第百二十六話 私があなたを守るから
未曾有の大災害が、やっと、終わりを告げようとしていた。
深夜。最強のヒーローと呼ばれる、灰原優という迷彩のドレスを纏う少女が、残る妖異を全て掃討し、東京と横浜、そして千葉から全ての妖異を駆逐したとのニュースが、私の持っているスマートフォンにも通知される。
ヒロと同じダンジョンシーカーズβ版上位プレイヤー……その城戸雄大という男の功績が、目立って報じられている。彼が救い出した民間人の一人にどうやらプロの写真家がいたようで、我武者羅に戦い人々を救う彼の姿が、劇的に映し出されて、民衆に衝撃を与えたようだ。
最も状況が悪かった横浜。そこの人々を無傷で、一瞬で、簡単に救い出してしまったという彼は、あの灰原優という少女に並び立つ新たな最強のヒーローとして、祭り上げられている。
派手な戦果とセンセーショナルな写真を見せた彼に対して……いや、実際本当にすごいことを彼は成し遂げたのだと思うのだけれど、私たち雨宮家の功績を認識するメディアは少なかった。
ただ、政府も重家も、重家探題も、私たちの活躍を良く認識している。ヒロは上手く表世界側に雨宮グループの存在を刻み付けられなかったことを悔やんでいるようだったけれど、問題はない。
私たちはこれでもう舐められないし、ヒロやささかまの存在が脅かされるようなことは、きっとない。
白川みたいな連中はもういないし、どんな妖異が来たって……ヒロが戦ったっていう、裏側の住人が来たって、私たちは立ち向かえる。返り討ちに出来る。
だけど、なんでだろう。
「ねえ、ヒロ」
私は、姉さまと同じように、片倉さんが良く飲んでいるように、日常的に珈琲を飲むようになった彼に声を掛けた。
「……うん。里葉。どうした?」
振り向いた彼の金色の瞳が、憂う私の顔を映し出している。
被害を受けた関東の状況、その報告と雨宮グループによる支援政策について考える彼は、珈琲の湯気に当てられていた。
「……ううん、なんでもないです」
そう言った私を見て、一度マグカップを机の上に置いた彼は、立ち上がった。
「……不安なのか? 里葉。大丈夫か? 俺はここにいる。大丈夫」
彼が私の肩を掴む。
そうは言うけれど、ねえ。ヒロ。ささかまだって、多分きっと気づいている。
最近、ヒロが私たちに何か隠し事をしているって。
そうでもなきゃ、あんな、どこかに消え入りそうな表情を、彼はしない。
そうでもなきゃ、ヒロは私と一緒にいるのに、あんな悲しそうな顔はしない。
「ねえ、ヒロ。何か、私に隠し事をしていますか?」
「……いや、里葉。何もないよ。俺が里葉に、何か嘘をついたり、裏切るようなことがあるか?」
いいえ。嘘。
やっぱり、彼は何かを隠している。
彼はそれを必死に隠しているけれど、私には簡単に分かってしまう。
でも、決してそれは、浮気をしている、とかそんな話ではなくて、私を守るために、私の未来を案じるために、隠しているものなんだろうって、私は察してしまった。
あのときの私が、彼に隠したみたいに。
今度は彼が私を巻き込まないようにって、彼は一人で何かと戦い始めようとしている。
私は彼を引っ張って、ソファに投げた。
彼の横に勢いよく座り込んだ私は、頬ずりをするように、顔を彼の肩に載せる。
「ねえ……ひろ」
「ん……」
「何も隠し事は、してないんですね?」
「ああ」
「…………わかりました。でも、いつか本当に困った時、私を頼ってください。何故なら、私は貴方のお嫁さんだから」
「…………うん」
彼は言う。
きっと俺たちは、これからとんでもなく忙しくなるって。
なかなか二人で時間を取ることも、難しくなってしまうかもしれないってさ。
でも、結婚式はしよう、と彼は言った。身内だけを集めて、そこまで大騒ぎしなくてもいいから、雨宮のやり方でやろうって。
わたしの気持ちも考えてくれている彼に、私は嬉しさとヒロへの大好きぱわーで、胸がどきどきする。
今はまだいいけれど……私は、一つの願望を抱いてしまった。
今、彼にそれを言ってしまえば、彼の重荷になってしまうから、言わないけれど。
いつか、言わなければいけない。それが私の願望だから。
私は、彼が消えちゃったりしないように、想いを口に出すことにする。
「ヒロ。でも私、ヒロといれなかったらさみしいです。ヒロがくれたこのブレスレットを見れば、元気は出るし、がんばろう、って気にもなるけれど……」
「……そう、だな。俺も寂しい」
じっと考え込んだ彼は、立ち上がって、重世界に扉を開けたかと思うと、何故か、お財布を取り出した。
財布を漁り、クレジットカードやら身分証やら、お札だったり御庭から貰った呪符を取り出したりして、彼はやっと、一枚、何かを取り出した。
「なんとなく……だ。本当に、なんとなくなんだけど、ずっと昔から持っているものを、里葉に渡そうと思うんだ」
彼は私に、一枚の紙を……いや、写真を持たせる。
「……覚えているか? 前、俺と里葉が仙台で、二人でダンジョンを攻略する、まだ、ふたりきりの世界にいた時。あの、ケヤキの並木道で……里葉は俺の話を聞いてくれて、俺の心を……救ってくれたじゃないか」
「……」
「あのとき、俺は家族の話をしたと思うんだ。俺は、母さんを失って、父親と喋ったことがない、なんて」
「……ええ」
私は、左手で一枚の写真を掴んでいる。
それは何かの、記念写真のようだった。
そこに映っているのは、
私の大好きな、
私の見たことのない、
私の知らない、
幼いヒロの姿と、
にっこりと満足気に笑っている、私に似た髪型をした女性の姿と、
私がこのブレスレットを貰った日、
水族館で、照れくさそうに頬を掻く、見惚れた彼の姿と全く重なった、
カメラを向けられて、少し緊張しているであろう、
彼によく似た、彼の影を感じる、
知らない男の姿だった。
「……俺が唯一持っている、親父の写真……いや、家族写真だ。他の写真は、腹が立って、父親の部分だけ切り取ったり、そんなことをして、ほとんど処分した。だけど、それだけは、持ち続けている」
「……そんな大事なもの、持っていていいんですか?」
「いや、いいんだ。そうだな、それは里葉にあげるからさ、俺と里葉、ささかまに銀雪、それと義姉さんや村将、御庭、片倉に柏木さん、芦田にザックに──みんなで、一枚写真を撮ろう。俺は、それがあればいい」
「ヒ、ロ。そうしましょう。私たちが式を挙げるときに、ぴったり、そんなものが撮れます。なんだって、しあわせの、日なんですから」
「……ああ。その日は、ささかまも笹かま食い放題にしてやらないとな」
ねえ。倉瀬広龍さん。
私は貴方に、心の底から深い感謝をしていて、貴方のことを、心の底から慕っています。
彼は私を、私の世界を、救ってくれた。
里葉は俺のもので、俺は里葉のものなんだから、それは当然だって、彼はそういうけれど、そんなはずはない。
だから、私は彼を、
彼の世界を、
どんな敵がやってこようが、
絶対に、彼の平穏を、
守ってみせる。