第百二十四話 REDO
重世界の扉が、渦を描き小さくなって、消えていく。
海水に瓦礫、ひしゃげた車などで満たされていた地下駐車場は、今、写真をフィルターで加工し、上書きするかのような様相を見せた後、元の、戦闘痕など一つも見当たらない景色を見せていた。
「ちょっとねえ……倉瀬くん。まあ、私が楽しんじゃってるところに大技ぶち込みたくなっただけだろうけどねえ……」
少し不満げな楠が、鎧の魚を着たまま俺のことを咎めている。先ほど見た彼らの姿はまだ瞼の裏に焼き付いていて、そこから導き出されること。考えられること。感じたこと。その全てで頭の中がぐしゃぐしゃになっているものだから、正直言って、浮き足立っていた。
「広龍さま……」
いつの間にやらやってきていたのか、重世界に隠れていたはずの御庭と片倉の姿がある。
……ひとまずは、あのままでいいだろう。
「片倉。御庭。負傷したりはしてないな?」
「私は、かすり傷を負った程度です。片倉の負っていた傷は、私の重術で応急処置を施しておきました」
「特に問題ありません」
「……よし」
「ねえちょっと倉瀬くん。私の心配もした方がいいんじゃないかって思うだけれども……」
装備はまだ着けたままで、解かない。竜喰を鞘ごと握りながら、地下駐車場を出ようと、音を鳴らして歩き始めた。
「御庭。この中で重家に元より属しているお前に、聞きたいことは山ほどあるが……まだ、終わりじゃない」
何も言わないで動き始めた俺に、彼女たちが付いてくる。
もうすでに、俺たちは結構な量の魔力を消耗していた。初見で、あんな敵と戦うことになったのだから、仕方がないとは思う。討伐に成功したことを、地上からでも感じ取ったであろう兼時さんは、既にどこかへ行ってしまったようで、その姿は見当たらない。
「どちらへ向かわれるおつもりですか?」
「片倉。御庭。雨宮の重世界で、彼女を迎え入れたときのことを覚えているか」
「……佐伯家の麒麟児、佐伯初維のことでしょうか」
「彼らがどんな風に、この世界に存在を刻みこむのかは分かった。だから、もう感じ取れる」
例の、大老というやつがどういうつもりでそう命じたのかは分からないが……
参謀本部のあの一室で、俺たちはこんな言葉を聞いている。
(『……私たちは、妖異の掃討には参加しません。爺さまが先ほど……普通の重家や探索者、ヒーローでは相手にできない、一体で戦況を変えられるような存在が出てきた、というので……その討伐を命じられました』)
「あれは、まだもう一体いる」
息を呑む音が聞こえた。
「アハ、おかわりなんて、最高じゃないの」
「…………救いに、いくぞ」
あの少女は、まだ元気にしているだろうか。
B級ダンジョンに一人で潜り、物語を設定するため、常にスマホを片手に持っている俺は━━城戸雄大という名前の、もはや死んだような男だ。雄大という親から名付けられたそれには似合わない、燃えカスのような人間で、今でも何を原動力にして生きているのか分からないまま、走ろうともせず、歩き続けている。
自身はもとより、堅気の人間ではない。
にもかかわらず、理解しようともせずその世界を反射的に遠ざけようとしたせいで、同僚が死んだ。
それだけに留まらず、俺は居場所を失い、もうにんげんにはなれないのに、もうにんげんではないというのに、にんげんになろうとしたせいで、俺は更に、唯一無二の友を殺した。
誰にも見られない場所で、ただ我武者羅に、金を稼ごうとしているのか、強くなろうとしているのか、何がしたいのかも自分で分からないまま、自分の町に存在する、渦を間引き続けていた。
今日も俺はまた一人、紅迅の魔力を身に纏いながら、妖異を蹴り殺している。探索者とは思えぬ、ラフな格好だ。黒のズボンに、白のシャツ、灰色のサマージャケットを着る俺は、またいつも通り、懐からライターと煙草を取り出し、一服をする。
何故か今日は、妖異の数が随分と少なかった。罠が多かったため、解除に時間がかかり、鎧袖一触に叩き潰すことはできなかったが、無事、攻略を終え、この渦を破壊することができそうだった。
紫煙を肺に取り込んで、吐き出している。そろそろ、町に戻ろうか。
「は……?」
道端のひしゃげた排水溝に、小さな女の子が頭を突っ込んでいるのが見えた。
手足はあらぬ方向に曲がっていて、最後まで握っていたであろう白い兎の人形が、赤色に染まっている。倒壊したビルから出たであろう濃い灰は、雪のように降り積もっていて、見慣れた町からは程遠い。
灰を踏みしめながら、歩いている。
街角を曲がれば、そこにはまた、地獄が広がっていた。ビルも、道も、街路樹も、何もかもがめちゃくちゃになっていて、信号機がバチバチと音を鳴らしながら、交差点の中央に落ちている。
「ぜやぁあああああああああああああ!! くっ! おのれ!」
誰かの戦う、叫び声が聞こえた。駆けつけ、空を見上げると、窓ガラスが割れて、屋内に侵入可能になっているビルの中を駆けながら、一人の妖異殺しが戦っていた。
ビルの壁には、磔になったように心臓を槍のような何かで突き刺され、浮かんでいる死体、地面には、街路樹にもたれ掛かり、顔の半分が吹き飛んでいる妖異殺しがいる。
二人とも、暫くの時間が経った後、爆発し、灰となって風に乗り、俺の頬を撫でた。
そして、呆然とした表情で道の中央に立ち、最後の妖異殺しを見上げている男の子がいた。
刀を持つ彼は、劣勢のようだ。戦況を好転させようと、彼は賭けに出る。
「赤穂固有術式……燎原!」
烈火のごとき魔力が、地面を伝い、広がっていって、薫風に揺れる稲穂の様な光景を作り出す。
━━この、術式は。
自らの魔力を周囲に展開し、己の領域を作り出すような術である。その中で術者は、本来の何倍もの速度で移動することが可能となる、加速の術式であり、また、この術式は、同じ固有術式を持つ者同士で発動することによって、範囲を広げられるという特徴があった。
赤穂家という、武闘派の重家の一つが連綿と受け継ぐ、固有術式である。そしてその家は、彼の祖母が駆け落ちしたという重家。
それはすなわち、親友の、仇ということだった。
「おじちゃん! がんばれえ!」
両手を口元で広げて、男の子は叫んだ。
翼を広げ、ビルの陰に隠れながら、妖異殺しの男を翻弄するその妖異は、間違いなく上位の妖異である。
目も鼻も口もない。角だけが生えている、のっぺりとした顔が、男の子の方を見た。
「馬鹿者! 童! かくれておれい!」
「え━━?」
妖異が男の子の方へ突っ込んでいく。
「がっ!」
展開した燎原の中でできうる限りの加速をした彼は、男の子の前へ飛び込んだ。
その爪牙が魔力障壁を破って、彼の胸を貫く。
こぽり、という音のあと、血が口からあふれ出ていって、それはどう見ても、致命傷だった。
━━それは、俺がやらなければならない、仕事じゃないのか?
脚に纏った紅迅の魔力が噴出する。
瞬間移動をするように現れた俺は、その妖異を一撃で蹴り殺した。一瞬で灰になった妖異を見送り、今攻撃を食らった男の方を俺は見る。
「おじちゃん! ねえしなないで! おじちゃん! いなくならないでよ!」
「カカカ、すまんのう。わしらは、灰となるよう定められた一族故にな、ここでお別れじゃ」
どんな物語があったのだろう。
彼は笑っている。その笑みが、表情から消えた後。爆発するように、灰になってしまった。
クソ、が。よりにもよってお前らが。よりにもよってお前が。何故そんなふうに、人を救うために命を投げ出す、高潔なる信念を、精神を持っている。お前らはそんな奴らのはずじゃないだろう。俺を襲った、人間の屑で、何だったら俺が今ここで、お前らを徹底的に殺━━
(「だから、私たちが守らないと」)
思い、踏みとどまった。それは違う。この世界は、簡単な白黒に別れてなんていない。俺ももう若くはないんだから、それが分かるだろう。染まるな。ひとつの色に。
白は、黒に弱い。だから、絶望論を語るのは簡単で、希望論を謳うのは、難しいんだ。
「おじちゃ、おじ、ちゃ」
ひっくひっくと、男の子が泣いている。彼にとって、彼らはまさしくヒーローだった。ここは、助けを求める人たちで溢れている。
「……大丈夫!」
ガタガタと抜かす心が、今、正直になる。年を食って、理由をつけるのが上手くなってしまったらしい。
まさか、恨んでいた連中の、決死の行動で説得させられて、素直になったのだから、皮肉なものだ。
言葉を並べ立てるのは後でいい。暇なときに、いくらでもできるさ。だけど俺はあいにく、今暇じゃない。
千の言葉を並べ立てる前に、一の行動をしろ。
「ねえ……おにいさんは……だれ?」
「さあ、分からない。俺も知らない。そうだな、なんだろう」
まず、妖異殺しではないだろう。かといって、魔術師でもない。どちらの技術も持っているが、中途半端だし、何より正統に受け継いだわけでもない。
探索者? 大衆に迎合する活動をしていたわけではないだろう。
ヒーロー? そんな大したものではない。
そうだ、きっと俺は……
「ただの、助けたいバカだ」
「設定━━━━ ”英雄譚”」
上手くいくかは分からない。批判だってきっとされるだろう。だけどそれでも、行動し続けたものだけが、誰かを救える。
ダンジョンシーカーズ2 サーガフォレスト様より11月15日発売予定です。
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