第百二十二話 重ならないぼくらは(2)
私は、彼の右腕たらんとしたというのに。副長失格だ。
敬愛すべき彼から貰った剣を支えに片膝をついた私は、汗をにじませながら奴を見つめている。
目の前で蠢く二体の生物は、私という人間が本能的に理解を拒む、決して触れてはならないものとして息遣いを漏らしていた。
「タてぇッ!! カタクラぁっ!!!!」
前方。数歩前に出た彼は、右手に彼を象徴する竜喰らいの魔剣を握り。左手で竜の三本指の形を模して、黒漆の魔力を本気で展開している。重世界の扉を開け参戦してきた銀雪は、彼の周りを一度一周した後、私の後ろで愕然とした表情を見せている御庭を守ろうと後衛に着いたようだ。
金色に輝く右目は燐光を残し、彼の体に纏わりつく魔力が龍の鱗のように防備を固める。
ああ。あそこまで竜の体に自身が呑み込まれないようにと力を抑え続けていたのに、今彼はあえて逆に、竜の力に己が身を預けようとしている。きっとあの敵は、そういう敵なのだ。
彼に続け。戦え。その勇気を、彼は私にくれる。
理解することが恐ろしいというのならば、奴をそもそも理解しようとしなければいい。ただ目の前に立っている敵として、この世界を脅かすモノとして、ただ妖異を狩り続けたのと同じように、淡々と、殺せばよいのだ。
右手に八日月の剣を。左手に黒釣鐘を握る。
地下駐車場の電灯の下に、私たちは相対した。
立ち直った私の姿を見て勇気づけられたのか、同じように、御庭も立ち上がる。
「……わざわざ言って付いてきたのに、情けない。申し訳ありません」
両手の指先から白の輝きを纏う糸状の魔力を展開した彼女が、古き妖異殺しの御業を行使する。
「〝侵蝕〟」
糸状の魔力はこの地下駐車場の天井を、床を、壁を這った後、魔力を広域に展開し、今、この表世界の事象が書き換えられた。
「結界の展開を行いました。今、私たちが立っている場所は、表世界を上書きするように展開された重世界……この中であれば、如何に暴れようと、破壊しようと、私が術式の維持に成功している限りは、表側の風景に影響がありません」
外套を翻した彼女が、姿を消す。
「私は術の維持を主に行い、隙を見て援護に回ります。武運を」
「あア」
陣羽織の裾がはためく。
彼が今、刀を振るって、飛ぶ斬撃を放った。触手が反応し、その先が開いて口となって、魔力の砲撃を放ち、迎撃をする。
「俺が前ニ出る。二対二をすルぞ。一対一を二つはダメだ」
「承知」
黒漆の独眼竜が、こちらを見ているような気がした。
この体を動かしているのがもはや自分なのか、それすら分からない。刀を振るう俺は、我武者羅に、奴らを切り裂こうと戦った。
吹き荒れる嵐は、黒の触手。
口を開き魔力の砲を放って、焼け焦げた痕を地下駐車場の柱に、天井に、床に走らせている。
伸び縮みした触手が、視界を埋めながら殴りかかってきた。体を捻らせすれすれで回避して、刀を振るい逆に切り裂く。血液のような、どす黒い黄みがかった液体が出てきていたが、痛がっているような素振りは見られない。
鞭のように振るわれる触手を相手に、俺は何合と剣を交えて、斬り結ぶ。
視界の端。
二体目の方が上部に生やした触手の全てを開き、まるでガトリング砲のように触手を並べた後……一斉射撃を始めた。奴が狙う先は俺ではなく……
「片倉ァ!」
魔弾の嵐に晒されそうな彼の前に滑り込み、障壁を展開する。魔弾を受け止めた竜の鱗は、揺るがない。もう一体から放たれる熱光線も俺の障壁に弾かれ、バラバラになり、光り輝く雨を降らせる。
「銀雪!」
俺の指示の声を聞いた銀雪が、氷雪の息を放ち、続けて放たれた宙を行く魔弾を凍らせた。
今、あの魔弾は白銀色の魔力に包まれている。あの魔力を奴らに代わって支配した。
「反転!」
鋭い弾頭をこちらへ向けていた魔弾が、くるりと方向転換して、奴らの方を向く。
「撃ぇ!」
氷の魔弾が着弾するのに合わせて、濃霧が生まれる。
御庭が何らかの術式を使用したのか、風に運ばれるようにして、それはすぐに晴れた。
無傷。
六角形の障壁を無数につなぎ合わせたかのような球体を展開している奴に、遠距離攻撃の類いは厳しそうだ。しかし、あの球体の障壁は重なり合い、干渉し合うことができないのか、のたうつような肉の塊が蠢き、今、二体の距離が開いている……
(好機!)
視線を送れば、目と目が合う。
「片倉!」
「はッ!」
ここは一番堅い俺が前に出る!
迎撃に放たれる魔弾を、竜喰で吸い取っていく。この剣で斬り裂けないものはない。このまま距離を詰めれば━━━━
ぐちょり、という音が鳴った後、胴体からいきなり新たな、黒色の肉体で出来た砲塔が生え出た。
「あッ!?」
液状の何かを放ったそれの危険性にすぐ気づいた俺は、魔力障壁に回す魔力を増やした。
障壁が融け落ちるように削られていく。
「……『曇りなき心月』と共に!」
障壁に穴を開け、鎧を貫通し、体を焼き始めたそれを相殺するように治癒を行おうと、月の輝きを身に纏う。俺は上手く対応されてしまったが━━━━俺は一人じゃない。
鐘の音が響く。魔力を右足に集中させ、まるでその場から消え去ったかのように距離を詰めた彼は、勢いよく斬りかかった。
触手の一本が斬り飛ばされる。
融け落ちた鎧の隙間から見える素肌に、小さな鱗のようなものが生えているのを、俺は見た。
正気を試すような、生気を吸い取るような戦いは続いていく。
この狭い空間の中、あの弾幕を避け受け続けるのは苦しく、向こうのやりたいことが俺たちに押し付けられ、その対処ができずに、劣勢に陥っていた。触手を何本か切り落とすことに成功したが、真っ二つになった断面に肉が生え、しばらく経った後、完全な再生に成功しているのだから、効き目がないように見える。
片倉は一度コンクリート柱の陰に隠れ、魔弾を受けぬようにしながら、一息ついている。向こうも、魔力の影響からか、無制限に魔弾を放つことはできないようで、小康状態に陥っていた。
たまに散発的な射撃戦が銀雪と奴らの間で行われるだけで、今も銀の雪弾と黒の魔弾がぶつかり合っている。
あの触手はどうやらこちらの動きに超反応を見せて自動的に反撃する性質があるようで、片倉や御庭が作ってくれた隙を突いてみても、中身の意識がこちらに向いていなかったとしても、即座に反撃をしてくる。
竜の膂力と魔力、そして魔剣を使い、更に『不撓不屈の勇姿』を発動するごり押しも考えたが……竜喰はどうやらこの敵を食べ飽きているとでも言わんばかりなのか、あまり乗り気ではなさそうだ。それに、この狭い空間で本気の力を振るえば、建物が倒壊しかねない。
障壁の色が薄くなってきた片倉は、肩で息をしている。
俺はなんとか奴らの弾幕に抵抗することが出来ているが、それは俺の規格外の防御力があってこそ。片倉や御庭の障壁では、受けきれることができず、割れてしまう。
それに俺も安心なのかと言われたら、一切そういうわけでもない。胴体に生えた細い砲塔から放たれる、あの魔力を溶かす性質のある液体であれば、俺の防御も突破されてしまう。あれがいつ飛んでくるか分からないので、行動が制限されて、自由に戦えない。片倉やたまに重世界から出てきて援護をしてくれる御庭を守ることも考えながら戦わねばならないので、難しい。
ならば同じ遠距離戦に出たらどうか、という話ではあるが、奴らもまた魔弾を弾く強力な障壁を持っている。
せめて、俺一人だけで戦っていれば……とも思ったが、どうやらこの敵は、明確に、妖異殺しを殺すために生まれてきたような兵器のように思える。妖異殺しを効率よく殺すための武装が、詰ませるための武装が完璧に揃っていた。
俺が何か決定的なミスを犯したとき、相手が仮に切り札を持っていたとして、それを切ってきたとき。そういう何かが起きてしまった時に、奴らがどうでるか分からない。仲間は必要だ。
このまま『残躯なき征途』の発動を待つのが丸そうだが……この間にも市民の命が失われていっている。この状況を打破できそうな面々が誰かを、俺は考えた。
まず、雨竜隊隊長。雨宮里葉。彼女の盾ならばこの弾幕も弾き返せるだろうし、完全な物理攻撃である凍雨ならば、あの障壁も突破できそうな気がする。彼女が攻撃に回っても、防御に回って俺が攻撃に出ても、戦況は一気に有利になるだろう。
それと、副隊長の村将。彼の炎の術式なら、魔弾をかき消すことも出来るだろうか。澄子さんなら、あの傘で魔弾を防げるだろうし、誰か一人でも、〝戦える〟人が来てくれれば、勝つことができる。
しかし、皆動けない。その歯痒さに苛立ちながら、もう一度前に出ようとしたとき━━━━
世界が罅割れるような音がした。
「な━━」
御庭の驚く声が、後ろから聞こえてくる。
術式を突破し長い黒髪を翻させながら、彼女はこの世界に降り立った。
新たな敵の存在を感知した奴らが、魔弾を放つ。
指先を奴らに向けた彼女は、正面にコバルトブルーの輝きを展開し、波紋を作りながら、魔弾を全て呑み込んでいった。
大海原の魔力が、波を立て場を満たす。白波が地下駐車場に舞い散る。
海が相手となれば、如何なる弾幕も無意味に等しい。
「あんら~~~倉瀬くんちょっとぉおおおおおおおおおぉぉぉぉ久しぶりに戦うんだからなまってんじゃないのぉぉぉぉぉおおお!?!? あんたの婚約者の方が強いんじゃない? 男見せなさいよウォウウォウ」
右目を開け、刮目した。戦闘のために完全に調整された肉体。体を満たす捉えきれないほどの大きさの魔力。海に纏わる能力を有し、また、多種多様な妖異種を隠し持つ狂戦士。
先ほど挙げた如何な人物よりも、おそらく彼女は、奴らを狩るのに適任だ━━━━
片倉が叫ぶ。
「楠晴海ッ!? どうして貴様がここに!」
「どうしても何も、助けにきてあげたのよぉぉぉぉおおおおおおおおぉぉぉぉ……ん? あ」
初めて奴らの姿を捉えた彼女は、恐れおののくこともなく、にんまりと笑って、恍惚とした笑みを浮かべた。
「……アハ。体がすっごく疼いてる。こんなの殺したら、イッちゃいそうね」
小さな扉をあちこちに開け、今、地下駐車場の中を、魚たちが泳いでいく。
もし、この世界が水没して、全てが海になったら、きっとここも海になって、今目の前で起きているような光景があちこちで見られるのだろう。
一転。真剣な笑みを浮かべた彼女は、天を仰ぐようにして、目を瞑って呟いた。
「ああ……そういうこと。私たちって、あいつらを相手にするために生まれたのかしら。倉瀬くんは……ま、半分と半分だし感じれないかもだけど」
握り拳と握り拳をぶつけ合った彼女は、その黒目に海色の燐光を残す。
「じゃ、倉瀬くん左ね。私右。渋い顔した兄ちゃんは私たちの援護。後ろいるお姉さんもそれでー」
「貴様が仕切るな」
「じゃ、魚いっぱい出すわよ。倉瀬くんは私の大事なお友達だし、お友達のお友達もまあまあ大事だからある程度は守ってあげる」
彼女は確かに強い。しかし、やろうと思えば俺は彼女を殺すところまで追い詰めることができる。
「……楠。お前が手こずったら、俺が貰うぞ」
「あいあい」
手に白の病魔の輝きを纏った彼女が、俺と同じ速度で前に出る。
「いやぁ……共闘って激熱ね!」
彼女は電話を手に取った。それは、佐伯の大老に眺められながら、魚群を用いて、妖異の群れを迎え撃った後の出来事。
「あ、もしもし空閑さん? いやー言われてたの倒したわよ。うん。今お魚さんたち回収したとこー。いやー楽しかったわねえ」
『……楠さん。貴方に私からの依頼があります。今から、倉瀬広龍の救援へ向かってください。重家探題に謀られました』
「えッ……? はぁ? いや、え、どういうこと? いやいやいや、そもそも、その必要性が私には感じられないんだけど。絶対大丈夫よ?」
電話の向こう側の彼は続ける。倉瀬広龍の実力を完全に信頼している楠は、彼の言葉の一切を理解できなかった。はぐらかすような態度の彼に腹が立って、彼女は〝通勤快速鮪〟に騎乗し、重世界を駆け抜け、ほとんどの人物が知らない彼のアジトへと殴り込みをかける。
扉を蹴り開け、部屋の中央にいる彼の方へずんずんと進む彼女は、怒りを見せた。
「あんたねえ、思わせぶりな言い方が多すぎるのよ。あの時は私がいただのなんだの、かったるいわ!」
「……すみません。楠さん」
「あのねえ、確かに私は貴方から巨額のマネーを受け取っているし、ビジネスパートナーではあるけれども、私個人としては貴方のことを気に入ってるのよ? それなのに、そんな連れない態度だったら頭来るわ」
魚のマークがついた帽子を手に取り、鍔に人差し指を立て、器用にくるくると回す。
「あんたの目的。説明しなさい」
「……では、順序良く説明しましょうか。まず、倉瀬広龍の救援ということに関して。まず私は、おそらく、彼の最大の味方です」
「は?」
「彼は同じように、私の最大の味方とも成り得ますし、最大の敵にもなってしまうのですが……とにかく、私の目的を達成するためには……中途半端な……そして運命に苛まれた彼が必要だ。彼は扉を開けるための鍵だ。絶対に失ってはならない。最悪私は死んでもいいが、彼は死んではいけない。だから、救援を依頼した」
熱い思いを込めたような、それが伝わるような声色で……彼は言った。
「中途半端ってのは……体のことでしょうけども。運命に苛まれた、扉を開ける鍵……随分ポエティカルなのね。貴方。夜の海にでも出ないと私はそんな気分にはならないわよ」
あえて最後の言葉を無視した彼女は、彼に続きを促す。
「……後者に関しては、私も驚きだった。まさかそんなことがあり得るとは……老桜から話を聞いて、一瞬思考が停止しましたよ」
「そういう、はぐらかすとこって言ってるんだけどねえ……」
ぴくぴくと眉を動かす彼女は、えいえいと空閑を小突いた。椅子から立ち上がらせられた彼は、眼鏡の位置を調整しながら、彼女を横目に見ている。
「ま、味方ってのは分からんでもないけどね。白川さん家で戦ったときに、絶対に彼は殺すなって、私と戌井くんに言ってたしねー……第一、戦えって言われたのあの場その時だし」
「ええ。老桜ともそれは誓約で取り付けました。殺してもいいですが、『不死鳥の炎』で必ず彼を蘇らすようにと。まあ彼は、普通に老桜も貴方も殺しかけましたが。白川の剣も折れましたし」
「……あれ、他人と物にも使えるんだからえげつないわよね。つか、私はあの右ストレート忘れてないわよ。人生で一番痛かった。どんな妖異よりも。さっき電話で言ったけど、あれが茶番なんて言うなら、私はあんたを殺すわ」
「……意趣返しで、私に反撃をしようとしたでしょう。あの時。彼を使って。だから、許してください」
「いやでも貴方、構えに入るだけで何もしなかったじゃない。倉瀬くんはあえて微妙に外すし」
「……力は見せない。最後の瞬間まで。だから、貴方を使うんですよ」
「ふーん……」
とことこと歩く彼女が、椅子の前で立ち止まる。
空いていた空閑の椅子にドカッと座り込み、くるくると回った後。彼女は、彼の方を向いて、こう言った。
「ねえ、貴方のやりたいこと。最後まで付き合ってあげる。だから、貴方の……夢。それが何か、私に教えて。貴方の最大の味方は彼じゃなくて、私」
張り付けた笑みばかりを浮かべる彼が、今ここで、キョトンとした顔になった。それを見た彼女は、ぷぷぷと笑う。
「貴方に付くのが一番面白そう。倉瀬くんでもないし、ちょっと唾つけようとした消防士さんでもないけど……私は気に入らない?」
彼もにやりと笑って、彼女の方を向いた。
「いえ、最高です。美人ですし」
「へへへ。口説いてんじゃないわよ。ま、満更でもないけど」
儚い笑みを浮かべた彼は、口を開く。私の夢を、憧憬を説明するためには、私の過去についても話さねばならない。そう語った後、彼は彼女に向けて、誠心誠意、その思いを言葉という形にした。
「私の夢は……■■■■■■■■■■■■■」
それがどういう意味なのかを説明する彼の言葉を、彼女は茶化したりせず、清聴する。
締めくくりの言葉を聞いた彼女は、その荒唐無稽具合に、爆笑した。
「え? ……あ、貴方、とんでもないことをしようとしているのね! アハハハハハハハハハハハハハ!!!! 私は貴方に付いてよかった! きっとあなたは、この世界の英雄にもなれるし、大罪人にもなれる!! それを私に、目の前で見せて!!」
「……なら、私に……いや、俺についてきてくれ。楠晴海」
「ええ! もちろん! じゃ、どういうことかも分かってスッキリしたし、倉瀬くん守護りにいってくるわ!」