの婚約者であるベルセット公爵家の令息だ。神の寵愛を受けたと言われるほど美しい黒の髪と瞳を持つ眉目秀麗な人物で、学園内で皇女になびかなかった数少ない男子生徒。

 リグレットも知らない顔ではない。むしろ、この人を守るために何度も奔走した。シーナが心から愛した人だからだ。学園内では他人であったが、実は一方的によく知っている人物である。

 人だかりの中にはこの国の民だけでなく、異邦の民も混ざっていた。それも一国ではない。今から万国博覧会を開けそうなほど多種多様な国の人々が、大群で押し寄せている。


「公爵令嬢に公正な裁判を!」

「この国の司法が正しいものだと我々に証明して見せろ!」

「冤罪を決して許すな! 我らが聖女様は無罪である!」


 シーナが罪を被せられたことは周知の事実だが、皇室が意図的に流したデマを国内外の人々が信じなかったのは、公爵令嬢の人徳故のことだ。

 シーナは幼い頃から国内外で積極的に奉仕活動に励んでいた。西の王国では王位継承の内乱で遅れていた干ばつ問題を解決し、東の共和国では大規模な人身売買組織を壊滅させ、南の連邦国では疫病を早期に収束させた。北の王国で毎年発生していた凶悪なモンスターも、諸悪の根源たる魔龍を彼女が先頭に立って討伐した。

 幼い少女がどうしてこのような大問題をスムーズに解決したのか、今でも議論が交わされている。ただ、シーナの『未来予知』は完璧であり、彼女が神から授かったという『神託』に従えばどんな問題もたちまち解決された。

 まるで、最初から答えを知っているかのように。

 彼女自身が神様であるかのように。

 しかし、仕組みはどうであれ、シーナが多くの人の命を救ったことは確かな事実だ。彼女はただ凶事を解決するだけでなく、これから生まれてくる子供達のために孤児院や教育機関を充実させ、医療制度や金融制度も改革した。身分制度そのものは撤廃出来なかったものの、貧富の差が少しでも縮まるように施策を繰り返し、国同士の関係も極力良い方向へ改善させた。


『いいえ、お礼を言われることではありません。私は『親』として、『子供』のために成すべきことをしたまで。これは私が望んでやっていることですので、どうかお気になさらずに』


 どれだけ大きな功績を打ち立てても謙虚な姿勢を忘れないシーナに、全世界が称賛の言葉を贈った。彼女こそがあらゆる令嬢達が目指すべき理想像だとまで言われ、特に彼女と歳の近い少女達はこぞって彼女の真似をした。シーナの活躍によって男尊女卑が正された国もあった。多くの国の女性にとって、彼女は救世主であり憧れの人だった。彼女を慕って遠路遥々海を渡り、留学にやってきた令嬢もいるほどだ。

 そのような功績から次世代の外交役として方々から期待されていた人であったため、諸外国にとって彼女の逮捕や裁判は正に寝耳に水だったのだろう。各国から厳正な裁判を行うよう陳情が山のように届き、世界的に有名な弁護士が彼女への面会を求めた。これを断ることは外交的に問題があるはずだが、皇帝も皇太子も一切聞き入れなかった。

 皇都の治安維持部隊は動いていない。民間の自警団も一切動かない。みんなシーナの無実を信じている。路地裏の子供ですら知っていることだ。野次馬たちを必死になだめているのは、城に勤める皇族新鋭隊だけだ。

 裁判所の中と外で『悪役』が逆転している。


「公正な裁判を!」

「正しい司法を!」

「悪しき魔女が本当は誰なのか、俺達は知っているぞ!」


 リグレットは擦れ違う人々を嘲笑いながら、裁判所を後にした。


「おい、どこに行くんだよ。公爵邸はこっちだぞ」


 閑散としたメインストリートで、一人の青年がリグレットを引き留めた。シーナと同じ金髪と碧眼を持つ、眉目秀麗な男性だ。ありふれた白いシャツに灰色のスラックス姿の、平民のような装い。しかし、腰に銃を提げている。まだまだ剣と弓が主流なこの世界で、火薬を用いた武器は非常に貴重だ。あまりにも高額なそれを個人で携帯できるのは、公爵家以上の人間だけだろう。


「貴方が大人しく家にいるとは思えなかったので、わざわざ探しに行ってやろうと思っただけです。本当に心が狭いですね、小公爵様」


 ベイシア公爵家の次期当主、ヴィンセント・ベイシア。

 シーナの二つ上の兄。

 これからこの帝国で没落する人。

 恐らくシーナと一緒に適当な理由で処刑される人。

 そして、リグレットがこの国で二番目に信頼している人物。


「メイドさんごっこは楽しかったか? 裁判所はどうだったんだよ、教えてくれないか?」

「嗚呼、こんな大通りでなんて人! 少しは貴族らしい話し方をしなさいな」

「だったら、お前も貴族らしく振る舞えよ。今どきの侯爵令嬢は鉄板仕込みのブーツでダンスするのか?」

「ピンヒールで相手の足の甲を貫きながら踊る方法なら教えてもらいましたわ。いつでも貴方で実践出来ますわ」

「おー怖い怖い」


 口ではそう言いながらも、ヴィンセントはそっとリグレットへ手を差し出した。


「あら、足に穴を開ける準備はよろしくて?」

「お前に付けられる傷なら喜んで!」

「あらあら可哀想に! 貴方、本当に狂っているわ!」


 リグレットも非難の言葉が似合わないとびきりの笑顔を浮かべながら、彼の手を取る。

 無人のストリートで彼らは踊らない。ただ静かにお互いの手の甲に口付け、約束をした。


「じゃあ行くか。愛する妹のために!」

「えぇ、敬愛するあの方のために!」


 二人は愛で結ばれていない。そういう関係ではない。

 お互いを唯一無二のパートナーだと信じる戦友。

 少なくともリグレットは二人の関係性にそんな名前と意味を付けた。

 世界中が敵になってもシーナの味方になる——初めて言葉を交わしたその日に、二人は固く誓い合った。数年にわたって共同戦線を張り、命懸けの戦場で何度も背中を預け、この国の学園で生徒として合流した後も、その誓いは変わらない。

 二人は同志だった。同じ『かのじょ』を崇める狂信者。

 この国の皇族が相手であっても関係ない。敵は排除するのみだ。二人の愛と忠誠はただ一人の女性に向けられている。


「とりあえずお前の国に亡命したフリでもしとくか」

「はい。彼らはとんでもないアホなので簡単に信じるでしょう。まぁ、そんなフリをする必要も実はないのですが」


 無人のストリートで勝手にカフェに入り、リグレットはヴィンセントが淹れた紅茶をテラス席で優雅に飲んだ。ここはベイシア家が支援をしているカフェで、ヴィンセントがお忍びでマスターごっこをしに来る店なので、店主に無断で客をもてなしても一切問題はない。


「あとは何を忘れてる?」

「いいえ、全部終わっています。あとは各所に合図をするだけ」

「なんだ、もうやることがねぇのか」

「ありますよ。適切なタイミングで信号弾を撃つ大役です」

「そうだったそうだった!」


 腰から下げた銃——口径が非常に大きい合図用の大型銃を手に、ヴィンセントは裁判所の方を見ている。シーナは即日処刑される予定だと既に情報を入手済みだ。警備が厳重な牢屋から公開処刑用のギロチン台へ彼女が連れ出された時が、最初で最後のチャンスである。

 既に反逆——戦争の準備は出来ていた。シーナが不当に逮捕されたその日の時点で、二人は既に各国の王族や有力貴族、教団、大商人への根回しを終えており、あとは大義名分を得るだけであった。皇女側は自分達が望むようにことを進めているつもりだろうが、実際はリグレットとヴィンセントの壮大な計画通りに踊るお人形でしかない。


『我が国の皇族が我々の聖女様を冒涜し、無実の罪で断頭台へ送ろうとしています。これは由々しき事態です。我が国にはもはや正常な判断が出来る者がおりません。どうか、お助けください。独裁者に裁きを! 無実の民をどうかお救いください!』


 やっていることはただの売国奴。国賊はリグレットとヴィンセントだ。

 しかし、この国はシーナの力を持ってしても腐敗の連鎖を断ち切れなかった。

 大陸の中央部に存在するこの国は、シーナがもたらす奇跡を当たり前のものとし、国を健全化させる努力を怠った。既に何代も前から皇族は国内で不祥事を多発させ、それを権力で揉み消し、自分達に従順な貴族を使って絶対王政を敷いてきた。言葉巧みに国民を騙し、私腹を肥やし続けてきた悪党。その横暴さは他国でも非難されており、シーナがいなければもっと早い段階で戦争になっていただろう。


『戦争はだめよ! そんなの絶対だめ! だから、私がこの国を変えて、救ってみせる』


 ある種の傲慢な考え方ではあったが、シーナの力強い言葉に、リグレットとヴィンセントは感銘を受け、いつでも彼女の力になれるよう備え続けてきた。

 リグレットの出身国の西の国は、シーナの活躍を受けて女性の王族が初めて次期国王を認められた国だ。また彼女自身も実家——偽の身分である南の国のパパレット侯爵ではなく、西の国の大貴族であるグラン公爵家の次期当主として認められ、成人を迎える前に当主の座を引き継いだ。

 幼い頃より天才の名をほしいままにしてきたリグレットだが、『女性』というどうにもならない理由だけで次期当主候補から外され、不出来な弟たちを前に悔しい思いをさせられていたが、シーナのおかげで彼女は望む未来を手に入れた。当主の急逝によってリグレットが早期に当主の座に就いたことで、グラン公爵家と西の国は経済的に大きく発展。大貴族の当主として各国の有力者に認められたのである。

 勿論、その恩だけではない。

 リグレットは実際にシーナに会い、その人柄を確かめた。

 決して身分や才能で人を差別することなく、あらゆる人々に救いの手を差し伸べる彼女の精神性。理想を実現するために自身の権力を惜しみなく利用する豪胆さ。足りない才能があれば必死に努力して補おうとする勤勉さ。

 シーナは決して綺麗なだけのお人形ではない。全知全能の神ではなく、ただ未来がわかるだけの少女であり、彼女が自分の出来る最大範囲で努力し続けただけであった。


『ああやっと見つけた。私が生涯仕えるべき人を!』


 天才であるが故に理想も高かったリグレットは、シーナに全てを捧げると誓った。

 彼女に最も近い場所にいたリグレットとヴィンセントは、彼女が『世界平和』のために血の滲むような努力をみえない場所で必死に続けていることを知っている。だからこそ、彼女を支えようと誓いを交わしたのだ。


『ごめんなさいお兄様、リグレット。でも、私は『お母さん』だから。作者である私が作った『子供たち』を幸せにする義務があるの。こんなところで止まれない。お願い、もう少しだけ私を助けて! 絶対に世界を救ってみせるから!』


 どれほど危ないことでも諦めなかったシーナの口癖。その意味を、リグレットは未だ理解できていない。ただ、まだ十にも満たない子供が血まみれになりながら涙と共にこぼす言葉としてはあまりにも重く苦しい。

 自身を『母』と称し、この世界に生きる人々を『子供達』として扱う姿には最初こそ戸惑ったものの、命を賭して世界平和に尽力する彼女にはとてもピッタリな『ごっこ遊び』であった。『聖女』よりも『聖母』が似合う人。どうしてここまでこの人は自分を追い詰めるのか、とリグレットは自分よりも幼いシーナを前に、涙を流した。


『大丈夫だ。お前のことは俺が死ぬまで守ってやる』


 ヴィンセントは昔、取り返しのつかない事故を起こしかけたらしい。ある程度親しくなった時に彼からリグレットに打ち明けたのだが、どうやら兄を殺しかけたそうだ。

 ヴィンセントは長兄ではない。妾腹の次男坊だ。

 彼と彼の母は公爵家の一員として認められず、正妻の手によって国外へ追放された。異国で母親一人で彼を育てるにはあまりにも酷であり、母の方は病であっさりと死んでしまった。

 現当主と瓜二つであったヴィンセントはその後公爵家に引き取られたものの、正妻とその息子である長兄によって虐められ続け、遂には二人の毒殺を計画し、自らも死を選んだ。

 が、その死を思い留まらせたのがシーナであった。妹として家族の愛を与え続け、時には母のように彼の傷付いた心を優しく受け止めた。


『ごめんなさい。私がそんな風に設定してしまったから……』


 ヴィンセントもまた腹違いの妹の言葉を理解できていなかったが、彼女が一生懸命悪い運命を変えようと努力し、その結果自分が救われたことは確かであり、その恩を一生忘れないようにと妹に力を貸し続けているそうだ。

 ちなみに、正妻と長兄はヴィンセントの母親が罹ったものと同じ病になり、治療も虚しく二人揃ってこの世を去った。因果応報とはまさにこのことである。


『リグレット、俺達でずっと支え続けような!』

『勿論! モンスターも魔王も全部私達でぶちのめして差し上げましょう!』


 生まれた国は違えど、どちらもシーナに救われた身。リグレットとヴィンセントは同じ志の元、彼女を全力で支え続けた。西の国の大公爵と中央の国の次期公爵令息の力を合わせ、二人は阿吽の呼吸で猛威を振るった。単に同じ歳であったからなのか、それとも共通の崇拝対象を持つからなのか、兎に角この二人は常に同じ場所にて、お互い競い合うようにシーナを助けた。災厄の化身とも言われる魔王が魔界の扉から這い出ようとした時も、シーナを慕う者たちと共に勇敢に立ち向かい、多くの犠牲を出しながらも勝利を収めた。

 今回も同じだ。彼女のために、全ての力を使って行動したまでのこと。

 その結果、大陸で最も古い歴史と発言力を持つ中央の帝国は国家としての機能を一時失った。

 男性皇族が皇太子を除いて全員殺され、生き残った皇太子と皇女も裁判の後にあっさりと処刑されたからである。


「どうして、どうして! ここはヒロインである私のための世界なのに! なんで!」


 聖女を騙り、無罪の人間を死に追いやろうとした悪女。

 東、西、南、北。その全ての国の権力者達による国際裁判により、皇女は悪役と断定された。

 満場一致で処刑が決まるほどの罪とは一体何だったのか。

 まず初めに、皇女は特殊な薬品を使って同じ学園に在籍していた男性貴族を操り、多くの者と関係を持っていたことが明かされた。生徒達の供述で、なんと実の兄や弟にもベッドを共にしたことがあることまで判明。この世界で最も権威があり、全ての国の国教にも指定されているアルザック教団において、近親相姦は最も重い罪の一つとされており、国だけでなく教団からも『淫婦』として厳しく非難された。

 皇族や有力貴族を操って学園内で我が儘の限りを尽くしていた皇女の罪は、他にもある。

 恐ろしいことに、皇女はモンスターの本拠地である魔界への扉をこじ開けようと画策していた。彼女の手記を検閲した捜査官によって明らかになり、彼女もその事実を認めている。

 魔界の扉は各国の初代国王達によって厳重な封印が施されており、大陸の半分以上の生命が失われるほどの大きな犠牲を払わなければ決して解除出来ない。各国が長らく平和を維持してきたのも、大陸全土で戦争が起これば魔王の思う壺だと理解しているからだ。そして封印の詳細は各国で最重要機密として扱われ、王と皇帝にしか引き継がれないはずの知識だ。平民として暮らしていた皇女が知り得るはずがない。

 過去に封印に綻びが生じた際にシーナが魔王軍と死闘を繰り広げ、それこそ扉が開くのではないかと危惧されるほど大きな犠牲を出しながらもなんとか再び厳重に封印されたその場所を、皇女は意図的に開けるために自国の皇族や貴族を唆して大戦争を引き起こそうとしていたのだ。

 彼女はその大犯罪計画を『必要なイベント』と称し、一切悪びれることなく「それの何が悪いの!」と被告人席で声を荒げた。自慢の桃色の髪はボサボサで、毎日違うドレスを纏っていた彼女の今の一張羅は罪人用の薄汚れたツギハギ布だった。


「だって、魔界攻略で裏ボスを倒せば魔王も魔界も全部私のものになって、完璧なハーレムエンドになるんだよ! いっぱい人は死んじゃうけど、でもシナリオ的には最終的にハッピーエンドなんだし、ちょっとくらい死んでもいいじゃん! どうせここはゲームの中なんだし! 私がみんなを幸せにしてあげるんだから、ちゃんと協力してよ!」


 裁判所で皇女は熱心に「聖女である私じゃないとこの世界を平和にできないんだよ!」と無罪ではなく己の有用性を説いたが、大犯罪者による証拠も何もない演説に耳を傾ける者はいなかった。皇女は在籍中——彼女が言う『ゲーム期間中』に何も世界に貢献しなかったからだ。彼女が主張する『ヒロインがやるべきイベント』は全てシーナが完遂させている。

 裁判は最初から結果が決まっていた。シーナが死刑を宣告された裁判と同じように、皇女の死刑が覆ることはない。リグレットとヴィンセントが中心になって集めた決定的な証拠と証言。そして皇女自身の自白。あの日と異なるのは、正しい証拠品で正しい判断が下されたこと。誰も皇女を庇うことはなかった。

 ちなみに皇女の罪を告げた皇太子は、これまでの皇族の罪の責任を負う形で先に死刑を宣告され、既に死刑囚として牢の中に繋がれていた。彼自身にも不正な証拠を捏造し、私刑のために皇族の権力を悪用して裁判を行った罪があり、また後継者争いの中で自身に敵対的な兄弟達やその勢力を根絶やしにしたことが明らかになっている。南の国で起こった幼い王子の事故死も、実は皇太子が彼の国で協力を得るために行ったことだった。皇族であっても人殺しは罪だ。死刑を間逃れないほどの悪行を、彼も中央の国の皇族らしく積み重ねていたらしい。


「貴女はヒロインに相応しくない」


 被害者であるシーナは裁判所では何も言わなかったが、処刑前にリグレットとヴィンセントだけを伴って皇女に会いに行った時に、とても厳しい口調でそう言った。


「は? 悪役令嬢が何言ってんのよ! 私がヒロイン! この世界の主人公なんだよッ! 全ルートで負け確クソ女のクセに! お前さえ予定通りに処刑されていれば……って、後ろにいるのは外伝の悪役ヒロインじゃん! 何何? 悪役同士で同盟でも結んだわけ? ハッ! そんなことしたって、どうせ悪役は悪役らしくみっともない最期を迎えるだけ——」

「貴女は私の『ヒロイン』じゃないもの。幸せになれるはずないでしょう」

「な、なに言って……」


 リグレットとヴィンセントはシーナの言葉を理解出来ない。

 が、牢の中で元皇女の顔から血の気が引く様は大層見物であった。


「貴女が何もしなくても世界が平和になるように頑張った。でも、貴女はその平和を意図的に破壊しようとした。貴女の手記もうそうはこの手で燃やしたわ。私ね、これでも二次創作は容認派だったのよ。その人達なりに私の『子供達』を愛してくれた結果だって思っていたから。でも、今ここに生きている人々をまるで捨て駒のようにぞんざいに扱う貴女だけは許せない。私の大事な『子供達』を自分のために残酷な目に遭わせようとする貴女が許せない! 私の世界に貴女はいらない。いらないの! さようなら、私と同じ世界で死んだ人。次はまともなヒロインを演じることね」

「あ、あんたまさか、転生者——」

「一時でも貴女を信じて、私を受け入れた私が馬鹿だった。私が産んだ『彼女』の皮を被った悪魔である貴女になんてもう容赦しない。さようなら。さようなら!」

「い、いや! 待って! なんで、なんで! 私がヒロインなのに、ヒロインなのに! 作者なら私の話を聞いて、聞いてよぉ!」


 シーナの冷たい言葉は、後にも先にもこの時だけであった。

 彼女は泣き喚く皇女にそれ以上の言葉をかけることはなく、リグレットとヴィンセントを連れてさっさと公爵邸へ戻った。


「ありがとう、お兄様、リグレット。助けてくれて本当に嬉しかった!」

「いや、俺はお前に生きていて欲しかったからそうしただけだ」

「私も私も!」

「あらあら、貴方達はいつも本音を言ってくれないのね。お母さん、困っちゃうわ」


 シーナは二人の前では特に『お母さん』をやりたがる。どうしてそんなことをするのか尋ねると、「私は私が産み出した全ての『子供達』を『作者として』平等に愛しているけど、私がお腹を痛めて産んだ子供達をモデルにした貴方達だけはどうしても贔屓にしてしまうの。あの子達は、私の不注意で起きたあの事故であんなにも早く死んでしまったから……」と暗い顔で言った。十歳程度の子供が何を言っているんだ、と不思議に思っていると、慌てて「夢の話だから忘れて!」とフォローしていた。


「それより、貴方達はまだ結婚しないの?」

「俺はしたくてたまらないんだが、お前が結婚したらの話だ! な、リグレット?」

「ふん! べ、別に私はしたくてたまらないとかそういうわけじゃないですけど! でも、今はそういうことにしておきます。だから、出来るだけ早く私達を結婚させてくださいね! 私は貴女のウエディングドレス姿を早く見たいです!」

「あらあら、まぁなんて酷い子供達だこと! 『お母さん』を脅すなんて!」


 他の四国による皇城の武力制圧。過去に皇族が犯したあらゆる罪の調査と公表。皇太子と皇女の裁判、そして二人の処刑から約一年後。

 各国の信任を得て、新たに中央の国に王が現れた。

 冤罪によって処刑を宣告された婚約者を救うために自ら反乱軍——その実態は中央の国を皇族の圧政から解放するために各国が派遣した国際的な平和維持部隊——の指揮を取り、見事国賊を打ち破ったベルセット公爵家の嫡男。中央の国の初代国王の弟が祖であるベルセット公爵家の正当な後継者であった彼は多くの国民の支持を受けて戴冠し、シーナを皇后に迎えた。


「さぁさぁ、『お母さん』が結婚しましたよ。貴方達の式の日取りを教えなさい!」

「おいおい、結婚したからって母親ごっこに拍車がかかってないか?」

「でも、名実ともにこの国の国母になられたので、あながち間違いじゃないですね」


 シーナ——否、中央の国の新たな皇后に急かされ、リグレットとヴィンセントは漸く婚約を結んだ。リグレットの実家である西の国のグラン公爵家は、彼女が指名した分家筋の者が後を引き継ぐことになり、今は継承のために猛スピードで教育中。正式に引き継ぎが完了した後に中央の国のベイシア公爵家に嫁ぐことになっているが、少なくとも一年はかかる見込みだ。後継者もなかなかの逸材だったが、『国一の才女』『文武両道才色兼備』『鋼鉄の公爵様』『世界一美しい傷を負った人』とまで称されたリグレットの後釜に収まるにはまだまだ器が足りていない。


「そういえば、折角同じ学園に通っていたのに、デートの一つも出来なかったな」

「当然です。貴方とお付き合いを始めたのはつい最近のことですから」

「でも、俺はずっと前からお前が好きだったぜ?」

「まぁ、私も嫌いではありませんでしたよ」

「じゃあ、あと一年で恋人らしいこと、いっぱいやろうぜ。俺のこと、もっと好きになってくれよ!」

「何を言ってるんですか。貴方が私のことを死ぬほど好きになってください。私からなんて面倒臭いです。これ以上どうしろと言うのですか!」

「なら、面倒臭がりのお前を変えられたら俺の勝ちってことで」

「はぁ……貴方って本当、私みたいな女に執着するなんて、馬鹿みたいに狂っているわ!」


 小さな黄色い花を家紋に持つベイシア公爵家。

 リグレットの勇気の源である破れたハンカチに刺繍されたものと同じ花が、公爵家の紋章としてヴィンセントの服にも刻まれている。

 初めて魔物討伐に参加し、魔界の扉の隙間から這い出ようとした魔王を皇后と共に追い返したリグレット。華々しい戦果の代償に、年頃の令嬢にはあまりにも酷な大怪我を負い、一生消えない傷を身体だけでなく顔にまで深々と残したが、彼女は何一つ後悔していない。敬愛する人と戦場で唯一背中を預けられるパートナーを守るために、魔界の扉の隙間から這い出てきた魔王と真正面から対峙し、彼らを庇って瀕死の重傷を負ったが、彼らを無事に家に返せたことを誇りに思っている。

 化粧をしなければ誰もが敬遠するであろう醜い傷を『よくやった!』と誉として受け入れ、『守れなくてごめん。次は、次は絶対俺が守ってやるから!』と泣きながら約束してくれた人がいたのだ。それだけで、彼女は幸せだった。

 

 ——やっぱり私のパートナーは、彼しかいない。

 ——どうして私を好きになってくれたのかはわからないけど、私は彼が好き。

 

 リグレットはヴィンセントと一年かけて青春をやり直した。

 まるで小説の中の甘酸っぱいラブシーンを再現するかのように、二十歳になって初めて、好きな人と人前で手を繋いで歩いた。

初めての投稿・初めての悪役令嬢モノでした!

最後にスカッとする内容にしたかったのですが、いかがでしょうか?

少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。

拙作を読んでいただき、ありがとうございました!

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[良い点] 誰よりもおぞましく気持ち悪いかといえば 間違いなく自称「お母さん」な彼女でした。 ある意味ヒドインと同じ感性の持ち主。 一見、善性の人のように見えるけどね。 自分が作者(神)で皆は子(キ…
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