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第六十五話 雨宮讃歌(3)

 


 不思議なことに、よく雨が降るというこの重世界空間の中。


 雨宮の屋敷にて。いつからだろうか。一時は鳴りを潜めていた当主の豪遊も、今となっては考えられぬほどに羽振りが良くなっている。


 里葉を膝の上に乗せながら、怜は彼女を抱きしめる。この時、雨宮里葉。十歳のころ。


 姉の胸にすがりつき、涙で怜の服を濡らす里葉が、ぎゅっと力を込めた。


「……ねえ。姉様。なんでさとはは、白川のお家に行かないといけないの?」


「……」


 彼女は選ばれず、妹が選ばれた。その絶望、筆舌に尽くしがたい。


 役目を逃れた己に、里葉へ言葉をかける資格はない。最愛の妹が、こんなにも苦しんでいるのに。そう、彼女は己を呪う。その怨嗟が、体を蝕んでいく。


 養子縁組ということは、白川の家に入るということ。雨宮の家を背負い、縁談を持つといったこととは完全に意味が違ってくる。


 彼女はかの家にて一人。


 救わねば。たった一人の妹だから。


 猫の人形を握り、怜に縋り付く里葉が泣き笑いを浮かべる。


「姉様……あったかい……」


 決意を胸に秘めながら、怜は里葉を強く抱き返した。彼女には、こんなことしかできない。







 後見人を任されたあの日。この赤ん坊が立派な淑女となるまでは決して死ねぬと意気込んでいた彼も、今となっては耐えきれぬ罪悪感にどんどん老いて、やつれていった。


 しかしそれは、一種の現実逃避でしかない。


 雨宮ではない。彼女の幸せを願う彼は策謀を張り巡らせ、当主へある献策をする。


「里葉に、術式を書く、だと?」


「はっ。雨宮の術式屋に既に話は取り付けております」


「ふむ…………」


 顎に手をやり考え込む重治。術式を書くには、多大なる費用がかかる。しかし、トータルで見れば。


「確かに、奴の用途は褥を共にすることが殆どであろう。その時、守れる力があった方が高くなるか。よかろう。好きにしろ」


「……!」


 砕け散りそうなほどに、彼は強く歯を食いしばった。それでも、声はあげない。






 術式屋。妖異殺しを妖異殺したらしめるために存在する彼らは、主家に絶対的な忠誠を誓う、一蓮托生の者たちである。


「……こんな幼子に」


「当代様。どこに耳があるか分かりません。お控えを」


 雨宮の屋敷の中。当代の術式屋である彼女は、里葉に術式を書く準備を始めた。銀の針が、魔力を伴い背に突き刺さる。そこを起点に魂に触れ、雨宮伝来の技を彼女は彫っていった。


 まだ成長しきっていない魂に彫り込まれる不快感、激痛に泣き叫び、暴れる里葉は抑え付けられている。


「ぎゃぁあああああああっ!? いだいっ! いだいよぉおおおおっっ!!!!」


 里葉の叫び声を聞いて、飛び散る涙を浴びても、彼女は止まらない。止まれない。


 気を失って、倒れこむ直前。術式屋の彼女は、里葉の耳元で囁いた。


「……里葉さま。妖異殺しが紡ぐ最も強力な術式というのは、使い手の本質を映し出し”願い”となるものなのです。しかしそれがどんな願いであろうとも、生み出された力は如何様にでも振るうことができます。どうかそれを、お忘れなきよう」


 ここに、千の歴史を紡ぐ雨宮の術式は完成した。


 彼女を映し出す金青の魔力は顕現し、部屋の中は眩い輝きで満たされる。その目も開けていられない光景を前に、術式屋の彼女は腕で目を覆った。


「なんと……!」



 こわい。いたい。いやだ。こわいよ。助けて。じいや。姉様。


 その先なんて、みたくなんかない。みんなは、わたしをみていない。


 耳を塞いで、目をぎゅっと瞑って、押入れの奥でねこさんと一緒に隠れてしまいたい。



 ────ああ。私。


 ────消えちゃいたいな。








 なんということか。妖異殺しの才能がない姉に比べるまでもない。

 彼女は俗に言う、天才だった。


 雨宮里葉。十歳。大枝の渦単独攻略の、歴代最年少記録を樹立する。


 あまりにも使い辛すぎるため、雨宮の蔵に唯一残っていた伝承級武装。『想見展延式 青時雨』を使用。その名の通り、()()()()()となっていた青時雨を素材に作られた、変幻自在の刃を彼女は駆る。


 ついた二つ名は、凍雨の姫君。


 雨宮の荒廃ぶりを知る他家からは、その遅すぎた誕生を悔やまれた。


 他家の事情に、口出しをすることはできない。しかし彼らは、妖異殺しとして卓越した才能を持つ彼女を、”凍雨の姫君”という二つ名とともに絶賛した。


 しかし、雨宮の家での呼び名は違う。


 いつもどこかに消えてしまって、姿を見かけることがない。

 彼女のことを、人々は透姫(とおるひめ)と呼んだ。








 かの家のため、こき使われるように里葉は渦を狩る。雨宮里葉。十四歳。彼女はもう、四年後に迎えるであろう自身の結末を知っていた。


「い、凍雨の姫君ッ……!? 昨夜、貴女は枝の渦を刈ったばかりであろう! 雨宮! この渦は我々佐伯が破壊するッ!」


 佐伯家のものと相対していた里葉の御付きの妖異殺しが、彼女の方を向く。


「……里葉様。彼らの言う通りです。あなたはここのところ、ずっと連戦続き。今日は、休息をとって━━」


「どきなさい。その渦は、私の獲物です。私は雨宮の誇り高き妖異殺し。妖異殺しの私だけは……否定させない」


 突如として宙に浮かび上がる金色の武装たち。立ちはだかる男を取り囲むようにする鋒の全ては、佐伯のものに向けられている。


「なっ……!」


「……どけって!! 言っているでしょうッ!!!!」


「里葉様ぁ!! おやめくださいッ!」


 彼女の前に、佐伯家最強の老躯の妖異殺しが立つ。







 凍雨の姫君。雨宮里葉。その若さにして、直接葬り去った渦の数は数百を越える。それに付随して、消え去った渦は数え切れないほど。


 比類なき勇姿。花開く美貌。戦場での美しさが讃えられ、彼女の二つ名はどんどん広まっていく。


 この頃、雨宮怜はただ一人勉学に励み、成り上がり者が始めたという面妖なぷろじぇくととやらに参加した。この時、長女怜は二十三歳。


 腰を曲げ、すっかり変わってしまったじいやが里葉に話しかける。


「お嬢様……お体に触ります。どうか一日で突入する渦の数を、考えていただきたい」


「じいや。いいの。私にはこれしかないですから。妖異殺しとしての私は、私を裏切らない」


「お嬢様……」


「……渦に潜る以外、何をすればよいのです」


 吐き捨てるように言うその姿。彼女には、妖異殺しとしての自分以外がない。命を賭ける、渦の空間。雨宮の家なんかより、そちらの方がよっぽど心地よかった。


 絶望に染まったその顔は、笑うという表情(かお)を知らない。








 雨宮里葉。十五歳。その日は突然、訪れた。


「た、大変です! お、お館様が、血を吐いてお倒れに……!」


 雨宮家当主。重治。重世界産の薬草による、詳細不明の中毒が原因で死去。

 しかし、続いて起きた凄惨な事件が原因で、その葬儀が執り行われることはなかった。







 夜夜中。酒色と麻薬に蝕まれ、等々没した雨宮家当主。その座を狙い、この数年間。四六時中部屋に篭り続けていた二人の男は罵り合う。


「このッ!! 大馬鹿者! 長男である俺が、この雨宮を継ぐに決まっておろう!」


「黙れこの豚男がッ! そんな贅肉だらけの体でどう当主の威厳を保つつもりだ!」


「なっ……次男のくせして……貴様こそ、その禿げ散らかした頭でどうやって威厳を保つと言うのだ! 陽光に反射して、頂点が輝いてみえるわ!」


「き、きききききさまぁああああああああっっっっ!!!!」


 人払いをし、兄弟二人だけで話し合うと言った彼ら。


 突如として魔力が迸り、白刃の音が聞こえた後。突入した家のものが発見したのは、物言わぬ二人の死体だったという。








 一連の事件の処理。そして決めねばならぬ、次期当主。雨宮分家をも巻き込んだそのお家騒動。


 絶対的な忠誠を誓う術式屋の家でさえも、その内容に呆れ返り、とうとう彼らは主家を見捨ててどこかへ身を隠してしまった。それが意味するところは、妖異殺しの家としての、雨宮家の存続の不可能。


 雨宮の屋敷の中。家のものが一堂に介したここで、評定が行われる。すっかり活気を取り戻し、ギラギラとした目つきで堂々と論ずる里葉の後見人の彼は、声高に主張した。


 絶望的な状況であろうとも、彼は彼女のための未来を見ている。


「やはり、次期当主は怜様において他にない! 雨宮直系の血を継ぐものたちの中で、もっとも年を召されている。怜様が勉学に励み、当主として必要な学問を修めたのは皆の知るところ。怜様だ!」


「異議!」


 分家の当主がしゃがれた声とともに右手を上げ、発言の許可を求める。周囲に確認をとった後、彼は続けた。


「しかしながら怜様は、女子(おなご)でございます。妖異殺しの名家、雨宮家として、女を戴くわけにはいかないでしょう!」


「なっ……何を言うか! 古今東西、重家の峰々において女性当主の例など数えきれぬほどある!」


「仰る通りではあるが、雨宮の歴史上、正式な女性当主がいなかったのは事実であろう! そこで!」


 分家の男は評定の中心にて、一人の幼子を連れ歩いた。皆の前へ出てきた男の子は人差し指を咥えて、ぼーっとしている。


「重治様が残された末子、重実さまこそが、当主にふさわしい」


 重実の肩に手を置き、ニヤニヤと笑みを浮かべるその姿を見て彼は顔を真っ赤にさせる。


「……ふざけるなぁっっ!!!! 重実さまはまだ三歳! 当主の責務を果たせるはずがない!」


 笑みを浮かべ続ける分家の男は、彼の言葉を無視して言い放った。


「そしてここに、雨宮本家を支える分家として、ある発表がございます」


「何……?」


「皆様もご存知の通り、里葉様は白川家へ養子縁組に参られます。しかしながら、雨宮の術式屋も家を去り、妖異殺しとしての雨宮の存続は不可能となってしまいました」


 怒りに打ち震え、握り拳を作る彼は戦慄いている。当主を諌めるどころか積極的に擦り寄り、蜜を啜っていただけの分家の老人が何を言うかと。




「そこで我々は、次期当主重実様の名の下、ある約定を結びました。それは、雨宮が重術の名家。白川の傘下へ、里葉様の養子縁組とともに下るというものです」




 里葉を救うため準備を進めていた、怜でさえ想定していなかった。その動き。それを聞いて、男は怒り狂う。


「き、貴様ぁああああああああっっ!!!! 保身に走り、主家を、雨宮の高祖を裏切るかァッ!!」


「……裏切りだなんて。なんたる侮辱。これは全て、雨宮の血を後世に残すためですぞ。一度、頭を冷やした方が良いのではないですかな。まあ、しかし。確かに仰られる通り、重実さまが幼いのも事実。そこで、里葉さまが十八となるまでの間、怜様に当主代行となっていただきましょう」








 いつも逃げてばっかりだったはずの彼女は、その一部始終を聞いていた。消えてしまいたいって願ったって、またどうしようもない、絶望の中を揺蕩う。


 満面の笑みを浮かべながら、もう自身より背が大きくなってしまった里葉の両肩を、彼は優しくつかんだ。


「大丈夫ですぞ! お嬢様。このじいやと怜様が、必ずお嬢様をお救いします!」


「……じいや。信じて、いいん、ですか?」


「勿論でございます! このじいや、粉骨砕身の働きを以て、お嬢様をお救いしてみせますぞ!」


 彼は考えていた。状況は絶望的だが、怜が当主代行となったことで、できることは山ほどあると。


 姉さまとじいやだけは、信頼できる。二人が彼女の、ほんとうの家族。







 ああ。なんという。


 彼は、頑張り過ぎてしまった。彼女たちを、雨宮を狙うその陰謀の障害となってしまった。彼は雨宮であって、雨宮ではない。怜が死ねば問題が発生するが、彼は死んでも、特に問題ない。


 だから、殺されてしまった。簡単に、毒殺されてしまったらしい。



 顔を覆う白布。その下には、悪鬼羅刹の表情が隠れている。

 布団の上に横たわるその体は無念に満ちていて。



 ご飯茶碗に箸が突き刺さっていて、線香が上げられていた。


 その前で里葉は、ただどうして、という表情をして、彼がずっと前に直してくれた猫の人形を握っている。


 彼女の横に立つ怜が、里葉を強く抱きしめた。


「里葉! ごめん……ごめんね。絶対にお姉ちゃんが……あなたを助けてみせるから。里葉。里葉ぁ……」


 彼女は、ずっと自身を支えてくれた存在を最悪の形で喪失し。


 彼の骸の前で。人形が畳に落ちる鈍い音が響き。


 彼女はとうとう、全てを諦めた。










 どうしようもない絶望に身を任せ。


「はい。こちら雨宮里葉です」


 透き通るように、消えてしまえって願って。


「はい。こちら雨宮里葉です」


 死んだ心で、その日を迎えようとする。


「はい。こちら雨宮里葉です」


 ただただ、機械のように動き続けた。彼らの出す指示のどれもが、胡散臭いことは知っている。それでも、その任務は妖異殺しのものだったから。白川の家に迎えられる血筋だけは良い下女のものではない。


 諦観の中であろうとも、妖異殺したれ。




「ただの一般人(プレイヤー)ならば捨て置くべきであるが、奴は魔剣持ち。どうにかしてその魔剣を手にしたい。事情聴取を行うという名目で、奴を雨宮に連れてこい」




 彼女は再び、妖異殺しの剣を構えた。

 また、言われた通りに彼女はこなしていく。









 一連の雨宮家の騒動。重世界産の麻薬と言っていい薬草と、重世界産の酒に溺れたのが全ての発端だった。そして、何もかもが終わって振り返ってみれば、その全てを雨宮家に手配していたのは白川家である。




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― 新着の感想 ―
[一言] ここでリアルネーム出すのはマナー違反ってわかってても、自分の「白川」って苗字がこれほど滅んでほしいと思ったのは初めて 情景描写上手すぎだろ! 応援してます!
[一言] クズ親にくそ兄弟かよ……幸せになってほしいものだわ…白河?あぁ龍の尾をこれでもかって踏み抜いてるね…
[一言] これ聞いた広龍は分家と白川を滅ぼすの間違いないね。 歴史ある家だとか重要であろう蓄積された文献の数々とか一切考慮せず重世界ごと家を消し去りそう。 当時は予想できず結果論だけど、龍の逆鱗に触れ…
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