第百二十三話 重ならないぼくらは(3)
楠晴海という規格外を加えて、俺たちはあの形容しがたい二体と戦う。
癪ではあるが、彼女の言う通り、俺が左に立ち、彼女が右に、そして片倉は一度後方へ退き下がり、御庭の力を借りて重世界へ潜った。
「チェンジ!」
イルカの形をしたケースが特徴的な、スマートフォンを彼女は取り出し、ダンジョンシーカーズを操作して、ショートカットを……コスチュームチェンジを用いる。
ダイビングウェットスーツのような装備を着た彼女は、レッグナイフの所在を確かめながら、奴らに相対する。
両手に白の病魔を宿す楠晴海は、今なお、続々と魚群を展開していっていた。しかし、それを阻止せんと触肢を蠢かす奴らは、魔弾を放ち始める。空を泳ぐ魚たちが、次々と撃ち落とされ、灰となっていく。
「遠距離攻撃で来るってんなら、私にもやり方ってもんがあるのよ!」
そう叫んだ彼女は、大海原の扉を開き、大きく口を開けている、お腹がポッコリと膨らんだ魚を取り出してきた。背びれが取手のようになっているそいつを握りしめ、彼女はその口先を、奴らへ向ける。
「撃て! マシンガンフィッシュ! こいつは自分が妊娠した卵を超高速で射出し、子供を殺す代わりに獲物を捕らえて更に多くの卵を産むのよ!」
いくらのような、透き通った見た目をした卵が、目にもとまらぬ速さで宙を突き進んだ。しかし、六角形が面を織りなす球体によって、その全てが弾かれる。べちょりと割れた卵が、液体となり、実体を伴う魔力である障壁を伝った。こいつ、白川戦で戦ったときなどより、より一層奇想天外な魚の妖異どもを揃えてきている。時間が経てば経つほど、彼女の重世界は、世代を重ねて強くなっていくだろう。
「ちょ、守りも堅いってわけッ!? うわッあぶッ」
即座に反撃の弾幕を受けた楠は、白の病魔を展開し、魔力を蝕んで無力化させながら、その場から離脱した。しれっと俺を盾にするような位置に立ち、攻撃を避けようとしている。
障壁へ回す魔力を強めて、弾丸を弾くが……クソ、盾代わりにしやがって。
「ちょっと倉瀬くんあの外壁どうにかならないの。あんたが壊せないわけないでしょう。あと、消耗させて剥がすとか」
「……遠距離攻撃に対する凄まじい耐久を備えている。無尽蔵の魔力を所持しているのではないかというくらいに、弱る気配がない」
どこからか、拡声された━━御庭の声が聞こえてきた。
「おそらく、矢避けの加護の類いを付与されているでしょう。戦闘中、これが何なのか調べていましたが……」
彼女が何かを言う前に、試しに数匹の魚を向かわせ、彼ら越しに感触を確かめた楠が言う。
「随分奇天烈な見た目をしているけれど、これ、装着型の武装なのね」
「その通りです。中に言うなれば、パイロットのようなものがいます。使用者の魔力ではなく、外部から供給を受けているようです。もしかしたら、この特別な武装、重世界の流れから魔力を吸い取る機関を備えているかもしれません」
「もし、御庭の言うことが正しいのならば、燃料切れを期待することはできないな」
「で、どうするわけ? 倉瀬くん。あんたが先に戦ってたから、分かってることも多いだろうし、指示があれば従うけど」
「……近接戦闘だな。しかし、距離を詰めるとあいつらは俺の障壁も突破するような、魔力を溶かす液体を放ってくるから注意しろ」
「あら。それを警戒して、二対一で詰め切れてなかったのね。ま、私がいれば行けるか。うーんと、使える子たちは誰かなー……流石に〝魔海の捕食者〟じゃないときつそうだし……でもあの二匹は疲れて使えないしなぁー……あと、狭いし……じゃ、あいつらと同じようなことしようかしら」
白の病魔を宿していた両手を使い、空間を捻じるような仕草を見せながら、彼女の生態系の扉が開かれる。
後頭部。両肩の上。両足の横。両腕の隣。胸の前。腰の後ろ。
「私も本気で行くわ。だから、倉瀬くんも本気を出して。二人で踊りましょう? きっと楽しいわ」
戦闘開始から、既にかなりの時間が経っている。
〝残躯なき征途〟の効果で、体は絶好調を迎えていた。銀雪を呼び戻し、彼を刀に加わる俺の唯一無二の武装として、使う準備をする。
「……いいだろう。乗った」
「じゃ、倉瀬くんと雨宮さんちに私の手の内を晒すことになるけど……ま、きっともうあんたたちと戦うことはないだろうし。……行くわよ」
彼女の周りに、陽光に照らされ眩く光る大小さまざまな魚が、ゆらゆらと飛び出た。その全てはコバンザメのように彼女の体へ貼りつき、数が増えていくのにつれて、彼女は白銀の鎧を纏う騎士のような姿になる。
頭部を守る魚の尾びれが、まるで騎士の兜の装飾のようだった。
それだけにとどまらず、イワシを小さくしたかのような魚の魚群が、彼女を取り囲むように展開された。最後に、凧型の盾のような、エイがやってきて、それが彼女の背中にピタリとくっつく。そのエイは尻尾の先だけが妙にぶっとくなっていて、鎖鎌に着けられた分銅のように、槍の穂先のように、膨らんでいた。
「尾槍海鷂魚×鰯群壁×銀鎧魚」
剣は持たない。徒手格闘を前提とする装備で、周りを泳ぐ魚が、肉体に貼りつく魚が、彼女の狩りを全力で支えようとする。これが、彼女が作り出した彼らとの共生の形。
変身中の隙を狙った魔弾が飛来してきた。俺は彼女の前に立って、その隙を守ってやるつもりだったが、あえて彼女は前に出ている。
銀色の魚で出来た鎧は、弾丸を受けてなお彼女の肉体から離れず、むしろその尾びれを揺らめかせ光を反射し、その防御力を誇示するような仕草を取っていた。
彼女が右拳を虚空に向かって放つような仕草をすると、彼女の周りを泳いでいた小さな魚の魚群が、一斉に、一直線に、銀の弾丸となって突撃していく。着弾と同時に爆発するそれは、まるで小型ミサイルのよう。
遠距離攻撃は効かないはず。そう内心思っていたが、どうせ何か別の手を打つつもりなのだろう。
そら来た。彼女が背中を奴らの方へ向けようと、前傾姿勢を取った。
背中に付いていたエイの尻尾が、突如として伸縮し、遠心力の助けを借りて、尻尾の先の重りが、刃が、奴を斬り裂く。爆発を煙幕にして、完全な不意打ちをした。
……楠晴海。こいつ、もはや何でもアリだ。近中遠、如何なる戦いにおいても、隙がない。
「━━『曇りなき心月』と共に」
大海原の世界の中。月の輝きを身に纏う。
「今ここに『不撓不屈の勇姿』を」
黒漆が立ち昇る。爆発するように肥大化したような錯覚を覚えた体が、身体の限界を超えた力を振るう。
銀雪があんな魚どもには負けぬと、口を大きく開いた。
重世界に御庭と共に潜っている私は、隙を見て奴らの頭上に、懐に、背後に飛び出て、一太刀浴びせるつもりだった。ないしは、特異術式の発動を以て、奴らの動きを鈍らせる。援護に徹する。その、はずだった。
しかし。もはやその必要もない。
楠晴海が到着し、二人が本気を出してから。
「なん、という」
戦いは、余りにも一方的なものになっている。
まず、私たちの参謀総長である、倉瀬広龍。彼の実力は知っているが、白川戦に遅れて参戦した私は、その戦いを目撃することができなかった。
初めて見る彼の本領。暴虐的とすら形容できる力を振るう彼は、この世界を崩壊させないよう━━御庭のことを意識して手加減をしているだろうに、それでも、人の身には余る、強すぎる力を振るっている。重世界を揺らす、竜の権能が彼の味方をしている。
触手を切り飛ばし、球体ごと奴らを氷漬けにして、枝分かれする雷で魔弾を全て、一瞬で撃ち落とし、殴打を加え、銀雪の尾を剣とし二刀流で触手を切り飛ばして、一方的にあの兵器を蹂躙している━━━━
まだ隠していた近接戦の形態に奴らが突入したところで、焼け石に水。触手から展開される魔力のブレードは、強すぎる黒漆の魔力に簡単に霧散させられ、追い詰められていた。
「クっ……!」
〝侵蝕〟の術式を維持しようとする御庭は、汗をだらだらと流している。彼だけならばまだしも、この世界にはまたもう一人、彼と双璧を成すと形容しても構わないほどの実力者が、戦っていた。
「アハハハハハハハハハハッ!!!!」
三種類の魚の妖異を使い、ある種、近接戦の装備を着込んだとも言っていい楠晴海は、横溢する大海原の魔力を展開して、この地下駐車場を、足が浸かってしまうほどの海水で満たしている。
彼女の周りを泳ぐあの魚群は、突撃するミサイルとしての運用。三次元的な遠距離攻撃を加える射撃武器としての運用。そして防御壁としての運用と、凄まじい機能性を備えた自立する武装となっている。
背に乗り、伸縮して放たれるエイの刃は、奴らが持つ魔力を以てしても受けきることはできず、今また真っ二つに触手が切断された。反撃の剣は、籠手となっている魚に阻まれ、刃が通らない。
しかし、あと勝利まで秒読みという状況だったからこそだろう。私は、彼の様子がおかしいことに気づいた。
まず、あんなにも戦いが好きな彼が、待ちに待った戦闘をしているというのに、笑み一つ浮かべていない。おそらく、その面頬の下に隠れる表情は歪んでいて、苦しい顔をしていることに気づく。
そして何よりも、彼は泣いていた。
溢れんばかりの涙をぼろぼろとこぼして、それが面頬を伝って、落ちて、海水に混ざっていく。
戦闘に夢中になり、奴らの肉体の上に立って拳を何度も振るう楠は、そんな彼の様子には気づいていない。もはや二対一を開始した楠を呆然とした表情で見つめながら、彼のことを慮り付いてきた銀雪を眺め、彼は刀を力強く握る。
「……クソォッ!!!! すまないすまないすまない!! ほんとうに……ほんとうにほんとうに……ごめん」
彼は泣きながら、それでも戦わねばならぬと、刀を振るった。
術式に集中する御庭でさえも、気を取られる。
「ああ。どうして、ただ表と裏にいるだけのぼくらが、こんな殺し合いをして! 右と左。上と下。表と裏。確かに真反対を運命付けられた俺たちだけど、表裏一体の、何も変わらない、切り離せない兄弟のはずなのに。まんなかにいる俺は、それが、分かるのに」
戦闘と呼べる段階は、もう終わりを迎える。ありとあらゆる武装を楠の手によって破壊し剥がされ、中が露出しそうになっている彼らを、真っすぐに見つめながら。
その姿が、彼だけに見える。
広龍は……参謀総長でもない。戦いの天才でもない。ただの青年として、呟いた。
━━━━ああ。
━━━━━━━━やっぱり。
━━━━━━━━━━ただの子供じゃないか。
「退けェ!!!! 楠ィ!!」
「え? はッ!?」
戦いの中で魔力を無限に高めていく彼が、刀を納め、左手で右腕を掴み、右手で竜の指を模して、思い切り叫ぶ。
「━━それは、誰が為の『残躯なき征途』」
彼が独眼の龍を背負う。この世界に、海水に溶け落ちていく、白い雪が降り始めた。
重世界の扉は開かれ、海水が吸い込まれていく。それに乗って満身創痍の彼らは今、重世界へと消えていった。