第百十八話 枷を外すとき
御庭を連れ、素早く雨宮の重世界へ帰還した俺は、素知らぬ顔で横浜に重世界空間を確認したと政府や重家に通達し、そちらを緊急の避難所として利用しろと暗に伝えた。
これは全員の問題であるし、雨宮家の新たな方針というのも、この社会を守るためというものであるから、当然と言えば当然のことではあるが、国へ新たな恩を売ることができたような気がする。
独特な暗号通信の音が響き渡る参謀本部へ戻ってきた俺たちは、すぐに新たな情報の確認をする。
重術を用い、妖異種の素材を使って作られたであろうヘッドフォンを耳に付けながら、片倉はこちらの方を向いた。威厳を見せる義姉さんは、仕事を他の者に任せ、椅子にずっしりと構えている。
「横浜に作った重世界空間は、上手く利用されているようです。これで救助活動が上手く行くと、政府関係者からは強く感謝されています」
「ああ。それならよかった。それで、東京の方の状況はどうなっている」
「散発的に登場する妖異を雨竜隊が討ち取りながら、避難誘導を進めています。この参謀本部から出れば、避難しにきた市民たちの姿を見ることができますよ。アシダファクトリーも柏木家も、よくやっています。全員の功績です。それと……」
「怜様! この雨宮の重世界に、佐伯家の者たちが。入城を求めているようです」
参謀本部の扉を開けやってきた参謀の一人が、義姉さんに報告を上げている。
「……こちらが、今言いかけていたことです。里葉様が、雨宮の重世界にて補給を行いたいという佐伯家の者たちの要請を、承諾したと」
真剣な表情の義姉さんが、俺に確認を取る。
「この参謀本部に代表者を招き入れても良いですか? 広龍。私が言えば、彼女たちだけが持っている情報を引き出すことができるかもしれません」
「そうだな。そうしてほしい」
報告を上げに来た参謀が、佐伯家の者たちを案内しようと、一度外に出る。
報告にあった通り、東京の佐伯家の集団は、あの大老ではなく、当主の実娘にあたる佐伯初維だったようだ。参謀本部を訪れた彼女は、不思議な音が鳴り響く、最先端の重術を用いたこの空間に感嘆の声を漏らした後、義姉さんに頭をぺこりと下げる。
「えっと……当代の雨宮様。私たち佐伯家の要請に応えていただき、誠にありがとうございます」
義姉さんが自ら椅子に座る彼女にお茶を出す。どうやら外にいる佐伯家の部隊の者たちは、連戦続きで、水を飲むこともままならない状況だったようだ。彼らに水や食料、医療品、そして武装すらも提供している。
「ええ。充分な休息を取ってください。負傷者は、私たちが収容し、治療します」
「本当に……ありがとうございます」
「礼は要らない。こんな状況ですから」
「ひゃッ……」
俺の一言を聞いた彼女が、ぷるぷると少し震えている。俺、なんかしたか?
「しかし、この後佐伯家はどうするつもりなんだ? 君たちは特級戦力であるし、今後の動きを予め聞いておきたい」
お茶をずずずと啜る初維が、口をすぼめて言う。
「先ほど通信設備をお借りしましたが、私たちはこれから、横浜へ転戦するつもりです。先ほどまであそこには爺さま……大老がいらっしゃいましたが、防がねばならないものがある、と一人抜けてどこかへ……代わりに私たちが入る形になります」
「なる、ほど……しかし、あそこは正真正銘の地獄だ。どうやって動く?」
「……私たちは、妖異の掃討には参加しません。爺さまが先ほど……普通の重家や探索者、ヒーローでは相手にできない、一体で戦況を変えるような存在が出てきた、というので……その討伐を命じられました」
「……そんなのがまだ残っているのか」
「ええ。この戦いも、終盤です。ですので、まだ余力のある私が。私なら、倒せます」
「…………無理はするなよ」
一度、ごくりとお茶を一気飲みした初維が、勢いよく立ち上がる。
「佐伯家に対する雨宮家のご協力、感謝します。では、妖異殺しの誇りに殉じるために、御免」
外套を羽織りながら、義姉さんへ向け彼女は礼をした。それを見て義姉さんは、深い頷きとともに、彼女の目を真っすぐに見つめる。
「武運を」
佐伯初維率いる佐伯の隊が、雨宮を離れた後。俺たちは避難してきた市民の間で起きるトラブルなどを解決しながら、静かに時を待った。
「……雨竜隊がガス欠になった今、わたしたちに出来ることはあまりありませんねー……せいぜい、広龍がまた重世界空間を作るくらいでしょうか」
「そうだな。俺はまだまだ動けるし……後は片倉と御庭くらいか。戦力として動かせるのは」
「ええ。しかし、佐伯の大老が抜けたというのと、初維の言っていた……敵の特級戦力が何なのか気になります。古き時代を知る彼がわざわざ孫の初維を動かすくらいですから、絶対に失敗できないという思惑を感じます。それに、自身が相手をすれば良いと言うのに、それよりも優先すべき何かがあるという……」
「怜様の仰られる通りですね。ここに来て新たな敵が出てきた……」
片倉が目を瞑りながら、じっと考え込んでいる。
先ほどまで外に出ていた御庭が、参謀本部の扉を勢いよく開けた。血相を変えた様子の彼女は、何故か義姉さんではなく、俺の方を見ている。
「た、大変です! 怜様!」
「そんなに慌てて。どうしましたか。御庭」
「あ、雨宮の重世界に駐留していた、重家探題の監視員から要請が……話をしたいと」
「!」
長く己を縛り続けていた枷が、解けていくような気がした。
重家探題の監視員を参謀本部の応接室に招き入れた俺たちは、彼と向かい合い、話をした。非常に重要な事柄であるが故に、即座にあの通信室へ戻って、身内だけの会話をする。
「これは、重家探題からの正式な要請である。東京に出現し、今ある政府関係者と交戦している妖異を、諸君ら……より明確に言うのであれば、倉瀬広龍。貴方に、討伐してほしい。我々は交換条件として、雨宮仕置における貴方への制限を、全面的に解除する準備がある……ですか」
監視員より告げられたその要請を再確認した義姉さんが、ぽつりと呟いた。
それを聞いた俺は、溢れんばかりの闘志を、武者震いを、何とか押さえつけようとする。
「とうとう、来たか」
片倉が、掲示した地図に魔力でピンを刺し、位置情報の確認をした。
「場所は、東京都立川市にあるデパートの地下駐車場……そこに、ある妖異がおり、政府関係者の一人が足止めをしているような状態、と。その討伐要請です」
「……状況を考えても、雨竜隊……里葉や村将の助けは借りられなそうだ。俺と片倉で出るのが丸いか……」
黒甲冑、陣羽織を着て、腰に刀を差した。面頬の位置を調整して、いつでも交戦できるような状態にする。
「お待ちください」
やっと戦えると、興奮を抑えきれない俺を諫めるように、御庭が懸念を見せていた。それを見て、義姉さんと片倉も驚いているように見える。これは、どう考えてもチャンスだ。俺の枷が外れれば、雨宮家の戦力は更に強くなる。
しかし、彼女は平静さを保っていた。むしろ、何かを恐れているかのように。
「この案件、余りにも臭すぎます……これは逆に言えば、広龍様の制限を解除してでも、倒さねばならない敵が、それもあの妖異の軍勢ではなく、単体でいるということになります。下手すれば、共倒れを狙っているとも……重家探題は狡猾です。危険すぎる」
「……広龍は龍を、そして白川の戦いで古の妖異殺しさえも倒したことがあるんですよ? 流石に、龍より強い敵はいないのではないでしょうか……?」
「…………わ、たしも出ます。私の懸念している敵が本当に出てくるとすれば……雨宮の全戦力を投下しなければいけない敵となる」
……彼女にしか見えない、分からない想定外の何かが、あるのだろう。片倉は頷きを返しつつも、八日月の刀を抜き、刀身の輝きを確かめていた。
「確かに、先ほど初維さんが言っていた大老が懸念する敵という存在のこともあります。もしかすれば、それと同一の敵の可能性もある……危険だと言うのは分かりますが……それでもこのチャンスは逃せない」
義姉さんの前で三人。集って、言葉を交わした。最後に、彼女の方へ視線を送って、指示を仰ぐ。
「……アシダファクトリーの者もいますし、柏木家も、雨竜隊も続々帰投していきます。私は問題ありません。御庭。二人を援護しなさい」
「……承知」
参謀本部の扉を開けると、温い風が吹いていた。
とうとう、この時がやってきた。俺の枷が外れるときが。俺がまた自由に、戦うときが。
武者震いがする。片倉と御庭の二人を連れ、俺たちは出来る限りの速度を出し、重家探題へ指定された場所へと、立川へと向かった。