第百二十一話 重ならないぼくらは(1)
東京都立川市。東京のちょうど中央に位置するような、多摩地域の都市のひとつ。
斜陽に影を落とす街でネクタイを締め直しながら、片倉が腰に差した八日月に手を置いて語る。
「広龍様。現場に到着しました。彼らの依頼によれば、例の場所で我々に倒してほしい敵と政府関係者が交戦状態にあるはずですが……」
雨宮家参謀本部総長である、俺。副長である片倉。そして雨宮家の筆頭重術師である御庭。
おそらく今投入できる雨宮家の戦力としては、最高の面々で、俺たちは例のデパートへと向かう。
既にこの地域にいた人々は避難したようで、車が放棄され、ゴミが風に乗り飛んでいく人っ子一人いない街を、三人で進んだ。
「広龍さま。どうやら前方に、魔力持ちがいます。謎の術式による結界を展開しているよう……おそらく、それが例の」
「? ……ああ」
「……お知り合いですか?」
デパートの地下駐車場に繋がるであろう、その出入口に立っていた男に、俺は見覚えがあった。
藍色のジャケットを羽織り、洒落たネクタイピンをつけた男。左腕に着けている高級感と無骨さに溢れる時計に、魔力を大量に集める彼は、疑いようのない猛者━━━━
「重家から妖異殺しの精鋭が派遣されてくると聞いていたが……まさか貴方たちとは。雨宮グループの首脳……倉瀬くん。片倉さん」
一歩前に出て、代わりに応対することを暗に示した片倉が、静かに呟く。
「特別捜査官。兼時信。私たちは、重家探題の要請を受けてくだんの妖異を討ち取らんと派遣されてきた。敵はどこにいる? 貴方が交戦していたのではないのか?」
「妖異、ねぇ……」
顎に左手を当てる動きで、橙色の輝きに時計が照らされた。そこには超高濃度の魔力が蠢いており、肝心の時計の針は、上手く動いていないように見える。
いや、一秒よりもはるかに遅く時を刻んでいたり、ぐるぐると時計の針を直接回すように早く動き始めたりもして、明らかに異常な挙動を取っていた。
〝時計仕掛けの魔力〟を纏う彼は、ゆっくりと語り始める。
「片倉大輔。貴方がした質問に答えよう。まず、敵はこの地下駐車場のB2にいる。そして、私は確かに奴らと交戦状態にあると言っていい状況にあるが、かといって、直接剣を交えたわけではない。私の全能力を……〝時計仕掛けの勇者〟という術式を用いて、この地下駐車場から、奴らが出られないようにしている」
「……なるほど」
やり取りを続ける片倉の後ろに立つ俺に、御庭が小声を掛けてきた。
「……広龍様。お気づきでしょうが、この男、とんでもない手練れです。どこまで操れるか分かりませんが、彼の術式……あの時計は、時間という手をつけられないはずの概念に手をつけている。貴方や里葉様、楠晴海にも劣らない人材かもしれません。政府が抱える、最強の人物だ」
「そんな彼が、直接手を下さないというのだから……警戒は必須です」
彼と初めて会った時、ヒーローの24/7……田中さんを援護していたのは、彼か。
御庭の懸念は正しい。より一層、警戒を強める。
「敵は二体いる。貴方たちが討伐に失敗したら……更なる援軍を求めることになる。撤退をしたいときは、すぐに私に伝えてくれ。もう一度なんとか閉じ込めてみる」
「私と広龍様がいれば、作戦の失敗など万に一つもない」
「良い心意気だ。そうでなければ、きっと食われる。まあ、そうだな。しかし……」
一息つき、右手をポケットに入れた彼は、よくセットのされた前髪を触って。
鋭い視線でこちらを見つめながら、されど、やさしい、淡い表情を作って、テノールの美声を放つ。
「……きっと、これからアレと戦うのが、貴方たちでよかった。それは幸か不幸か……時代にとっていいはず」
「……? 何が言いたいのかは分からないが……行きましょう。広龍様」
「ああ。行くぞ。御庭」
「…………は、い」
ライトが全灯されたままの、車が置き去りにされた地下駐車場の中央を彼らと闊歩した。
敵がいるというB2フロアへ向け、階段を目指し、歩き進んでいく。
電灯の一部が故障しているのか、切れかかっているのかは分からないが、カチカチと明滅していた。
一部が掠れて消えてなくなってしまっている白線。どこに車両を止めたか分かるよう、描かれた英数字によって目印の役割を果たしている柱。
(どういう……ことだ……?)
この一個下の階に、敵は潜んでいるはず。しかしながら、余りにも不気味なほどに。
竜の直感が、機能しない。
竜の五感が、敵の存在を感知できない。
確かにそこには誰かがいるけど、本当に脅威を感じるほどの存在は何もいないよと。身体を構成する竜の血脈が、まだ重世界に潜んでいる銀雪が、伝えてくる。
それよりも俺の体を粟立たせるのは、人間としての本能だった。
もう半分しかなくなってしまったヒトとしての直感が、全力で警鐘を鳴らしてくる。そこには行ってはならぬと。逃げ惑えと。俺を脅かし続けている。
それを上書きしていくように、今度はいくさびとの血が滾った。
魂から繋がる血脈が、俺に狂い叫ぶ。
おお。奴らから奪い去れ。
富を。
力を。
命を。
奴らからであれば問題はない。
全てを略奪せよと、真反対の叫びが聞こえてくる。体が震える。
「ハァ……ハ……」
「くっ……」
戦闘中、汗一つ掻かないはずの片倉が、冷や汗を垂らし、顎まで伝ったそれが、今、コンクリートへポタリと落ちた。後ろを歩く御庭も、目を見開いて、何かの存在に気づいている。
扉を開け、静かに階段を降りた。
階段を降りた先。駐車場の道路の中央に出て、俺たちは、その存在と対峙した。
きっと、俺たちは絶対にそれを形容をしてはならない。
しかしながら、右目を通して見るその景色であれば。
俺は奴らの姿を、克明に説明することができる。
それは、のたうつような肉の塊だ。
シルエットを俺たちの世界のもので例えようとするならば、樹木のような、道端の茂みのような、海に揺らめくイソギンチャクのような……そんな容姿を、彼らはしていた。
上部に生える黒い触肢の先が、鋭い爪牙を持つ、口部となっている。蜻蛉のような複眼が体の下の方に付いていて、それに反射し映る自分たちの姿が滑稽に見えた。
よく観察してみると、それはどうやら着ぐるみのような、パワードスーツのような……体の上から着ることによって効果を発揮する、装着型の兵器なようで……中にいる本体の彼らは、また違った容姿をしているのだろうか。
ああ。俺は何度もダンジョンに、渦に潜って妖異と対峙した。どんなおどろおどろしい見た目の妖異でも、不撓不屈の精神を以て立ち向かったし、恐れたことなど一度もないと、胸を張って、言うことができる。
しかし、その妖異というのは……彼らの扱いやすい、兵器に過ぎないのだ。
妖異という生き物は、元々は空想種を端に発する重世界側の生き物。
ぼくたちの裏に存在する彼らは、全くの別。
その姿をまともに見てしまった、純粋な人間……表世界側の住人である片倉と御庭は、愕然と立ち尽くして、がたがたと震えている。
声を上げることすらできず、その存在は決してこの世界では認めてはならぬものだと、否定されなければいけないものだと、拒絶しなければならないものだと、本能的に理解した。
「ひっ……」
俺の倉瀬広龍の部分は、酷く彼らを恐れている。とにかく怖くて仕方がない。今すぐ叫んで逃げ出して、里葉に助けを求めたい。
しかし。俺の半身となる竜の体は、冒涜的な彼らを、さも当然の存在として受け取り。
むしろそれは、俺たちが彼らを恐れるように、同じように。
酷く表側の住人のことを恐れていると伝えてきた━━━━
ああ。そういうことなのか。これは、共通概念から始まる、この世界の摂理。繋がり合う三つの世界が有する絶対的法則。
そうだ。ぼくたちは。
彼らとは決して、重なり合わない!
奴らを恐れぬ竜の体に、全てを預けろ。
これは、この世界を守るための聖戦である。