第百二十話 海戦のいくさびと
東京。横浜。千葉。三つの場所へ、裏世界側から同時侵攻を受けた、うだるような夏の日に。各々の場所では新設された重術科と呼ばれる自衛隊の部隊、そして、デバイスランナーと呼ばれるヒーローや探索者、重家からの妖異殺しが戦線を張り、激しい戦闘が行われていた。
最初に侵攻を受けた上総━━現在の千葉県中央部に位置する場所では、戦いは一段落し、既に掃討戦が行われていた。
妖異を相手にするのに有用な弾薬を開発した彼らは、軍としての術理を持たない獣を撃ち殺すように、伝承種などが出てこない限りは、比較的危なげなく、撃破することに成功している。山間部に出た妖異が多かったことにより、市街戦に挑まずに済んだことも大きかったようだ。
これも、日々の訓練の賜物であり、また、協力者のDS運営あってこその功績である。
「東京の妖異の群れはほぼ重家の協力者により撃滅されたようです。しかしながら、継戦能力を失ったため、横浜へ転戦することは難しそうです」
「こちらから隊を割く。再編せよ」
しかしながら、指揮所で全体の指揮を執る高官は、戦場の様子がおかしいことに気づいた。先ほどまでいたはずの妖異の群れのいくつかを消失し、位置情報がつかめなくなっている。
指揮所の中で情報の収集に努める自衛官は、ある通信を受け取った。
冷静さを何とか保とうとしながら、通信兵は淡々と、報告を上げる。
木更津に出ていた妖異の残存戦力が、新たに空から現れ出た伝承種に連れられ、海を渡り始めたと。
水かきを使い、地球のどんな海生生物よりも速く海を渡る、魚人の見た目をした妖異。
白波を立て、突き進む三本の尾を持った妖異。
海上、点々と見える彼らは展開していた隊の隙を突き、今、かの首都目掛けて水を掻き分け侵攻している。
先行する彼らについてくるように、小さな無人島くらいの大きさはあるのではないかというぐらいに大きい、甲虫のように何十本という節足を生やした妖異。それが三匹ほど、背に更なる群れを載せて、やってきていた。その上には、手足を生やした魚。トビウオのような翼を生やした蝸牛等、奇天烈な見た目の妖異が多い。
既に彼らの姿が、東京湾の埠頭からも、見えるような状態になっている。
通信を受け、横須賀から展開した艦艇が、今、艦砲射撃を行った。
魔力の障壁で何発かを防いだ甲虫は、とうとう力尽き、身体を灰に変えながら、沈んでいく。
しかし。
その上に乗っていた妖異は海へ飛び込み。今、強襲上陸を仕掛けようと、波に踊った。
対岸。埠頭に出て、海を一望する男は、その群れを迎え撃とうと一人立っていた。
(流石に海を渡ってこようとするとは思わなかった。戦力を分断させて、そこからけりをつけようという狙いか? 事実、政府が抱える連中の主力は上総におるし、重家の一部もあちらに掛かり切りだ……いや、戦況の優位を見て赤穂家だけは横浜へ先に移ったか)
雄々しい白髭を、彼は右手で撫でている。
佐伯家の大老。そう呼ばれ、老桜ほどとは言わぬものの、古き時代を知る妖異殺しの彼は、もはや自身しかこの事態に対応できるものはいないと、霧氷の魔力を展開する!
宙を舞う霧氷。大気を凍り付かせようとするそれは、パキパキという音を鳴らした。
臨戦態勢に入った彼は、何故か、一度構えを緩める。
広域に魔力を展開している彼は、接近してくる一人の女に気づいた。
空へ大海原の魔力を立ち昇らせる彼女は━━━━
「あら。先客がいるの」
「…………楠晴海。空閑の代行者であるお前が何の用だ」
「何用も何も、連絡を受けて海から来るあの最後の大群……あれを迎え撃てって命令を空閑さんから受けてるのよ。じゃ、あれ、私が代わりにやっていい?」
「……ここから見える限りでも、空を割って増援にやってきた伝承種が十体以上はいる。お前に倒せるのか」
「行ける行けるって。じゃ、私の戦いの……邪魔、しないでね」
コンクリートに足をかけた彼女は、大海原の魔力を波立たせ、空に、門を開いた。
〝魔海の熱帯林〟に繋がるその扉から、色とりどりの魚が、触手を伸ばす蛸が、昆虫の幼虫が、鋭い鋏を見せつける蟹が、解き放たれ出ていく。
空を泳ぐ彼らは宙を行き、まるで、水族館がその場に出来上がったかのよう。
空へ、更に門を創造した彼女は、またそこから、水生生物の妖異を解き放ち始める。
「既にサイクルは完成させてるけど、こういう、ドーピング的な餌やりができると、生態系そのものが一気に強くなるから、助かるわねえ~!!」
ばちゃばちゃと、海へ飛び込んでいき、自由に活動を始める楠の妖異の姿を眺めながら、大老は熟考する。
(……すさまじい量だ。もしこの女が、首都で所有するすべての妖異を解き放てば、きっと今回と同じようなことが起きる。この女は、大海原の軍勢を個人で抱えている)
白波が立つ。
今、楠の妖異が上陸を狙い攻め込んできている妖異とぶつかり、戦いが始まったようだ。
半魚人の妖異が海中へ引き込まれたかと思うと、後に浮かび上がってくるのは、その死灰である。
彼女の口ぶり通り、それは確かに、戦闘というには余りにも一方的な、捕食という表現がまさしく適切なように見える光景だった。
(……明らかに、本来の魚の妖異より強い。世代を重ねて調教したということなのか?)
静かにその光景を見つめる彼は、じっと彼女の力量を測ろうとしている。
大海原の魔力は彼でさえも捉えきることができない、それこそ海を相手にしているかのような圧迫感を彼に与え。
獰猛な笑みを浮かべ、陸から妖異の指揮を執る彼女の姿は、まさしく、〝いくさびと〟のモノである━━━━
しかし、妖異は恐れない。
「あら!? 私のゲームから着想を得たハンマーヘッドシャークを山なりに投げる亀が殺されてるじゃないの! ありゃ、観念して敵の伝承種がみんな戦い始めたかー……」
魔力を瞳に集め、遠く、他の妖異を守るように戦い始めた伝承種たちの姿を見て、楠がうーんと唸った。
「空閑さんも許可出してたし……だ、れ、に、しよっかな~」
腕を組みながら巨大な門を創造していく彼女が、あ! と思いつき、それを招き寄せる。
「行け! 私の生態系の頂点に位置する、最強の内の二匹! 〝魔海の捕食者〟!」
彼女の言葉に合わせて、二つの門が開かれた。
左方。ぬっとあらわれた黒いそれは、頭から飛び出してしまっているようにも見える眼玉をギョロリと動かし、ゆらゆらと風に靡く可憐な尾びれを動かした。
船舶を優に超えるサイズのそれは、少しだけ速度を上げて、ゆっくりと妖異の群れへ突っ込んでいく。
右方。先に出てきた妖異とは対照的に、素早い動きで一度宙へ飛び跳ねるように飛び出た、ボートほどの大きさのそれ。眼の近くに生える、耳のようにも見えるヒレをパタパタと動かすそれは、短い触手を生やし、傘のような、パラシュートのような形をした……蛸だった。
「行け! 〝タニシ食いすぎた出目金〟! 〝メンダコUFO〟!」
彼女の号令に合わせて、まずはメンダコUFOという奇天烈な名前の妖異が空を行く。
凄まじい速度で移動を開始したそれは、妖異の群れのちょうど真上……上空に着いた。
八本の短い触手を蠢かせ、真っすぐに伸ばしたそれは、触手の先を起点に、大量の魔力を集め始める。
出来上がった八つの魔力の弾丸が中央の……蛸の口部へと集まり、それは、雷撃を落として海に対する爆撃を開始した。
ゆらりと進む出目金は、急ぐこともなく、妖異を吸い取りくらいながら、進んでいく。
「アハハハハ!! やっぱ強いじゃないの!!」
響き渡る轟音を聞き、心底楽しそうに笑う彼女の姿を見て、大老は静かに、今まで彼が戦ってきたいくさびとたちの姿を頭に思い浮かべた。
万夫不当。一騎当千。百戦錬磨。蓋世不抜。それらの言葉は、他ならぬ彼らのために生まれた言葉━━━━
(……いくさびと。個人での戦闘や集団での戦争に限らず、ありとあらゆる勝負事に剥き出しの闘志を見せ、天賦の才と実力を見せる奴ら。しかし、一見ただ万能な戦士に見える彼らには、実は、ある種個性と言ってよい差異が……この戦であれば絶対に敗北することはないという得意分野が存在する)
あんなにもいたはずの妖異が、気づけばどんどんいなくなっていっている。指先一つで妖異の群れを沈ませる目の前のいくさびと━━楠晴海の性質に、彼は簡単に気づいた。
(この女は……〝海戦〟のいくさびとか)
彼は考える。己が〝いくさびと〟であることを隠そうともせず、その実力を遺憾なく見せつける人物は、当代に二人。いや、重獄に囚われている〝戦塵〟……〝鏖戦〟のいくさびともいるだろうが、彼は除外して構わない。
彼女が何者かは分かった。海の近くで、絶対に彼女と戦ってはならない。それが分かっただけでも、ここに訪れた価値はあった。無駄足ではなかった。
それが分かってしまったからこそ、彼は、もう一人のいくさびとの本質が何なのか、気になって仕方がない。
(今を生きる二人目のいくさびと……あの竜……倉瀬広龍は、一体、何の〝いくさびと〟だ?)
彼が今持っている情報だけでは、推論の域を出ない。彼は、楠晴海の戦う姿を眺めながら、時代の流れを感じ取っていた。
海からやって来るすべての妖異を撃滅した彼女は、いつの間にかいなくなっていた先客を少しだけ目で探しながら、一息ついた。いくさの興奮に火照る体を覚まそうと、手で扇ぎ、風を作ろうとする。
「あーッ……しかし、あっついわねえ……」
魚のマークがついた帽子を被り直した彼女は、お尻のポケットで震えるスマートフォンの存在に気づいた。発信元を確認した彼女は、笑みを浮かべ応答する。
「あ、もしもし空閑さん? いやー言われてたの倒したわよ。うん。今お魚さんたち回収したとこー。いやー楽しかったわねえ」
電話の向こう側の彼が、淡々と、新たなる指示を彼女に下す。
普段は文句ひとつ言わず、遂行するはずの彼女が驚きの声を上げた。
「えッ……? はぁ? いや、え、どういうこと? いやいやいや、そもそも、その必要性が私には感じられないんだけど。絶対大丈夫よ?」
会話は続く。
『……最悪の事態だけは、絶対に避けなければなりません。あの時は私がいた。だから、どうにでもできた』
「は? あの時は私がいたって……茶番だったって言いたいわけ?」
『では、宜しくお願いします』
「なんか言いなさいよー!!!!」
ツーツー、と電話の切れる音が響いた。
仕方ない、もう一仕事かとまた獰猛な笑みを浮かべた彼女は、帽子を被り直して、行動を開始する。